人生の敷かれたレールから降りるときの恐怖心
幼い頃から自然と形成されていった価値観
なんとなくだけど、自分は人より『レールから外れること』『人と違う道を行くこと』に対して、かなり恐怖を抱いてきた側の人間だと思う。
中学の時からそれは自覚していて、人間関係キツくて学校行きたくないって時も、『集団から省かれたくない』『不登校になってレール踏み外して、将来とんでもないことになりたくない』という恐怖心があって、気合いで学校に通っていた。
だから、学校・部活がだりいなって時も我慢して行ってたし、親や先生の言わんとすることを察して、安定した進路を選んできた。
また、自分の家族親族まわりも価値観の形成に大きく影響している。
それは、みながみな”安定志向”であるということ。
周りは警察、銀行員、鉄道関係で働いてて、「オレ音楽やってます」とか「ネットで配信してます」みたいな人が誰一人としていない。
だから、うちで人と違うことをするなんてもってのほかで、そういう活動を理解してくれる人が周りにいなかった。
そういうのが当たり前の環境で育ってきて、幼い頃から如何にも日本人らしい保守的な考えに触れながら(刷り込まれながら?)、自分は大人になっていった。
”敷かれたレール”から降りなければならない瞬間
人生でそういう瞬間が自分にもあって、それが24才の頃。
前に勤めてた会社(通信系 / IT系)が”The 保守的”なところで、その会社が嫌になってやめる時に「あ、これやめたら、もうこのレールには戻ってこないだろうな…」とふと感じた。
今まで周りの言うことを真面目に聞いてきたけど、じゃあトータル生きてて気持ちよかったか、楽しかったかと言われると素直に ”Yes” とは言えないと感じたからだ。
だから、自分にとってその会社をやめるということは、
「会社をやめる」=「今までの安定した人生のレールから降りる」
という意味合いになっていた。
また、当時は精神的にかなり追い込まれていたし、相当な覚悟を持ってやめた。
当時を振り返った時に、安定した人生のレールから降りる心境が”アレ”に似ていると思った。
(まあ、実際バンジー飛んだことないんだけどww)
保守的な考えを刷り込まれてきた自分にとっては、
とにかく、一歩踏み出すことがめちゃくちゃ怖かったし、
できることなら現実から目を背けて、逃げ出したかった。
でも、当時は”うつ”という存在によって、紐なしバンジーを飛ばないといけない状況まで人生が悪化していたし、勇気出して飛ぶしか選択肢がなかった。
『飛ぶしかねぇ…』
そう決意して(もちろん家族から背中を押してもらって)、なんとか会社をやめることができた。
人生の敷かれたレールから降りる瞬間とは・・
きっと、その人の人生にとって『自分自身で意志を持って、行きたい方向に行かなければならない瞬間』なんだと思う。
あと、そういう時ってなぜか今まで上手くいってたことが、上手くいかなくなったりする。(仕事や人間関係とか)
そういう時が来たら、「あっ、今は変わらないといけないタイミングなんだろうな」と諦めて、次に進む。
自分の経験上、変わらなければならない時に、現状に執着して変化を拒むと、さらに状況が悪化していくように思う。
もちろん、”敷かれたレールの上を走っている人生”であっても、本人が毎日に満足していて、幸せであるなら良い。
自分の体験談が、誰かの人生の参考になれば幸いです。
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