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レイモンド・キンマンさんの臨死体験のお話。

レイモンドさんの臨死体験のお話の適当訳です。動画は全部で1時間くらいありますが、訳は半分まで(後半はインタビュアーとの質疑応答になっています)。間違い等ありましたらご指摘おねがいします。語彙がないのは…許してください笑。繰り返し気味かな〜というところは省略していたりします。最初の猫の画像は彼のお話とはあまり関係ないんですが笑、愛を感じられる写真かなと思ってのっけてます。。


ー レイモンド、あなたは先日IANDS(International Association for Near-Death Studies)のサウスベイでのイベントでご自分のNDE(臨死体験)についてお話しされましたが、わたしのチャンネルの視聴者にもそのことについてお話しいただけますか?

喜んで。まず最初に、NDEという用語は的確じゃないと思うんです。僕はむしろAfter Death Experience(死後体験)と言いたい。近い(Near)とかそういうことじゃないんです笑、僕は向こう側に行ってしまったんです。そして帰ってきました。

これは僕が9歳のときに起こったことです、1966年ですね。そのころはこういう話題はタブーで、一般的じゃなかったんです。僕は早い段階でこれは口にしてはいけないことなのだと学びました。人々が軽蔑的な眼差しで見るので。

大人になってからずっと、どうにかして、どこかしらで、誰かのために、自分の体験を役立てたいという強い思いを抱いていたのですが、なかなか実現しませんでした。最近になってやっと状況が変わって、国中やそれこそ世界中に旅してお話しするという名誉に恵まれています。そして皆さんにこの体験をお話ししてますが、僕は自分自身をレポーターのように思ってるんです。グルじゃないですし、特別な知識があるわけでもない、普通の男なんです。タッパウェアパーティーに行ってそうお話しするんですが笑

(訳注:タッパウェアパーティーとはこんな感じのやつみたいです笑)

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明らかに普通じゃないことが僕の身に起きたんです。ものすごく深遠で…。9歳の頃のことなんて殆ど記憶にないですよ。クリスマスにジョニー・イーグルのおもちゃのライフルをもらったとか。女の子の方が男の子より魅力的に見え始めたとか。

ー 9歳でですか?笑

ええ笑。4年生ですよね。魅力的に「見え始めた」ってことです。9歳の頃のことなんて殆ど思い出せないです。でもあの死後体験に関してはものすごく細かいところまで覚えているんです。

ー お話ししてください。

はい。殆どの方は何が起きたのかと聞くのですが、そんなにお時間取りません、あれはマーシャルアーツの事故でした。頭を激しく打って痙攣し、舌が気道を塞いで息ができなくなり、死んだんです。その時点では意識を失っていました。顔面からコンクリートの地面に倒れて。強烈に頭を打ったんですね。

意識を失ったと言いましたが、僕の「気づき」は途切れてはいませんでした。眠って起きる、みたいな感じじゃないんです。

それと、これから僕が話すことは一連の進展していく出来事のように、また場所や物質が存在するように聞こえるでしょうが、僕たちが身体を離れるとき、スペースというものは存在しないんです。上も下も、横も前も後ろもないんです。時間もありません。過去も未来も。

どんな言葉ならあの感覚を説明出来るかと長年考えていたんですけれど「永遠に展開する今」という感じです。殆どの皆さんはそれを何かしらで僅かながらに体験してると思うんです。ダンスとか、素晴らしいミュージカルを観たときとか、とても強烈なオーガズムとか。自分が誰か、どこにいるか、そういうことを一切忘れて今だけにとどまるとき。あちらでの体験はそれらのもっと極度に強まった感じです。すごく美しいんです。

永遠に展開する今…。僕はレイモンドですが、誰かが僕の名前に-ing をつけたみたいで、もうレイモンドという名詞じゃないんです。あのとき僕はレイモンドの動詞、レイモンディングになっていた。そんなふうに感じたんです。そしてその永遠に展開する今は、全くもって解放的な、パワフルな感覚なんです。

それと…身体がなかったように感じたのですが、本当に身体がなかったんです。浮遊する球形の意識体というか、これが僕の表現の限界ですけども。時間と空間というのは僕たちの言語に組み込まれているんですよ。だから一連の進展していく出来事のように、特定の物について話しているように聞こえるでしょうけれど、違うんです。ただただ、言葉による制約です。

身体を離れたとき、自分がどこにいるか、何が起きているのかもわからず、事故の事も覚えていなかったし、今しかなくて、場所も物質もなく、僕は…なんて言うんでしょう、虚空?にいたんです。色も、光も闇もなく、重力もない、感覚もない、何もありませんでした。

すごく頭が混乱して、何が起きたか全くわかりませんでした。でも(そんな身体のない状態でも)まだ論理的に考えることは出来たんですね。何が起きてるのかを理解しようとしたんです。

すごく怖かったです。どんどん混乱して、自分が誰でここはどこで何が起きてるかという、そういった事実にしがみつくことも出来ないし、恐怖がどんどん強まって増幅されて。

そして制御不能になってきて、こう考えたのを明確に覚えているのですが、僕は狂ってしまった、そう思いました。そうしたら何となく少し落ち着きました。「もし僕の気が狂ってしまったんなら何も出来ることはない」そう思って(理解しようとする努力を)放棄しました。

すると全ての混乱が止まって、喜びの感覚が湧き上がり、最初は満足感とか安心感といったものだったのが徐々に強まって、全くの純粋な至福に包まれました。本当に美しい体験でした。

これをご覧になっている方は多分トンネルの話だとか、自分の身体を上空から見下ろしていたとか、そういったことを聞いたことがあるかもしれませんが、それらの体験は僕に関してはなかったです。でも、一点の白い光に気付きました。それは強烈で、煌く、太陽の何百倍も眩い小さな光だったんですが、非常に美しくて、そして生きてるんです。息をしているみたいで。

それでなぜかわからないけれど、そこに行かなければならないと思ったんです。近付くとその光は更に強烈になって大きくなり、より美しく、愛おしくなりました。そしてその光は僕を吸収して僕になり、僕はその光になったんです。

死後体験者はここで感じた愛についていろいろな表現をしますけど、僕もこの愛を形容出来る言葉について考えたんです。無条件の、純粋な、パワフルな…。 

僕が一番ふさわしいと思ったのは「無限」という形容詞です。(目を閉じながら)すみません、目を閉じるとあの場所に戻れるので。

あれは無限の愛でした。自分の赤ちゃんに対する愛を想像してみてください。これまでに一番強烈に抱いた愛の感覚を。お母さんでも、犬でも。何でもいいんです。想像してみてください。無限の愛です。終わりのない。とてもパワフルで、浄化の白い愛の波動が、次々と僕に押し寄せてくるんです。そして僕はその光になったんです。とても美しい体験でした。

長くなってしまうので全部は無理ですが、いくつかハイライトをお話ししますね。

皆さん愛する人やペットを亡くされていると思いますが、僕は当時9歳でした。それで、僕の犬、スキッピーがあちらにいたんです。彼は毛が生えて足があって…という姿じゃなかったんですけれども、それでもスキッピーだったんです。彼も浮遊する球形の意識体でした。彼は僕を吸収して、僕も彼を吸収して、コミュニケーションをしたんです。それは完璧なコミュニケーションでした。

人間のコミュニケーションというのは、あなたが何かを言ってそれを僕が理解するとき、僕自身のフィルターのせいで全く別物になってしまうんです。わかりますよね。だから人間のコミュニケーションには欠陥があります。でもあちらでのコミュニケーションは完璧だったんです。(ちょっとこの辺早口でわかりません)

一つ目のヘッドライン、あなたの愛する人、ペットは、あちらにいます。また会えるんです。

次のハイライト。僕はプロの画家でミュージシャンでもあるんですが、現在本を執筆中で、それには21枚の絵も含まれており、向こうの世界をビジュアルでも知覚出来るようになってます。この動画でも見られるよう、あとで画像をお送りします。

あちらで僕は金色の円柱が並ぶ光景を見ました。物質は存在しなかったので、たぶん光か何かで出来ていたと思います。ジャックと豆の木みたいにドーーンとそびえて、エントランスのように見えました。でもそこには入らなかったので、何だったのかはわかりません。

次のヘッドライン。僕は浮遊する球形の聖霊か何かのようなものに迎えられました。彼は僕を知っていて、ちなみにそれは男性的存在でしたが、身体がないのでそれが天使なのか何なのかご説明出来ないんですけれども、僕と同じ知的存在でした。

僕を名前で呼び「レイモンド、おいで。見せたいものがあるんだ」と言って、彼が僕を吸収し、僕が彼を吸収し、一つになりました。そしてお互いを愛おしく感じました。スキッピーに対して抱いたのと同じ愛情です。極めて強烈な愛でした。

そして膨大な数の疑問に対する答えがどこからかダウンロードされたかのように一瞬で与えられ、僕は理解したんです。おかしなことですが、それは学んだとか、教えられたというよりも、既に知っていたという感じでした。思い出したと言っていいでしょう。僕はそれらの膨大な疑問の答えを最初から知っていたんです。僕は宇宙や多元宇宙がどのように機能しているのかを理解しました。全てのことが完全に理にかなっていたんです。

(↓このあたりの文章ちょっと間違っていたら教えてください。全然自信ないです)

次のヘッドライン。その光の存在は、ものすごく重要な、僕がこの三次元世界で生きる目的を教えてくれました。ところでこれは僕に起きたこととしてお話ししていますが、あなたに関することでもあるんです。なぜならあなたの人生の目的を果たさない限り、宇宙は展開(?)出来ないからです。

多くの方々がこのことで悪戦苦闘しているのを知っています。生きる意味とは何だろう?何でここにいるんだろう?くだらない仕事をしてアホみたいな上司に仕えて、家に帰ってテレビを見て…。なんか他にもっとあってもいいんじゃないか?と。

それに対するたくさんの答えも聞いたことがあります。聖職者、グル、司祭、牧師、教師などが、僕たちの生きる目的は、学び、成長し、次のレベルに移行するためだと主張しています。輪廻転生があるかどうかに関して僕はお答え出来ませんけれども、完全なる魂に進化するためにこうして生まれ変わり、前進し続けるのだと彼らは言います。

だけど僕の、あなたの生きる目的は、学びとか成長とか、次の段階に移行するとか、そういったことと全然関係ないと光の存在は言いました。

(学ぶとか成長するとかの話は)一見筋が通りますよね。僕たちは成長して、大人になるし、レッスンも学ぶし、願わくばですけれど笑、より賢くなって歳を重ねる。だからそれらの主張は正しいように聞こえますが、僕がはっきりと言われたのは、僕の、そしてあなたの生きる目的は、愛すること、ただそれだけでした。成し遂げるのは難しいですけど。あなたは愛するためにここにいるんです。

愛と言ってもほんわかした気持ちみたいなものに関してお話ししてるのではなくて、愛というのはもっとずっと多次元の、複雑なものなんです。向こうの世界ではそれは明白で、全てのものは愛からできているんです。愛から出来ているんです!(机や自分自身の身体を叩きながら)これらは愛なんですよ。神の愛の表現なんです。もし神という言葉がお嫌いなら、何か他のものに差し替えてください。

そうすると、おそらく古くから問われ続けている問題にぶち当たると思うんですが、つまり、もし神が善良な愛すべきものなら、なぜ悪や恐怖などが存在するのかということです。もし神が純粋な愛ならば何でそんなことが可能なのかと。

世の宗教は神の反対の存在を編み出す必要に迫られて「それは悪魔がやっているのです」と言っているように僕は思うのですが、それって神が悪魔も作ったということになりますよね。辻褄が合いません。

僕が一つだけはっきり言えるのは、向こうの世界には何の裁きもないということです。贖罪とかも。僕がしたことで許されなかったことなどなかったし…ここで言う「許し」というのは、(許されるべき出来事など)ハナから存在しなかったと見做されるんです。僕がしでかしたアホで頭からっぽの行いなんかも償う必要なかったんです。神は僕に責任を追及しなかった。神はそれらも含めた僕を愛してくれた。それは完全な許しでした。

死後体験者の中には地獄のような体験をしたと言う方もいることは知っています。はっきりしたことは言えませんけれど、彼らの体験と類似するようなものはありませんでした。でも、もし僕が死後体験の最初の段階、虚空にいて、混乱して恐怖に慄いていた…その段階で生き返ったとしたら、多分僕も地獄のような体験だったと思ったかも知れません。よくわかりませんが。

そして、死後体験の最終部分ですが、光の存在に「創造主を紹介しましょう」と言われ、神と対面しました。どうでもいいですが神には顔はありません。大きな白いあご髭を生やしてライトニングボルトを持っているわけじゃないんです。何度も神を絵に描いてみようとするんですが、どうしても描けません。

ご自身がハッブル宇宙望遠鏡になったと思ってください。あなたの周囲に銀河が広がっていて…。銀河の写真を見ると、小さな星の光で銀河が出来ているのがわかると思いますが、ここでは無数の星の光が果てしない彼方まで存在していると仮定してください。僕はその無数の星の光のひとつだったんです。そして僕らは全てのものと繋がっていた。どの小さな光も…ツェツェバエも、なめくじも、人間も、岩も、過去に生きた人々も。岩も生きてるんです。説明できませんが、岩もまた、神の愛によって出来ているんです。全てのものが神の愛から出来ているんです。

つまり全ての存在、過去に生きた人々もそこにいて、僕たちはみんな繋がってひとつになっていました。僕たちは分離していますけど、僕はレイモンドではあるんですけど、僕、僕、僕…笑。でも僕は「僕たち」でもあったんです。僕たちは集合的にひとつであり、或いは神だったんです。

「ああ…僕は神の無限の可能性と力を持っていたんだ…」そう思いました。僕は神ではなかったんですけど、その全ての小さな光との繋がりを通して、僕は神でした。だから僕は神ではないけど神だったんです。

それは大きなひとつの浮遊する球形の意識体のようだったのですが、僕らは歌っていたんです。二度と忘れられないほど、その歌は非常に美しいものでした。賛美の歌だったんです。それが僕の出来るベストな表現ですけれども。それは愛の歌で、僕らがこの地上で理解できる歌というのは安っぽい偽物と思えるくらいです。味わい、触れ、飲み込んで、消化するような…。

全ての次元を内包して、こう歌っていたんです。純粋な無限の愛とともに、お互いに対して「私はあなたを愛しています…私たちはあなたを愛しています…」と。それは非常に美しいものでした。

多くの方が死に対する恐怖を抱いているのを知っていますが、僕は全く恐れていません。早く戻りたくて待ちきれないくらいです。急いではいませんけど笑。僕はここでできるだけ長い間、ダンスするために、遊ぶために生まれてきたのですから。

ひとつ言えるのは、もしあなたが自殺を考えているなら、それは機能しないってことです。その考えはリストから削除したほうがいい、なぜならあなたが思ったようにはいかないので。はっきりとはわかりませんけど(注:この辺早口でわかりません…)近道はないんです。あなたは、あなたの生まれてきた目的を達成しなければ死ぬことはないんです。

それで…僕らは僕に言いました。「僕ら」って言いましたけど笑。今はまだその時ではないので戻らなければならないと。僕は癇癪を起こしました笑。いやいや僕は戻らない、と。戻るという意味すらわからなかったんです。死んだことも知らなかったんですから。

「いやだ、戻らない!神様は間違ってる!」すると「今はまだその時ではないから君は戻らなくちゃいけない。でも君の目的を果たしたら、いつでも帰ってきていいんだよ」そう言われました。そして自分の身体に戻されたんです。


以上です。

めちゃくちゃ長くなり、また文章がとても稚拙で翻訳も間違っているかも知れず申し訳ないのですが、大体が伝わってくれればと。