ダイヤルを回して
黒電話が懐かしいと思う人は何歳以上であろうか。
40代以上であれば知っていると思うが、30代のひとは映画などで見たことはあっても実際に使ったことはないのではないかと思う。これと同じ形状でダイヤル式ではなくプッシュ式のボタンが並んだ電話なら使ったことがあるかもしれない。
ちなみにこの手の電話機にはカラバリがあって、黒のほかに薄い緑やピンク色の電話機があった。主に黒が家庭用で、その他の色は業務用で使用されることが多かったのではないだろうか。電話機の色が個人で選べたのかどうかぼくは子どもだったから知らないが、当時の電話機はNTTからの貸与品だったように記憶している。それが次第に電話機の高機能化と相まって電気屋さんで購入するものに変化していった。とにかく電話線を日本中に張り巡らすという目的が達成されたので貸す理由がなくなったということでもある。今でもユーザーを増やすために一定期間無料でばらまくという商法は頻繁に行われているがそれと同じである。
ぼくが子どもながらに見た大人の風景につぎのようなものがある。
ダイヤルをいかに高速に回すかということも職務における特技として注目される技術だった。タクシーのマニュアル車運転と合わせて保存したい日本の文化歴史遺産である。今ではマニュアル車のタクシーなどまったく見ないが、昔はマニュアル車オンリーだった。というのもマニュアル車を運転できると、特殊技能手当として給料が上乗せされていたからである。おそらく現在はそんな手当などないのだろう。
ぼくは子どものころタクシーが嫌いで、なにが嫌いなのかといえば車内の臭いが耐えられなかった。大人になった今でもタクシーが嫌いで、なにが嫌いなのかといえば目的地に着くまで落ち着かないからである。電車やバスは乗れば自動的に目的地へ運んでくれるのがいい。
電話の話だった。
黒電話の時代は、一家に電話一台の時代である。
どのうちもたいてい玄関に近いところに電話台を設置していた。サザエさんなんかで見る風景である。キャッチホン(割り込み通話)が登場するまでひとりが電話を占有するといつまでも話し中になる。だから長電話していると親に怒られる、そんな時代だった。異性の家へ電話をかけるときはドキドキする。相手の親父がでたらどうしよう。そんな話を酒の場で年長者から聞かされたことがあるかもしれない。リアリティのない話題にへえとかほおとか声を漏らすしかないだろう。
電話機が個人所有になった現在では考えられないことが昔は当たり前だった。それはとりも直さず2025年の当たり前が2055年には想像することも難しいことになっているということである。そして当時の若者はやはり昔を懐かしんで話し出すのだ。そんな昔話を懐かしめる世の中であって欲しいと願う。
さて、このダイヤル式電話機であるが現在ではもう使用することができない。というのもNTTがダイヤル回線を廃止したからである。したがってこの黒電話は正真正銘の単なるオブジェになった。久しぶりに取り出してみたが、電話、音声通話がコミュニケーションツールの主役だった時代を象徴するように実に貫禄のある佇まいである。