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これまでの振り返り②田舎暮らしと私

これまでの振り返りシリーズ第2回。

今年1番大きなイベントは、住む場所を変えたこと。
Iターンして2年暮らした田舎から都会にUターンをするという、なんともややこしい経緯だ。

「おじいちゃんになりたい」

隠遁生活。幼い頃からボンヤリやってみたい気持ちがあった。
人里離れたところで畑を耕してゆっくり暮らすみたいなの。

僕は小学生の頃から「枯れた老人になりたい」と言っていた。
ただ、明確なきっかけやモデルになるヒトがいたわけではない。いろんなヒトを見る中で育まれてきたことなのだと思う。
一番古い記憶は『指輪物語』のガンダルフ。実家に原作があって、かっこいいなぁとなって、以後いろんな作品で賢者キャラを推すように。ドラクエで「けんじゃ」の育成に心血を注ぎ、ベストキッドのおじいちゃんを見て空手を習い出した。10万円くらいするボロボロのローブっぽいコートを買ってくれといって親を困らせたりすることもあった。
大人になってからは《かしこかわいい系おじいちゃん》に好みがシフトしていった。ヨーダ(star wars)とか、宝蔵院胤栄や柳生石舟斎(バガボンド)みたいなのも良い。ヨボヨボで半分ボケてるのに、力感のない技で相手を制圧しちゃったり、経験や知恵で若い主人公をたすけたりする。強いのに一貫して穏やか。そういうところが好きだ。彼らはよく人里離れた僻地で質素に暮らしており「僕もこれやりたい!」と思い続けていたのかもしれない。

10代の頃に欲しかったもの

隠遁生活は《10代の頃に欲しかったもの》でもあったと思う。
僕はわりと小さい頃から周りの大人が先回りして掛ける声(指導やアドバイスなど)を「邪魔だな」「自分の思ったように試してみたい」と感じていた。
でも実際は大人たちの言うことをよく聞いていたし、大人たちが喜ぶような立ち回りを心がけていた。いろいろお得だったから。小学生〜中学生くらいまで、友達の親や先生からの評価が高いおかげで同級生から謎にすごいヒト扱いされたり、ちょっとモテたり。夏休みの宿題ブッチしても謎に許されたり、いろいろ。
別に狙ってやっていたわけではなく、「ヒトの好意は断るべからず」とか「行儀が悪い人間はクソ」みたいな、親から引き継いだルール(と破った場合の罰則)が怖すぎたからそうしていたんだと思う。
だから、自分の頭の中に浮かぶアイデアはあるけど結局自分で考えたとおりにはできなかったな…という思いを何度も繰り返しては後悔して、なんとなく自分にも周りにも憤りみたいなものも感じていた。

「誰にも口出しされずに暮らしてみたいな」
僕は、不便を受け入れて僻地に引っ込めば、そういう暮らしができると思っていたのかもしれない。

田舎暮らしよかった

さておき
田舎では畑付きの広い家を借りて暮らしていた。
かなりいろいろできたと思う。

家が結構ボロかったので内装を修繕。
床の張り替えや薪ストーブの設置、天井を剥がしたりもした。壁の穴を塞いで断熱材を施工したり内壁を漆喰で塗ってみたり。水道の配管修理もできた。
使われていなかった畑を耕して、野菜と花の苗をたくさん植えた。
冬から育てた苗を春に植えて、夏は毎朝草取りと水撒き。秋には収穫した野菜や花を摘んで加工したり、売ったりする経験もできた。

ご近所さんが様子見に来てくれて、差し入れにと美味しい野菜や珍しい果物をもらったり、こちらからも作ったお菓子を持って行ったり。一緒にごはん食べたりすることもできた。

疲れて帰ってきた

こういうのだけ見ると結構満喫してる感じがするし実際そうだったのだけれど、せっかく移住した田舎の生活をどうして手放したのか。
現時点でしっくりきてる言葉があって

《体力不足》だ。

都会にいるときよりもハードだったのだ。
都会でやってたのは
①自分の担当する仕事
②職場のコミュニケーション
③家事
④趣味
⑤わりと親しいヒトたちとのコミュニケーション

一方、田舎に来てからは
①自分の担当する仕事
②職場のコミュニケーション
③家事
④趣味
⑤わりと親しいヒトたちとのコミュニケーション
⑥そうでもないヒトたちとのコミュニケーション
⑦知らんヒトとのコミュニケーション

⑥⑦の追加でやられた。
ものすごくコミュニケーション場面が多い。いや、僕が都会でコミュニケーションしなさすぎだったのか。なんせ、想定外の消耗だった。
僕は移住の経験を経て、いわゆる”田舎”を《古き良き深いコミュニケーションが残る都会》と思っている。僕が住んだいわゆる"田舎"にはイオンもコンビニもあるし、通販にも対応しているので、身の周りの《モノ》に関して都会と大きな違いはなかった。多くの家庭で家系の基盤はお勤めによる給与で、暮らし方も大して変わらない印象。スーパーに買い物行くのが徒歩ではなく車…とかはあったけど、むしろ車の方が便利でノーカウント。

大きな違いを感じたのは《地域に関わる年代の構成が違うこと》だ。
若いヒトがホント少なかった。Z世代とか会ったことないもの。
ほとんどが60歳OVERで、主力は70歳前後のヒトたち。
なので彼らの文化が強い。コミュニケーションのスタイルも然りで、彼らはよく話す。仲良しの相手はもちろん、職場のコミュニケーションも淡白ではない。なんなら、たまたま隣に居合わせただけのヒトにも普通に話しかけておしゃべりするし相手も普通に答える。初見じゃない感じでしゃべるのよ、話す内容も僕が思うよりも表面的でないというか、わりとつっこんだ内容までいくし。同世代のコミュニケーションに感じる緊張感みたいなのが薄いのが興味深かった。

僕は深いコミュニケーションは嫌いじゃないのだけれど、真面目さが祟ってコミュニケーションで消耗する性質があり、だから人間関係も狭く深くやってきたと思う。
田舎でも楽しくおしゃべりしていたんだけど、すべてのヒトに同じ深さで接するのが、キャパオーバーだったんだろう。すっかり疲れてしまった。
共に移住した同居人も似たような性質…というか僕に輪をかけてコミュニケーションでの消耗が激しいヒトで、一足先にダウン。彼女をケアしながらアレコレやっていた僕も燃え尽きてしまい、あえなくリタイヤ。
ふたりで「帰ろう」という気持ちなった。
実際は他のいろんな出来事が重なり合って引越が決まっていったんだけど、それはまた機会があれば。

「ちょっと考えればわかるでしょ?」と言われてしまうかもしれないけど、今の日本で、僕のイメージする《僻地》はごく稀なんだろうなぁ。
田舎暮らし自体はホント楽しかったので、今回の経験踏まえてふたりでまた挑戦するつもりでいます。たくさんのヒトと話せる体力つけたい。

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