【中学受験シリーズ】母親の勲章
母親トラ
私の母は、寅年生まれです。私の中学受験は、寅年の母親が主導していました。カリキュラムを決め、私の勉強時間や生活時間を管理し、志望校も母親が決める。私はただ言われたとおりに動き、指定された塾に入り、言われた勉強するだけでした。
そんな勉強だけの生活の中で、最も辛いのは、なにかにつけて母親から暴力が振るわれることでした。
暴力のきっかけは、毎回ささいなことでした。テストの点数が悪かったことはもちろん、この問題に答えられなかった、この答えを間違えた、課題が終わらなかった、よそ見をしていて勉強していなかった、帰宅が遅かった、そのような日常の一つ一つの出来事で、暴力が始まりました。
私は、自分の部屋のちゃぶ台で勉強していましたが、母親は、たいていちゃぶ台に向かい合わせに座って勉強を監視していました。
夜遅くまでの勉強で、あまりに眠くなった私がペンを握りながらうとうとすると、向かい側から母の蹴りが飛んできます。顔を上げて母を見ると、トラの形相でにらんでいます。
あるときなど、私が理科を勉強していると、ふいに
「南蛮貿易と朱印船貿易は何が違う!」
と、日本史の質問が飛んできます。答えられなければ蹴りが入る、といった具合でした。
母親が家事などで席を立つときも、部屋のドアは常に開けるルールになっており、台所から丸見えでした。
暴力のレベルは、母の機嫌によって違いました。機嫌が一番良いときは、蹴り、次に軽いのが、小突く、ノートを投げるなど。まあまあ機嫌が悪くなると、平手で頬を叩く、爪でばりっと顔をひっかく。機嫌が最悪なときは、私の髪を掴んで立たせ、部屋を引きずりまわすような感じでした。私は必死にベッドの柵にしがみついていた事を覚えています。もちろん、怒鳴られるのは日常茶飯事です。
質問に答えられないだけでこのような暴力沙汰になっていたので、毎日、2,3回は、蹴る、殴る、ひっかく、それに対して、私は泣く、叫ぶ、逃げるなどをしていて、阿鼻叫喚。勉強しているのか喧嘩をしているのかわからない状況でした。
その様子を見てたまりかねた、当時中学生の姉は、一度
「喧嘩している時間があるんだったら勉強したら。私が勉強見てあげようか」と母に言ったそうです。
「私の教育方針に口を出さないで!」と返されたそうです(後日談)。
母親の勲章
この寅年ならではの、「ひっかく」という「しつけ」は、幼少期から頻繁になされていたので、私は生傷が顔に耐えたことがありませんでした。母親は機嫌の悪さに任せて、思いっきりひっかくので、頬の肉が少し削れて血が出る、それがかさぶたになるまえに、また別の傷ができる。
顔にいくつも傷を作り、悲壮な面持ちで塾に通っていたものだから、学習塾でも私の母親の事は有名になり、
「あの母親は、包丁であの子を脅して勉強させている」
と言う噂が立ちました。実際包丁を出されたことまではなかったので、その噂は真実ではありませんでした。その噂は母の耳にも届きましたが、母は、
「そんなのは無視していればいいだ。そんな噂が立てられるのは、子供に教育熱心な母親の勲章だ」と笑い飛ばていました。
どこまでも強い、トラのような母でした。
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