りそうしゅぎのぼやき☆*:.。
とても久しぶりに歴史展示をみにいきました。
フランス文学研究者の常設の展示館です。ああでもないこうでもない思考を巡らせる非常に楽しく有意義な時間となりました。その勢いに任せて学生時代の論文を読み返したり積読に手をつけたりしています。気楽で心地よい自己啓蒙。自己満足。贅沢。
自分の興味に従って勉強(ここでは知識を深める行動を指します)をしていくと、どんどん心身合一から離れていく。肉体に執着があるからこそ肉体に対しての拒否や嫌悪が起きているので、表裏一体ですが。
生活をガンガンやっているうちは肉体に対して拒絶的な考えはそんなにないのですけど(そりゃ生きるために動いてるんだからね)、勉強をして思考の没入があると着々と理想主義が進行し、この肉体をさっさと手放せたらどんなに幸せだろうかと強く思う。
肉体があるからこそ失墜する事柄も大いにあるね。
許可なしに触れられることも突如肉欲の矛先を向けられることも私の肉体を操作しようと意図されることも全て、苦痛。といった経験がある。外側から私の肉体を介して精神を脅かす。恐ろしく辛い。
魂だけで在れば僕達は永遠の双子でいられたはずなのに、今世でそれは難しい(←厨二病の患者さん)。
肉体という牢獄のもとで本当の自由を手に入れることは不可能なんではあるまいか。
どうしてこんな肉体に否定的なのかというと、それはもう最初からでした。子供の頃からぼんやりとずっと感じていた不便さ不自由さ。そして物事ついて哲学的な思索を深める中で、そして実体験を重ねる中でどんどん肉体を嫌悪するようになった。主観と客観が伴って、生活のなかで学問が実証されていく過程で、プラトニズム的思索がスムーズで心地よいと感じるようになった。
かなり核心的なことをうたっているぜ。
そうはいっても魂だけではどうにもならんし、拒絶するために己が操を傷付けたり過度な変形を行うことはしていませんが(今のところ)。
めんどくさいことに肉体を「魂のうつわ」と認識することにも、それはそれで懐疑的である。割り切れたら楽かもしれないけど、少しズレてるんだよな。
お腹が空くのも疲れるのも眠くなるのも全部ばかばかしい。自分の身体性(=実在)を獲得するために(もしくは獲得できないことを知るために)実験的な活動はたくさん行っていて、コンカフェで働き始めたきっかけの1つにも由来しています。どこまでいっても肉体=資本であることから逃れられない。かなしいな。
こういうモードが行き過ぎてしまうと実生活がままならなくなって夢遊病患者みたいになる。
今もし大金を手に入れたら、速攻仕事を全部辞めて生活を手放して教育機関に籠って研究する! 評価を気にせず学問に没入する! 社会のお荷物上等! 厄介で迷惑な遊歩者になる!
これも現実逃避です。
ちょっと疲労が溜まっている!!!
現実に向き合い続けています。急に爆発することはないので大丈夫です。生活は続く。生活の中で踊りつづけてみせる。
ただやっぱりこれだけは、これだけはそう。
肉体はクソ! どこまでも下卑ている!
はやくぬいぐるみになりたい。
おわり。