150年前のクリスマス&誕生日のプレゼント、ワーグナー作曲《ジークフリート牧歌》世界初演
ちょうど150年前の12月25日の朝、リヒャルト・ワーグナーの妻コジマは音楽の響きで目を覚ましました。
部屋の外に出ると、階段に小編成のオーケストラが並び演奏していました。
これが《ジークフリート牧歌》世界初演でした。スイスのトリープシェンの家でした。
演奏はチューリヒ・トーンハレ管のメンバー、場所の関係上小編成になっています。
ルキノ・ヴィスコンティの映画《ルートヴィヒ、神々の黄昏》の中で、この時の場面があります。とても印象的なシーンです。
さて、コジマはフランツ・リストの娘で1837年12月24日に生まれました。しかし当時の習慣で、誕生日のお祝いは25日にするので、25日生まれとなっていることも多いようです。
コジマは、20歳で指揮者ハンス・フォン・ビューローと結婚し、2人の娘をもうけますが、5年後にはリヒャルト・ワーグナーと出会い、いわゆる『不倫関係』になります。なお、コジマはリヒャルトより24歳若く、身長は15㎝も高かったそうです。
これは当時の社交界の大スキャンダルとなりました。上述の映画《ルートヴィヒ、神々の黄昏》の中でも、ワーグナーを崇拝するルートヴィヒ2世(ノイシュヴァンシュタイン城を建てたメルヘン王)に対し、周囲がご注進に及ぶというシーンがありました。
しかし、ワーグナーとコジマはスイスのトリープシェンで生活し、1869年には長男ジークフリートが生まれ、コジマは70年にフォン・ビューローと正式離婚。
この年、コジマの33歳の誕生日にワーグナーがプレゼントしたのが《ジークフリート牧歌》です。
コジマは自分への個人的なプレゼントとして、長らく公の場で演奏することを禁じていました。
しかし、今はオーケストラのスタンダード・ナンバーとしてよく演奏されます。
またこの曲は《ニーベルングの指環》の第2夜《ジークフリート》第3幕の最後に使用されています。
ところで、昨年11月7日、熊本県山鹿市の八千代座で、ケント・ナガノ指揮ハンブルク・フィルのメンバーによる『熊本地震復興のためのチャリティー・コンサート』がありました。
私は11月6日に日本着、すぐに熊本に飛び、このコンサートを聴きました。
プログラムの最後は《ジークフリート牧歌》でした。
演奏前にケントが「人生には、なにかが変わる決定的な瞬間があります。ビフォー・アフターのアフターではそれまでの世界がまったく違うのです。ワーグナーもコジマと出会い、初めての男の子が誕生し、何かが変わったのだと思います。この曲はそんな時に作曲された曲です」というような挨拶をしました(ただし、もう1年以上前のことなので正確に覚えておらず、申し訳ありません・・・)。
ちなみに、楽劇《ジークフリート》でも第2幕第2場でファフナーを殺して返り血を浴びたジークフリートが突然小鳥の言葉を理解できるようになります。イニシエーションというわけですね。
ま、この血なまぐさいイニシエーションは別として・・・
まずは、この《ジークフリート牧歌》、耳を澄まして頭をからっぽにし、心を開いて、じっくりお聴きください。
チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルの演奏はテンポが遅めで、23分くらいかかります。