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やすらぎと刺激を求めて旅に出た。真鶴へ。

昨年の11月に行った旅行についての記事である。なぜ今頃というのも。
もともと知人と雑誌を作る計画をしていてこれはその記事用だったわけであるが、その制作が頓挫したためnoteで公開することにしたのである。

真鶴半島というのは本当に小さな半島で、千葉県のある房総半島に比べたら爪の先ほどもないくらいに小さい。端から端まで歩いても二時間足らずという大きさである。隣が温泉の街湯河原で、県をまたいでそのとなりが熱海だ。真鶴は温泉が出なくて、だからリゾート開発を免れたのかといえばそうではなくて、やはりバブル期にリゾートマンションやホテルの建設が計画されたという。しかし住民の大反対運動があり、さらになかば無理矢理に制定した「美の基準」という条例によってリゾート開発を難しくしたことで、真鶴は変わらぬ町の姿を留めたのだという。

背戸道(せとみち)呼ばれる露地

ぼくが真鶴という土地を知ったのは、宿泊できる出版社真鶴出版をたまたま知ったからである。東京の国分寺に胡桃堂喫茶店というカフェがある。友人に連れられて行った店だった。広々とした店内に本棚があって本も売っているカフェだった。そこで偶然手にした本を作ったのが真鶴出版というわけだ。そこでは本は買わなかったけれども、ぼくのなかに真鶴という地名と宿泊できる出版社のまだみたことのないイメージが残ったのである。要するに、とても興味が湧いたのだ。

消火器があちこちに。道がせまくて消防車が入れないからだろう。

夏休みになったら旅行しようよと子どもたちが騒いでる。九州のおばあちゃんちに行きたいなどとのたまっていたがぼくは反対した。まず第一に、家族四人で福岡へ行くと航空運賃だけで軽く十五万は飛ぶ。LLCであるスターフライヤーがあるでしょうというご意見の答えを言っておくと、スターフライヤーはペットを機内持ち込み可にしたので、猫アレルギーのあるぼくは乗れないのであった。スターフライヤーはアレルギー対策万全と謳っているが、ぼくに言わせればスターフライヤーはアレルギーがなんたるかまったく理解していないと断言できる。

階段を下ればそのまま海へ!

そんなことはさて置き第二に、ぼくはどうせ旅行するなら新しい知らない土地に行きたかった。それも、インバウンドで混み合っているような観光地ではないところへ行きたかった。行ったことのない土地で刺激を受けつつ同時にやすらぎを得たかった。真鶴はそんなぼくの願いを叶えてくれそうな旅先に見えたのだ。

海に大興奮の図。

子どもたちを説得して、真鶴出版の予約も完了して、旅の一週間前になって息子が骨折した。全治二ヶ月。当然旅行はキャンセルになった。半年のうちに二度骨折した息子に呆れつつ、しばらく旅のことは忘れることにした。夏が終わって秋が来た。その秋が深まってすすきの穂が金色に輝く頃、ぼくらはついに真鶴の地にやってきた。十一月になっていた。

まずは地魚をば。

電車に乗って二時間四十分ほど。埼玉県から神奈川県だからすごく遠いわけではない。だけど海に近い土地は空の色が違った。町の色が違った。海のある町は明るくて白いのだ。真鶴の町もやはり白かった。午前中には着きたいと思っていたがのんびり行動していたのでお昼になってしまった。でもいいのである。ぼくはスケジュールに則った旅行などまっぴら御免だった。ぼくはただ余暇を過ごしたかったのだ。

このような露地が延々と続く。

子どもたちがお腹が空いたというのでまずは地魚を食べようと寿司屋へ向かった。真鶴出版で宿泊の予約をすると地元の美味しい店リストが送られてくる。駅前にある福寿司はそのひとつだった。子どもたちは腹が減ると機嫌が悪くなるので駅から近いのはありがたい。漁港だから安いということは全然なくてむしろ都内より高いくらいだったが、たしかに魚は新鮮で美味かった。

平地がほぼないのが真鶴の特徴

真鶴の町は人ひとりが歩けるような細い路地が縦横無尽に走っている。その路地は背戸道(せとみち)と呼ばれ、真鶴の景観を形作るひとつである。地図を見ると真鶴出版までは車道を伝って行くこともできるが背戸道を歩いても行けそうである。俄然ぼくの路地好きの血が騒ぐ。ぼくは路地が大好物である。東京の下町は路地がたくさんあってよく目的もなく歩いたものである。いや路地を歩くことが目的だったのだ。

真鶴出版の宿泊施設。外見と中身のギャップが激しい。

路地からでも行けそうだよ。
ぼくはそういって、せっかく旅に来たんだから行こう行こうとみんなで背戸道に突入した。人ひとりとちょっとの幅しかない細い細い道はくねくねと曲がりくねっていて、その先がどうなっているのかわからないのが面白い。壁は石垣だったり生け垣だったり小さな畑に出たりしながらどんどんいくと真鶴出版に到着した。車道を子連れで歩くと気を使って疲れるから、車の入れない道は子連れにはとくによい。

貸し切り状態の海岸

荷物を預けてまずは海へ行く。海なし県から来たのだからやはり海へ行きたいではないか。岩海岸と呼ばれるその海辺は漁港と岩場と砂浜がコンパクトに集まった海岸で、砂浜では投釣りをしているひとがいた。子どもたちは珍しい海の風景にはしゃいで、打ち寄せる波に向かっていった。ぼくは靴を濡らすんじゃないよと言ってカメラをかまえた。久しぶりに見る海はぼくだって楽しい。子どもたちは海の水がしょっぱいことを確認してから、波から逃げて遊んだり潮溜まりで小さなカニやヤドカリを見つけたりしている。上空ではトンビが弧を描きながら飛んでいた。海辺ではカラス並みに生息するトンビでさえ、僕らの目には珍しい。

空はよく晴れて、目の端で子どもたちを捕捉しつつぼんやりと時間を過ごす荒業をやってのける。十一月だというのに空気は暖かで風も穏やかだ。ぼくは35ミリのレンズでは豆粒ほどにしか写らないトンビを追いかけるのをやめて白く光る橋をゆく車の流れを眺めた。橋は飛び出た小島のような陸地に突き刺さるように生えていた。

黙っていると一日中遊んでいそうな子どもたちに声をかけ、無理矢理引き剥がすように海岸をあとにして宿である真鶴出版へ戻る坂道を登っていく。町のいたるところに消火器が設置してある。道の角々にある。消防車が入れないような道ばかりだからだろう。紫外線の影響で色褪せた消火器入れがまた町に馴染んでひとつの風景を作り出していた。

真鶴出版の宿泊施設。二階が寝室になっている。

真鶴出版は夫婦で経営されている出版社兼宿泊施設である。夫の川口瞬さんが出版担当で、妻の来住友美さんが宿泊担当だ。それに真鶴と真鶴出版に魅せられた山中美友紀さんが編集者兼街歩きガイドとして加わる。そして誰も真鶴には縁もゆかりも無い土地からの移住者である。

小さな泊まれる出版社という本をその場で買った。この書籍は真鶴出版が出来上がるまでを来住さんが書いた半ば自伝的書ともいえるもので、自分で書いて自分たちで出版したものである。真鶴という土地が最初から第一候補にあったわけではなく、日本全国で自分たちが移住したい土地を探して最終的に真鶴に落ち着いた。それから宿泊施設の建設にまつわる話が始まって紆余曲折のリフォームが出来上がるまでが本の中心になっている。

昭和レトロなダイニングキッチン。

ホテルでもなく民宿でもなく宿泊施設と呼んでいるのは素泊まりが基本だからである。自分で料理がしたければ台所が使えるし、外食がしたいひとのためのおすすめお店リストが用意されている。朝食は近所のパン屋さんのパンと手作りのスープがつく。上げ膳据え膳を期待しているひとは隣の湯河原や熱海へ行ったほうがいい。温泉のない真鶴という土地で、一軒家を借りて一晩過ごす。知らない町へでてふらりと散歩する。旅行者らしい旅行者はぼくら以外に目にしない。夏になれば海水浴客で賑わうようだが、初冬ともいえる季節に真鶴へ行くひとは限られている。それがいい。ただぶらぶら歩いているだけだが目に入る景色は新鮮だ。同じ散歩でも住み慣れた町を歩くのとはわけが違う。ああぼくはこういう旅がしたかった。

近所のパン屋さんのパンに近所のコーヒー豆屋さんのコーヒー。すごく丁寧な感じ。

十五時から街歩きツアーをしてくれるというので宿へ戻る。背戸道が迷路のように入り組んだ道を気の向くままに歩くのもよいが、教えてもらって歩くことでしかわからないものもある。ツアーと言っても参加者はぼくら家族だけなので気が楽だ。まず宿で山中さんが真鶴の歴史と地理についてレクチャーしてくれる。それからいざツアーへと表へ出た頃にはもう日は暮れかけていた。薄暗い背戸道を山中さんの解説を聞きながら歩く。坂道を登って階段を上がってどんどん高いところへ歩いていくと視界が開けて湾が一望できるところへ出た。夕闇に包まれた陸地と反対に空はまだ太陽の明るさが残っていた。

来た道を戻る頃にはもう完全に夜で、ぼくらは途中で山中さんと別れて予約していたレストランヘ向かった。honohonoは真鶴では数少ないイタリアンレストランである。美味しい魚が食べたいのはもちろんだが、同時にぼくはワインが飲みたかったのだ。夜になって急に寒くなったせいで、ぼくはいつもより酔っ払ってしまった。魚料理はどれも新鮮で美味しくて注文したそばから空になった。

日の終わり。真鶴の眺望

お父さん顔真っ赤だよと言われてトイレの鏡で見てみればいつも以上に赤かった。白ワインでこんなに酔ったのは初めてかもしれない。だけどお店を出て夜風に吹かれながら歩いていたら自然と酔いは冷めていった。あっちだよ、こっちだよと言いながら宿を目指す。途中の分岐点でぼくと母子で方角の意見がわれて、まあいいやと彼らに従った。ぼくはどちらでも帰れることはわかっていたし、ぼくの道のほうが若干近道だったのだがまあどうでもいいや、である。ぼくはただ些細なことで言い争いはしたくなかっただけだった。

真鶴出版に戻るとスタッフは全員帰宅したあとで、一軒家はぼくらの貸し切りとなった。寝室のいたるところに何十冊もの本が置いてあって、家族それぞれのひとときを過ごすことにした。ぼくは寝転んで本を開いた。息子はサイダーにメントスを入れると泡が吹き出すんだぜと言ってその場で実践し、その横で寝そべっていたぼくのズボンに溢れたサイダーをこぼしてぼくの怒りを買った。子どもは本当にろくなことをしない。そしてこどもといると落ち着く暇など一秒もない。もう寝よう寝よう。ぼくと娘が最初にシャワーを浴びてとっとと寝ることにした。ぼくには計画があった。そう早起きして散歩がしたいのだ。

真鶴出版の宿泊施設。見た目は普通の民家であるが。。。

真鶴の町に平地は海沿いに少しあるだけで、基本的に歩いていれば登っているか下っている。背戸道は階段も多く自然と足腰が丈夫になるだろう。初めて来たぼくら大人はヒイヒイ言って、子どもたちはどこまでも軽やかに駆け上がっていく。見晴らしのよい丘の上までやってきた。街歩きガイドで昨日連れてきてもらったときは夕暮れだったので早起きして再びやってきたのである。朝日に海面は光っていて、風もなく海は凪いでいる。

曙光がさす港

さっそく小競り合いをはじめた兄弟を尻目にゆったりとその時を味わう。高等テクニックである。子どもと一緒にいて完璧な静寂などありえない。知らず知らずのうちにこのような騒ぎをものともしない技術が身についている。

雲が切れて朝日がさした。

海まで降りてみようか、とぼくは声をかけた。
背戸道をつないで、階段をおりて、漁港へと続く道に出た。商店街のようだが、朝が早いから開いていないのではなくてたぶんしもた屋ばかりなのだろう。真鶴は過疎地である。便利さとは対極にあるような土地に移住者が増えているのだから面白い。かくいうぼくら家族も都心から郊外へと引っ越したではないか。便利さがひとを幸福にするわけではない。時として、便利は不幸をさえ呼び寄せる。あえて自ら便利と距離を置くことでしか見えてこない世界がある。真鶴の人々は日々その世界を眺めている。

海岸まではあっけないほど簡単だった。重力のままに、降りていくのはわけない。昨日行った岩海岸と違ってこちらはコンクリートの護岸が整備された完全な漁港だったから、子どもたちには不評だった。やはり釣り人がいて、しばらくその様子を眺めていたがなにも釣れなかった。水面のゆらめきを眺めながらふらふらしていたら来住さんに会った。お祭りの手伝いをしているところだという。丘の側面にたつ家々はみんな海向きに作ってあって、その眺めが壮観であることを教えてもらう。漁港近くに住むひとはほとんど漁師で海を正面と据えているので家の向きが揃うのだ。

スバル360発見。

真鶴出版へ帰ると朝食のパンとスープが用意してあった。テーブルにはクロスが敷かれている。コーヒー豆が置いてあって、傍らに手挽きのコーヒー豆挽きがある。ぼくもコーヒー好きなのでミルを持っているがそれは電動なので手動の操作は初めてだった。ゴリゴリと豆を挽く。なかなかの労働である。琺瑯のケトルでお湯を沸かしてコーヒーを淹れる。深煎りで美味いコーヒーだったので二杯ずつ妻と飲んだ。後片付けをしてチェックアウトの時間まで少しあるから散歩をすることにした。ぼくは知らない方面を歩いてみたかったが、子どもたちがどうしても昨日の岩海岸へ行きたいというので仕方なく折れた。

途中空き物件ののぼりが立っていたので不動産情報を見てみたらちっとも安くなかった。真鶴への移住は高くつきそうですぞ。海岸で丸くて平べったくてすべすべの石をひとつ拾った。真鶴は採石場として有名で、小松石と呼ばれる質の高い石が採れるのだ。そんな石のひとつかなと思ったのである。あとで本小松石を見せてもらって違うらしいということがわかるのであるが。その拾った石をお土産に持って帰ろうとしたら娘に奪われた。自分で拾えばいいのになあ。

いくら小さい町とはいえ一泊ではすべて回りきることはできなかった。反対側はどうなっているのか。路地好きにはたまらない背戸道と移住者が増えているその秘密をもう少し解き明かしたかったが時間切れである。まあそれもよい。子どもたちも真鶴と真鶴出版が気に入ったようでまた来たいと言っている。春になればきっと背戸道に野花が咲いてきれいだろう。同じ道でさえまた違った表情を見せてくれるはずだ。次の旅先が真鶴になるかどうかはわからない。だけど再び真鶴の地を踏む日はそう遠くないのかもしれない。

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ちいさな島
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