つい手にとってしまう時計
何本か腕時計を持っていても、気がつくとつい手を伸ばしている時計がある。
ぼくにとってそれがこのオメガである。この時計はオメガのジュネーブというモデルで、当時最廉価モデルとして売られていたものだ。
ブランドだとか、希少性だとか、格式だとか、ムーブメントの面白みだとか、理屈で考えると取り立てて目を引く時計ではない。せいぜいオメガであるということぐらいである。
だけど、ぼくはこの時計が好きなのだ。サイズは34ミリでぼくの腕にベストマッチだし、手巻きで薄いのでぶつける心配はないし、針は十分に長く視認性がよい。そして4箇所にふられたアラビア数字が柔らかい表情を作り出していてそのデザインが秀逸である。
というわけでこのオメガばかりを使っている。機械式腕時計は定期的なオーバーホールが必要で、だいたい5年に一度と言われている。そしてこのオーバーホール費用が馬鹿にならない。時計を買うのはいいが維持するのは大変だ。だったら売ってしまえばいいと考えるむきもあるがぼくのはどれもマニアックな時計ばかりなのでロレックスのように高値はつかないし、買った値段を上回ることもない。それにそれぞれに思い出があるので使わなくても持っているのである。
このオメガもそろそろオーバーホール時かもしれない。使用頻度が高い時計ほどきちんとメンテしないと部品が摩耗して修理代が高く付く。よく機械式腕時計は一生物ということがあるが、一生物にしようと思ったら扱いも相応でなければならないのだ。
このオメガはシーマスターというペットネームがついている。今でこそシーマスターは独立したモデルとして売っているが、当時はオメガの防水時計はみなシーマスターだった。裏蓋にシーホースが薄っすらと残っている。もちろん防水機能があったのは当時の話で、今はとっくに非防水である。当時というのは1970年前後ではないかと思う。仮に1970年だとしてもすでに半世紀を超えている。50年以上昔の時計が今でもこうして日常の使用に耐えるのだからすごいことだと思う。
ぼくはこの時計の歴史のほんのわずか10年ほどを知るに過ぎない。一体だれが買って、どんな来歴で人の手を渡ってきたのか。アンティークウォッチの面白さはその物語の厚みにある。
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