子供と離れる罪悪感
月平均6日帰宅
それは月に6回子供と一緒に自宅の布団で寝られる、ということなのですが、
・6日しかいられないなんてありえない
・信じられない
・子供達がかわいそう
・子供が精神に異常をきたす
・うちなら離婚ものだ
・旦那さんに同情する
とにかくまぁ、いろいろと言われました。
”非常識な母親”か?
周囲の反応に対する覚悟はしていましたが、子供が絶対不幸になるという予言はさすがに堪えるものがありました。
不安というものはゼロにしようと頑張ったり、見て見ぬ振りをして隠したりするものではなく、
気付き、向き合い、いかに小さくしてあげられるか、、、
もう一人の自分と相談して一緒に考えるものなのではないでしょうか。
復職前も復職中も、不安というものは常にありました。
私は家族を不幸にしているのか?
船乗りって、7ヶ月間海の上で過ごすらしいのです。
船乗りでなくても、海外出張や単身赴任で数ヶ月単位で家族と会えない人もいます。
最終の新幹線のぞみ車内には新幹線通勤する女性達がいて、相席の際、話し込むこともしばしばありました。(終点博多行き以外の人には寝過ごしたらアウト!という意識があるので、そういった意味でもどこか連帯感がありました。一期一会の行きずりだからこそ話せることがあるんだと思います。)
仕事だけでなく、病気や諸般の事情で離れ離れにならざるを得ない家族もいます。
世界一安全とはいえ、出産で亡くなる母親は日本でも毎年約50人います。
月6も会える
寝息はいつまでも聞いていたかったし、腕枕で痺れるほど大きくなった頭の重さや、触れた足の温かさは最高でした。
一人で寝る気持ち良さと一人で寝る寂しさの両方を経験していたので、子供達と一緒に寝られるありがたさを実感していました。
当たり前の弱点
当たり前になると見えなくなるものがあります。
育休取得で決断を先送りして復職を諦めようと自分を納得させようと頑張っていた頃は、
・この子には私がついていないとダメ
・私がいないと家が回らない
といったことを諦める理由にしていました。
確かにそれは事実ではあるのですが、この考え方は一歩間違えると自己犠牲に結びつきやすい、危険な考え方であるとも言えます。
こんなにしてやっているのに
一度目の復職前は綿棒の置き場所も銀行預金の下ろし方も母親しか知らない、母親の私に聞かないと分からない状況でした。
母親の城を築くことで、自分の居場所を作ろうとしていないだろうか?
家族を自分に依存させることで、自分の存在価値を認めさせようとしていないだろうか?
自分でももしかしたら、薄々気付いていたのかもしれません。
量より質の子育てって?
子供を預けて仕事をするのが優れているとか、カッコイイとかいう話ではありません。
大切なことは、
子供と向き合う短い時間を、子供と一緒に、どれだけ濃く楽しめているか
ということなのではないでしょうか。
家族はチームメンバー
私も一人の母親であり妻であり人間ですから、子供と離れる罪悪感が全くないと言ったらウソになります。
そりゃあね、寂しいですよ。
初めての○○とか、立ち会いたい。
家族旅行のお客様を見て、泣いて別れた我が子を思い出し機内のトイレで泣いたこともあります。
『私、子供置き去りにして何やってんだろう…』
何度思ったことか。
でもチーム家族として家族一人一人への感謝の気持ちさえ忘れずにいれたら、一緒にいようがいまいが、きっとどんな形でも、きっとチーム家族として一致団結できる。
一度目の復職から3年半経った今も、私はそう信じています。
~量より質で、私は勝負する~