メンタル不全でも、カウンセリングに行かなかった理由。
うつ病、PTSD、依存症、強迫性障害、摂食障害にはじまり、日常においてなんとなく生きづらさを感じるようなアダルトチルドレンや毒親育ちなど、さまざまなメンタルヘルス不全があります。
私は大人になってから過食症を発症し、自身がアダルトチルドレンであることを自覚しました。生きることにずっと辛く苦しい思いを感じ持っていたことに気づき、自分は病気なんだと認めて、ちゃんと心の傷と向き合い癒していきたいと決心できたとき、一度、民間のカウンセリングを受けることを検討しました。
しかし、ネットで調べてみると、カウンセリング料金は一回につき1~2万円が相場のようでした。1回の料金は問題なく払えても、その1回で完治するわけがないので、何度も通うことになるだろうから、そうなると総額がいくらになるか分からない。しかも、カウンセラーの方と、合う・合わないがあり、合う方に出合えればいいけど、合う人に当たるまで闇雲に通うのか?費用がどんどんかさむ・・・・。時間もお金もかけた結果、もっと悪くしたらどうしよう、と躊躇していました。YouTubeのチャンネルで自分の症状や状況を理解してくれそうだ、と思っても、遠方で通いづらいことがネックにもなっていました。
私が自分の心の傷と向き合うきっかけになった運命の本である【五つの傷】の著者であるリズブルボーさんのある書籍の巻末で、同じ問題で悩んでいる人達と交流を通して癒す方法として、自助グループに行ってみることをお薦めされていました。その目的として、抱えている問題を分かち合い、誰にも一切否定されずにありのままを丸ごと理解して受け入れてもらうことがありました。
それであれば、私は、同じく五つの傷を読んで自分の心の傷と向き合おうとしている姉の存在がありました。そもそも、この本を教えてくれたのがその姉だったのですが、同じ親から生まれて育ったため、誰よりも事細かく言外のこと、細かいニュアンスまで理解し分かち合えました。さらにお互いの五つの傷のうちの持っている傷が見事に被らず異なっていたことも、ぶつからずに客観的にお互いの気持ちを聞けて意見交換できたことに繋がったとも思います。
姉とはある時期に集中して、月一程度の頻度で会っていましたが、当時はその会合まで待ち遠しく、向き合うべき事象が溜まっていき、早く早く、早くしないと苦しくて死にそう、という感じでしたが、1〜2年ほど経った今では、その会合がなくても、姉にLINEでその都度思いの丈を送る程度で、自分の内側で心を軽めに向き合って分析してある程度は解消できるようにまでなっています。
もちろんカウンセリングに行けば、より専門的に様々な効果的な療法を実践でき、もしかしたら圧倒的に近道になるかもしれません。ただ、私のように、今まで絶対に言ってはいけないと心の奥底に封じ込めていた感情に気づき、ひたすらに向き合い、誰かと分かち合い受け入れてもらえること。それが一番の目的かもしれないと思われたのであれば、まずは身近な人との交流がその代わりとならないか、今の自分の環境やコミュニティに気づくことから始めるのもありかもしれません。
本来カウンセリングは、そういう環境がない場合に、第二の選択肢として提供されているものだったはすが、私はメンタル不全といえば専門的なカウンセリング!と思い込んでしまっていました。それは実は本来のあり方ではないことに気づき意識が変わり、自分が身を置いてる世界のことを全然把握していなかったんだ、持っているものに気づいていなかった、と実感したので、今回の記事を書いてみることにしました。
カウンセリングは、今一度自分の人間関係を見直してみて、本当にそうなってくれるような存在がいないのかをじっくり見極めてからでも遅くないと思います。専門知識なくても同じ境遇でなくても、自分の気持ちを一切否定せず丸ごと受け入れてもらえるような自分にとっての安全基地を見つけられれば、それは何だってどこだっていいんだと真に思います。
自分が社会で生きていくうちに知らずに装備してしまった、形やシステムへのこだわりを一旦外すことは、あらゆる問題解決のとっかかりになりえることを実感する出来事でもありました。