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旅の話:ドッビアーコ(トープラッハ)①、グスタフ・マーラーの作曲小屋
8月18日、イタリア北部、南チロルの街ドッビアーコを訪れました。
ドッビアーコはドイツ語ではトープラッハと言います。
タイトルの写真はドッビアーコ湖(©️DP)
ドッビアーコの位置。この地図でもわかるようにオーストリアとの国境に近い。
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トープラッハはグスタフ・マーラーが1908年〜1910年の夏に滞在した街です。
マーラーはここで《大地の歌》、《交響曲第9番》、《交響曲第10番》を作曲しました。
マーラーは1900年から1907年の夏はヴェルター湖に滞在していました。
それ以前1893年から96年まで滞在したアッター湖についての投稿は以下をどうぞ。https://note.com/chihomikishi/n/nc4a99382e6c5
1907年はマーラーにとって運命の年になりました。
ウィーンの人々からのユダヤ人差別、プレスの執拗な攻撃もあり、マーラーはウィーン王立オペラのインテンダント兼音楽総監督を辞任することになったのです。
マーラーはオペラの改革者でした。
しかしそれはウィーンには合わなかったのです。
しかしマーラーの功績は大きい。
逆に言うと、意地悪なウィーン人がマーラーを追い出すのに10年かかりました。
1907年には娘のマリアが4歳で亡くなり、自身も心臓病を患い、マーラーはヴェルター湖畔のヴィラには戻らず、夏はトープラッハに移ります。
マーラーは「トープラッハ、ここは素晴らしい。体と心を治してくれる」と記しています。
これはマーラーが滞在した家。長らくレストランとなっていましたが、現在は閉まっています。
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マーラーが作曲したのはここからすぐ近くの小屋です。20平米くらいでしょうか。
左に見える屋根が作曲小屋です。
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マーラーは午前中を作曲にあて、食事もここに運ばせました。
妻のアルマにすら仕事中にここを訪れることを許さなかったそうです。
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備品はオリジナルではありません。
マーラーはウィーンからこの小屋にピアノを運ばせました。
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小屋から出たところで眼前に広がる風景。
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マーラーは1910年の夏を最後に、ここを訪れることはできませんでした。
マーラーは1911年5月18日、ウィーンで亡くなりました。わずか50歳でした。
FOTO:©️Kishi(©️DP以外)
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