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わたしの好きな動画(監獄で自由を手に入れた男性のお話)
写真は江ノ島の見晴亭からの景色です。このお店が好きで、行くといつもわくわくしてしまいます。
さて。日々色々な出来事が起きて落ち込んだり、自分は何をしたいんだろう、なぜ生きているんだろう、みたいな事がわからなくなりそうなときに見ると落ち着く動画がありまして、みなさまにシェアさせてください。
アメリカのスピリチュアルティーチャーであるアジャシャンティさんのお話です。そんなに英語が得意ではないので、間違いがあったら教えてください。あと語彙がなくて文章が稚拙ですがご了承ください。。
「わたしはとある刑務所で素晴らしい人に出会いました。あれはどこでしたっけ…(アシスタントさん的な人に訊いている)サン・クエンティン、ありがとう、わたしは終身刑の人たちにお話をする為にそこへ行ったのです。
そのうち何人かは何度も終身刑を言い渡されていて…彼らが何をしたのか、みなさんにもご想像出来ますよね。彼らの殆どが、残りの人生を刑務所で過ごすのです。
いろんな年代の人がいましたが、20代〜30代の若者が沢山いたことが非常にショックでした。そんな若者が残りの人生を、最期の息を引きとるまで刑務所で過ごす…想像出来ますか?
それで…始めに彼らにお話をしていて、そのとき、多分40代後半と思しき男性に気が付いたのです。彼は輝いていました。何というか、光を発していたんです。
受刑者とお話をして…今こうしてみなさんとお話しているように… 彼らをありのままに受け入れて信頼してお話していると、彼らはいつも驚くべき発見を与えてくれます。
お話のあと、先ほどわたしが気付いた男性が手を挙げ、立ち上がりました。他の誰も立ってないのに、彼は立ち上がったのです。そしてこう言いました。『まず最初に言いたいのは、俺があらゆることを、そして全ての人を愛してるってことだ』彼はそこにいた40人ほどの受刑者を指差しました。『お前らにこの愛を止めることは出来ない。絶対にな!!』
『ここにいる何人かは本気で俺を試したがな、それでも俺の愛は止められないんだぞ!』
そして彼は、かつて彼自身が本当に本当に手の付けられない囚人のひとりであった頃の話をしてくれました。彼は頻繁に独房監禁されたそうです。何週間も、何ヶ月も。刑務所内で何らかの暴力行為を行ったりするとそうなるわけですが…
どこの刑務所の独房も酷い環境なのですが、サン・クエンティンの独房は本当に酷くて、窓もなく、陽の光も当たらず、そしてそこに23時間半のあいだ、ひとりきりなのです。(食事を持ってきてもらったりする時だけ人と接するということですかね)
彼は言いました『俺はそれまでの人生ずっと怒りを抱え、その怒りは殆ど制御不能なほどだった。全ての人、あらゆることが悪いんだと思っていた。クソ真っ当な理由があったんだ』
『ある日独房で座っていると、突然壁が鏡のようになった。そして全てのことがそこに映し出されたんだ。俺の今までの人生が、何週間も、何ヶ月も』
そして彼は言いました『俺が何を見つけたか分かるかい?俺がこのムショにいるのは誰の責任でもないと、そう分かったんだ。奴らがどんなに俺を冷酷に、惨く、乱暴に扱ったとしても、思い付く限りの最悪な出来事が起きたとしても、それでもそれは誰のせいでもないと、そう気付いたんだ』
『そしてそのことに気付いたとき、すべてが静まり返った。そしてその静けさの中、胸のあたりに小さなピンホールほどの光が現れ、俺はそれを見つめ、感じていた』
『するとそれは輝き始め、徐々に大きく、大きく、大きく…更に大きくなっていった。それは存在の全てを覆い尽くした。俺に危害を加えた奴、俺が痛めつけた奴、俺自身、存在するもの全て…そして俺は気付いた。その光こそが俺なのだと』
『わかるかい?その光は、刑務所でさえ俺から奪うことの出来ないものなんだ』
彼は最後にこう言いました『俺はシャバにいた何時どんな時より、今こうしてここにいるほうが自由なんだ。なぜならシャバの奴らの多くは、俺がハートに持っているこの《愛》を知らないからだ』
美しいお話ですよね。
そして彼はそこにいた人々を指差しながらこう締め括りました『俺はお前らを愛している、何人たりともそれを止められはしないんだからな!!』
みなさん、どうやって生きていけばいいか分からない、なんて仰いますが、彼は刑務所にいるんですよ。犯罪者たちに囲まれて残りの人生を過ごすんです。いつかナイフで刺されるかも知れないし、殺されるかも知れないし、暴行を受けるかも知れない。彼が聖なる光を放っていたとしても他の人たちは全然気付きもしないし、意に介さないかも知れない。想像してみて下さい。
でもそれは、彼にとって何の障害にもならないのです。彼にとって何も。ではわたしたちには、一体何が障害になりうるというのでしょうか?本当に素晴らしいお話ですね。
わたしは禅のトレーニングを受けたことに、ある意味で感謝しています。語り継がれた偉大な聖人たち、深く敬愛されるマスターのうちの何人かは、殺人犯であったり、窃盗犯であった過去を持っているのです。誰もがみな煌めく星の元に生まれたわけではないのです。非常に非道徳的とも言える背景を背負った聖者もいるわけです。
わたしはそこにいつも美しさのようなものを見い出します。それは、あなたがそうしない限り除外すべきものは何もない、ということを表しているのです。現実は、神は、何も除外しないのです。
それに対してわたしは大いなる安らぎを感じます。非常に大きな安らぎを…過去の大変カリスマ性のある師、そしていわゆる一般的な師、その全てが、偉大な存在なのです」