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オウンドメディア批評 第二回 オンライン時計メディアHODINKEE

オンライン時計メディアHODINKEEの動画コンテンツ
 
腕時計が好きである。
数年前にHODINKEEなるサイトを見つけて、それが今までにない切り口で時計を紹介していてそれもかなりマニアックな内容だったのですっかりファンになってしまった。
そのHODINKEEが日本に進出したのが2019年。できた当初は日本版のオリジナル動画コンテンツを作っていたようだが、最近では本国の動画に字幕を載せているだけになってしまったのが寂しい限りである。
 
これから触れる動画コンテンツは本家制作によるものが対象になるが、ぼくからの提案は今後作られるかもしれない日本版オリジナルに向けてのエールである。
 

技術的なことについて


 
HODINKEEの動画コンテンツは多岐に渡るが、ここでは個別の腕時計を紹介する”A WEEK ON THE WRIST”について見ていきたい。
 
クールな動画である。とくにオープニングは今どきのかっこよさを全面に押し出した演出だ。非常に凝った編集でプロの仕事を感じさせる出来栄えである。アメリカ人の演出方法は見ていて参考になることが多い。ぼくは留学時代に出会った異国の人々の発想にいつも驚かされていた。生まれ育った環境がいかに重要か身を持って学んだのである。孟母三遷と言うではないか。
 
現在の動画を観て、昔はもっと野暮ったかったなあと思う。だけど、野暮ったかった時代の動画はダメではなくてむしろ今より良かったのである。今が昔より劣ってみえるのはなぜか。
 
(1)  技術的向上が個性を隠す。
ここでいう技術とは編集技術である。撮影技術についてはまた別である。
予算に余裕ができてより多くのリソースを制作にかけられるようになると、たいていの企業がこの落とし穴に落ちる。もっとかっこよく。もっと広告的に。もっとコマーシャルぽく。もっと、もっと。その結果、たしかに見栄えはする映像ができるが、同時に世界中に流布する同じようにかっこいい映像にまぎれてしまうのだ。
 
では、「かっこいい」映像は悪なのかと言えば、編集技術によって「かっこよく」作り込んだ映像は今の時代価値がないと言える。
 
(2)  オープニングと本編の段差或いは落差に注意。
CMのように短い映像ならいざしらず、数分以上ある長い映像を作るときはもっとも気をつけないといけないことであり、ぼくも広告制作で常に悩んだことである。本編がトーンダウンしてしまうのだ。それはオープニングがかっこよければかっこいいほどその落差が激しく感じてしまうのである。本来ならば一番見てもらいたいのは本編である。ところが、リズミカルなオープニングが明けて本編が始まると、オープニングのテンポを維持できないために退屈に映ってしまう。
 
これは企業のPVを作っているとほぼ必ず起こる事態である。ではどうするか。
第一にオープニングを作らないことである。元も子もないことを言うようであるが、そもそもオープニングなど不要なのだ。視聴者は1秒でも早くその内容に触れたいのである。現代ではとくにその傾向が強い。そしてこれから増々そうなっていくだろう。
 
どうしてもオープニングを入れたいのなら、それはすごく短いものにする。ビジュアル化したジングルのようなものでよい。
 
編集で力を入れるべき箇所は当然本編である。それは凝った映像表現を施すということではなく、言葉を慎重に選び、無駄を削ぎ落とすための編集である。撮影した素材は多くの余白を残している。編集とはその素材を彫刻することである。そしてこれは編集ソフトの使い方を習得するよりもずっと難しい。おそらくAIにはできまい。
 

コンテンツのことについて


 
腕時計を動画で見せるメリットは大きい。写真ではわかりにくいサイズ感や質感がよくわかるからである。だから”A WEEK ON THE WRIST”は非常にいい企画である。一週間つけてみた感想も面白い。もちろん時計メーカーからの借り物であるから、完全にユーザー目線というわけではないが、それでもなんとかそれっぽさを伝えようとしている姿勢に共感が持てる。もっともぼくならもっと短く作るだろう。そして短い中により多くのエッセンスを詰め込む。基本的にはナレーションで構成されている動画だから、もっと無駄を削ぎ落として磨き上げることはできると思う。この動画に冗長さは不要だと思うからだ。
 
“A WEEK ON THE WRIST” は日本版でも比較的やりやすい企画だと思う。その際は日本らしさとはなにかをよく考えてくれると嬉しい。これは”A WEEK ON THE WRIST”に限らず、他の動画コンテンツにも言えることであるが、日本から発信する理由がしっかり立っていないと日本オリジナルコンテンツを作る意味はない。だから本家よりも遥かに制作難度は高いだろう。ただ時計にフォーカスしていればよい本家に対し、そこに地域性を加えなければいけないのだから。逆に言えば、そこがローカル版最大の面白みであると言える。
 

まとめ


 
HODINKEEの動画コンテンツはどれもよく考えられていて面白いものが多い。ただ、ぼくが見始めた頃にいたエディターたちは今はもうだれもいなくなっていて、ある時期にがらっと代替わりしたかのようである。それに伴い広告宣伝色が強くなったように見えるのは否めない。企業規模が大きくなるとはこういうことを地で行くようで一抹の寂しさを感じている。時計好きが作る時計好きのためのサイトという雰囲気はだいぶ薄まってしまった。
 
HODINKEE日本版は今オリジナルコンテンツを作ることを許されているのだろうか。余力はあるのだろうか。もし今後制作することになったときは、どうか気取らずに、枠を飛び出した発想で作ってほしいと切に願う。
 

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ちいさな島
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