【福島県・小高にて震災と今のリアルをみてきたお話①】
株式会社Huberの「遊ぶ広報」というサービスを使って、2泊3日で福島県南相馬市小高区に行ってきました!
遊ぶ広報については【福島県・小高にて震災と今のリアルをみてきたお話③】で触れます!
私にとって初めての福島。震災についても初めて学びました。
2泊3日だったとは思えないほど盛りだくさんな経験をしたので、ここでは、私が感じたことを大きく3編に分けてお伝えしたいと思います。
日本人が忘れてはならないあの大震災と原発事故を経験した地域について、是非皆さんにも知っていただきたいので、長いですが読んでいただけると幸いです。
第1編 未だに残る震災の痕跡
①あの日のままの双葉町
ツアー初日、小高の近くの双葉町を訪れました。
双葉町は「帰還困難区域」という、放射線の影響で未だに人が住めないエリアです。
パッと見は普通の街なのに、家もお店も全部抜け殻。
時計は震災の時の時間で止まったまま。
本当に時が止まったような、異様な光景でした。
当時シャッターをあげるスイッチがきかなくなって、車でぶち破った痕跡が残っています↓
他にも、やたらとだだっぴろくて何も無い場所(元は住宅街)や、
ひたすら土や瓦礫が山積みにされている場所、
不自然に曲がったガードレール、
放射線で汚染された土を入れた黒い袋の山など、
震災から10年経っても生々しく痕跡が残っていました。
震災はまだ終わっていない、「復興」はまだまだ続くことを感じました。
②あの日を伝える伝承館・請戸小学校
そして、双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」には、生々しく痛々しい震災当時のリアルがしっかりと残されていました。
震災当時、小学6年生だった私は、子どもながらに自然には抗えないなと、こんなのが起きたらもうどうしようもないなと思ったのを覚えています。
ただ、伝承館に行って、あれは自然災害だとは言いきれない部分があると感じました。
地震も津波も原発事故も、ある程度予測はされていたにも関わらず、甘く見て対策しきれていなかったということです。
自然災害は必ず起こる。ただ、人災にしてはいけない。
できる限りの対策を自分自身でとらなければいけないことを強く感じました。
ほとんど当時のまま残されている請戸小学校↓
③あの日がもたらす弊害
意外だったのが「ソーラーパネル問題」です。
元々農地だったところにこれでもかとソーラーパネルが↓
写真には到底収まりきらない量。こんな光景見たことないし、これも異様でした。
使われなくなった農地とはいえ、景観も損ねるし、土壌が悪くなったり火災のリスクがあったりと、いろんな問題があります。
ただ、お金になるからソーラーパネルにしちゃうんですよね。
ソーラーパネルだけじゃないんです。
汚染土壌の仮置き場も、国が1000万出して買い上げた農地です。
除染後に新たにいれる土は、同じく国が買い上げた山を削って出てきたものです。
これに対し、環境負荷や景観破壊を危惧して反対する住民の方ももちろんいらっしゃいます。
「お金に換えるため、地元にもう住んでいない人が簡単に売ってしまう」
「人がいないからって、福島をバカにしてる!」
「何のためにこの美しい小高に移住してきたんだ」
「ここは日本でもトップレベルのほ場で、平らな水田が誇りだったのに」
いろんな声をお聞きしました。
農家さんの畑の前に広がるソーラーパネル畑↓
高齢化によって農地や山の利活用が難しいのは重々承知ですが、それでも、地域資産としての自然環境が、お金でいとも簡単に壊されていくことが恐ろしく感じました。
これが今も続く震災の弊害です。
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以上、小高ツアー初日に感じたモヤモヤでした。
ただ、このネガティブな気持ちがツアー2日目にてガラッと変わりました。
今の小高を生きる人々と、その人々が震災をどう捉えているかについて、【福島県・小高にて震災と今のリアルをみてきたお話②】で話します。
つづく。
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