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中間報告的に

本になるまであとどれくらいだろう。結構進んだのではないかしら。

わたしやみずき書林(ひいては岡田林太郎さん)と、もともとつながっていたり関心を持たれていた方々であれば、ここ数ヶ月のあれこれの出来事に、ざわざわと心中落ち着かない日もあったのではないかと思う。

しかし旅本の制作に関してはご心配なくで、淡々と、しかしあつあつちんちんの情熱でもって、せっせとこしらえております(「ご心配なく」という言いかたは少しおこがましいけれど、”心配する”という状況がそれぞれに・おのおの各方面で切実だったことを思うと)。

よく夢を見るほうだったのに、春くらいからカラダなのか脳なのかなんの仕組みなのか、夢をとんと見なくなった。そんなわたしが先日ひさしぶりに見た夢は、印刷所で本のページがなぜか新聞の輪転機でジャッジャと刷られ流れてくる場面だった。

作業していたページたちが刷られ、わたしの前をすごい速さで通過する。「わあわあ」と胸をおどらせていたら、次の瞬間には製本されたじぶんの旅本が目の前に積み上がっていた。そこでわたしはケモノのように泣いてしまう。

夢ながら、夢にいるじぶんはどこかリアルで、起きているわたし自身が思うように「わーこんなに泣いちゃってごめんなさい」と夢の中のじぶんが思い、岡田さんと見元くんにそう謝っていた。夢の中でもふたりはやさしい。

そして、

その夢からパッと目が覚めると、わたしは本当に泣いていた。みたい。泣いた覚えはないけれど、起きたら顔上部が涙でべしょべしょしていて、耳の小さなくぼみに涙がたまっていた。

夢を見ているときに泣く、というのは初めの経験だった。

この夢の話を先日の打ち合わせで話すと、印刷所では水分ご法度らしく、そんなわたしは煙たくつまみ出されること必至、とのこと。ご教示ありがとうございます。危ないところでした笑。泣かぬなら、泣かぬままいいこうホトトギス、ですね。?

まあ、なんのかんの和気あいあいと取り組めています。「どうしてこれを本にしたかったのか」を忘れずに、ラストスパートに向けがんばりたい。本になったら、感傷ビッグウェーブで波乗りし、興奮チョモランマに登り、頂きで外国料理なんかを用意して乾杯したい。

智秋の名のせいか大好きな季節、秋がやってまいりました。みなさま、よい秋を。本ができた暁には、なにとぞというかどうぞお手にというかもうはっきり言って「買ってください」ですね。おほほ!

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煮詰まったときはよそ様の台所拝借

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