祖父の占いは当たらない
祖父は占い師
わたしの祖父には、パワーあった。
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そんな祖父は、占いのようなこともやっていた。というのも、祖父は小学生のときに、一家全員の名前を改名させたという逸話があるのだ。わたしが知っていた祖父の名前は、いわゆる通り名だったらしく、戸籍に書いてある本名は別にあった。それを知ってから、祖父の郵便物を見たら、確かに、祖父の名前ではない別人の名前が混ざっていた。
なんでも、親につけてもらった本名は、
姓名判断的にすごく良くない画数だったらしい。
だからといって、小学生で改名しようとするのもすごいし、それを許した両親とはどんな人だったのか気になる。
わたしの名前も祖父が姓名判断で決めた。
「命名書」というのがあって、そこには、祖父がいろいろ試行錯誤してわたしの名前を選んだ様子が書かれている。
小学生のときに、「自分の名前の由来」を家族に聞いてきなさいという宿題があり、
「姓名判断でした」と発表したときの、先生の微妙な顔は忘れられない(笑)
自分の名前を変えてしまうほど、姓名判断を信じて、
自分の子どもや孫たちのほかにも、人に頼まれて名付け親をしてきた祖父だが、
晩年、驚くことを口にした。
「姓名判断、ありゃ当たらんわ。音声学のほうが当たる。」
え・・・笑
(晩年、祖父は『音声学』というものを学んでおり、名前が発する音の気で運勢がわかるというようなものだった。)
それでも、わたしは、ある程度姓名判断を信じている。
祖父につけてもらった名前を、誇りに思っているから。
冴えていた祖父の直感
祖父がポロっと口にした言葉が当たっていることもよくあった。
本当に驚いたのは、わたしが恋愛相談をしたときのことだ。わたしは当時24歳。どうしても子どもが3人欲しいわたしは、婚活に励んでいた。合コンや街コンが盛況していた時代だ。コロナ前・・・懐かしい。
合コンは誘われたことがなく、街コンに行っても、誰ともどうにもならなかった。
そこでついにわたしは、婚活パーティーに行くことにした。
若かったわたしは、婚活パーティーというガチめな恋愛市場では需要があったらしく、慶応出身の自称エリート(笑)と形式上のカップルになって、連絡先を交換した。
わたしのモテない人生の中で、
その頃が一番ツイている時期だった。
ちょうどその頃、同い年の親戚から、職場の同僚を紹介してもらった。慶応エリートと出会ったのと同時期くらいから、紹介してもらった男性ともメールの交換をしていた。
どちらも素敵な人たちだった。
「選べない」
そんなときだった。
祖父の身体の具合が悪くなってきているのが気になって、母と共に祖父の家に遊びに行ったのだ。祖父は、身体を横にしてテレビを見ていた。動くのがしんどそうだったけれど、それを見せないように気を張っているようだった。
「お前、最近どうだ?」
と祖父が言った。
「あ、そういえば、おじいちゃん。今わたし、付き合いたいなと思ってる人が2人いてね、次に付き合う人とは結婚も考えたいと思ってるの。どちらもいい人だから、本当に迷ってるんだけど、どうしたらいいかな。」
祖父は、わたしのことが大好きだったので、
小さい頃から、「お前がお嫁に行っちゃうなんて言ったら、泣いちゃう」
と、わたしの恋愛の話を牽制し続けてきた。
しかし、
そのときは、祖父は真面目に話を聞いてくれた。
「そうか。じゃぁ、二人の苗字と名前を言ってごらん。」
と言った。
わたしは、まず、慶応エリートの名前を伝えた。
すると、
「ほぉ。うん、いいよ~」
と言った。
「結婚してもいいってこと?」
と気が早いわたしが言うと、
「うん、問題ないと思うよ。」
と言った。
「二人目はね・・・」とわたしが話す。
「●●●●」と、苗字を言うと、
そのあと、わたしが名前を言うのと同時に祖父が
祖父「〇〇〇」
わたし「〇〇〇」
ハモったのだ。
「あれ?おじいちゃん、知ってる人だった?」
と聞くと、
「いや、知らないよ。勝手に口から名前が出てきた。」
と言うのだ。
驚いたわたしは、
「その人とわたしの相性はどうなの?結婚しても大丈夫?」
矢継ぎ早に聞くわたしに、祖父は
「この人もいいよ~。どちらを選んでも、大丈夫。」
と言った。
わたしは、そのあとすぐに、
慶応エリートには、もう連絡はできないことを伝え、
親戚に紹介された人と付き合うことになり、結婚した。
それが今の夫だ。
当たらなかった占い
祖父のことを、世界中のどんな人よりも信用していた。祖父の語る人生の真理みたいなことは、説得力があったし、迷ったり困ったりしたときには、いつも祖父に相談していた。
祖父は、四柱推命や手相占いもできて、
車に乗ったときや、散歩をしているときに、よくわたしの手相を見ていた。
「ねぇ、なんて書いてある?幸せになれるって書いてある?」
とわたしが聞くと、
「あ~。幸せになれるよ~」
といつも言う。
「ねぇ、ほかには?悪いことは書いてないの?」
と聞くと、
「なーんにも書いてないよ。」
と言う。
そんな馬鹿な。わたしを心配させないために、言っているんだ、と思っていた。実際、そうだったと思う。
でも、一度だけ、きわどいことを言ったことがあって、
すごく記憶に残っている。
「お前は、子どもに苦労させられるぞー」
今まで、プラスのことばかり言われてきたから、
祖父が何気なくこぼしたその言葉が、ずっと胸に刺さっていた。
祖父が亡くなり、
わたしは、祖父が名前を当てた夫と結婚し、
子どもを3人産んだ。
どの子もそれなりに大変だ。
「お前は子どもに苦労させられるぞー」
祖父の声が、今までに何度も蘇った。
いつ、その苦労がやってくるのだろうと、身構えてきた。
長男が3mの崖から自転車ごと転落して骨を折ったとき。
次男が円形脱毛症になって、髪の半分が抜け落ちたとき。
三男がローラースケートで転んで、第三の目が開眼したかと思う場所にでっかいたんこぶができたとき。
どんなときも、祖父のあの言葉があるから、
「いや、おじいちゃんが言ってた苦労って、こんなものじゃないだろう。
こんなの全然苦労じゃないな」
と思って
今のところ、祖父が唯一わたしに言ったマイナスの占いは
当たっていない。
これからも、きっと当たらないと思う。
こんなの、まだまだ苦労じゃない。
全然乗り越えられるもの、と。
いつか、祖父に言ってやるのだ。
おじいちゃんも、まだまだだね、って。