利き手が腱鞘炎になって分かったこと~気づかず身体を酷使していた事実から学ぶ~
ある日、利き手である右手が腱鞘炎になった。
動かす度に鈍い痛みが走る。
家事をするのも、趣味や勉強をするのも、
思うように出来ない。
苛立ちと不安と焦りの入り交じった感覚に
日々が鬱々としてきた。
何か打開策を……と思っていたとき、
あることをひらめいた。
それは、左手で生活してみてはどうか、ということ。
全部は無理でも、左手を出来るだけ使い、
右手を休める時間をより長くする。
そうすれば、直る速度も上がるだろう。
生きていく中で、手の登場場面は意外に多い。
それを減らしつつ、出来るだけ左手で生活する。
その左手を使う生活の中で、見えてきたことを
書いていこうと思う。
1.右手に頼りすぎだったこと
まず、何より感じたのは、
自分がいかに右手に頼る生活をしていたか、とうことだ。
身支度も、料理も、食事も、洗濯も、掃除も、
文字を書くのも、絵を描くのも、楽器を奏でるのも。
今まで気がつかない程、無意識に右手を使っていた。
上げていけば、切りがない。
これでは、腱鞘炎になっても当然だ。
自分が思っている以上に、右手を使い過ぎていたのだから。
2.左手のペースがちょうど良かったこと
次に気がついたのは、
左手でも充分に出来ることがあり、
むしろ、ゆっくり暮らすには左手のペースがちょうどいい、
ということだ。
私の利き手は右手と書いたが、
元々は左利きだった。
それを幼稚園くらいの時に、
母が、今後の私の生活を考えて、右手に矯正してくれたらしい。
なぜなら、その頃、
世界は右手で使用することを前提に作られたもので溢れていた
から。
今でこそ、左手用や両手用の物が売られるようになったが、
私の小さい頃は全てが、右手を使うことが標準仕様だった。
なので、
私の元利き手である左手の技術レベルは、
幼稚園で止まっている。
推定五歳。
その推定五歳の左手で、
身支度、料理、食事などをやってみた。
意外に出来はするが(元利き手だから)、
ペースはすこぶる遅い。
いや、あえて『ゆっくり』と言おう。
けれど、
「ゆるゆると生きる」と決めた私には、
それが心の落ち着くペースだということが
段々実感として湧いてきた。
機械的に野菜を切っていたペースは、
手を切らないように注意を払うようになり、
自動的に口へ運んでいた一口は、
味わうようにゆっくりと口へ運ぶようになった。
(そうしないと、料理がこぼれ落ちる……汗)
無意識に磨いていた床は、
どこにゴミがあって、どういう力加減が良いかを
じっくり考えるようになった。
左手でも充分出来るし、
何より私の目指す生活に寄り添うペースだったと
新しい発見が出来た。
3.無意識に自分を追い立ていたこと
最後は、「ゆるゆると生きる」と決めながら、
実は、
意外とせっかちなペースで日々を送っていたことに気づかされた
ことだ。
包丁で薄く野菜が切れない。
上手くできずにご飯粒を落とす。
手に上手く力が入らず、床の汚れが綺麗にならない。
上手くいかないことを上げれば切りが無いが、
それに対しての苛立ちや焦り、不安がぶわっと心を占めた。
どうしてもっと早く出来ない?
早く食事をして、勉強しないと!
このまま右手が腱鞘炎のままだったら、これからどうしよう……。
そんなネガティブな感情に包まれていた時、
はたと気がついた。
あれ?
これは、仕事をしていた時と全く同じ思考回路では?
仕事を辞めて、「ゆるゆると生きる」と決めたのに、
なんで同じようなことを繰り返しているの?
どうしてか突き詰めて考えに考え、
ようやく結論に辿り着いた。
私は、いつも無意識に自分を追い立てていたのだ。
それが、
「仕事」であろうが、
「家事」であろうが、
「勉強」であろうが、
全く関係なかったのだ。
なんて、本末転倒なことをやっていたのか……。
自分の癖に呆れてしまうやら、情けなくなるやら。
でも、それもこれも、
右手が腱鞘炎になってくれたおかげ。
これを機に、自分のペースを見直せばいい。
これから、自分のペースで「ゆるゆる生きる」なら、
利き手でないと出来ないこと(小説や文字、絵をかくこと、勉強など)と、
利き手でなくても出来ること(家事全般、生活全般)を
使い分けていくことも大切だなと実感した。
何より、利き手に頼りすぎていて、
これから、
小説を書いたり、絵を描いたり、文字を書いたりしてそれを仕事にし、
あらゆることを勉強していこう、
と思っているのに、
利き手が使えないと、そもそも、それを叶えることすら出来ない。
だから、
右手と左手で使い分けをしつつ、
「ゆるゆると生きる」ペースを、
推定五歳の左手に教えてもらいながら生きよう。
偶に、右手の使い方をお手本に
「お米を箸で掴む方法」や「包丁で薄く切る方法」を
伝授してもらいながら、
「ゆるゆると生きて」いこう。
改めてそう思った。
4.まとめ
利き手である右手の腱鞘炎を通して、
右手の使い過ぎに気がつき、
自分を追い立てずに「ゆるゆると生きる」には、
左手のペースに合わせて生活するのが一番、
ということを学んだ。
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