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匂いの記憶
娘の髪を、ずっと「新生児の身体も髪も洗える」タイプの赤ちゃん用ボディソープで洗っていた。
もう4歳なのだけれど。
特に理由はなく、換えるという発想が湧かなかっただけだ。
先日、ふと、わたしのシャンプーとコンディショナーで洗ってみた。
娘は喜んでいた。
そして、
「ママの匂い!!」
と言った。
わたしは、実はここ数年、湯シャン(シャンプーを使わずお湯で髪を洗うこと)派である。
完全にそうしているわけではないのだけれど、シャンプーするのはごくたまに、だ。
それでもそのシャンプーは「ママの匂い」なのだな、とちょっと驚いた。
* * *
嗅覚ってすごい、と思う。
何かの匂いが、一気にその瞬間見ていたもの、聴こえていたもの、肌で感じていたもの、心が感じていたものをよみがえらせる。
それが何年も、何十年も前の場面であっても。
あの再現力(を持っているこの身体)!
カンロの梅のど飴の匂いを嗅ぐと、わたしは高校2年生の冬を思い出す。
その頃、なぜだか梅のど飴が好きだった。
カバンにはいつもその袋を入れていて、授業や部活の合間に舐めていた。
高校2年の冬は、吹奏楽部のクラリネットの仲間たちと出場するアンサンブル・コンテストのことしか考えていなかった。
毎日時間を確保して練習し、学校の開いていないお正月もどうにか集まって吹いたものだ。
あの熱量。
仲間たちの表情。
自分のなかに渦巻いていた期待感。
「この日々が終わらないでほしい」という心地よくも少し寂しい感覚。
これらが、梅のど飴でいつでも味わえる身体になっている(笑)
* * *
娘が大きくなって、もしも久しぶりに「4歳の頃使っていたシャンプー」を使うことがあったとしたら、どんな映像を思い出すのだろうか。
何を感じるのだろうか。