【経験談】普通の僕がどうしてもテレビ局に入りたくて就職留年した話【就活ノウハウも】
はじめまして!都内キー局で働くchihoと申します!
そもそもchihoって何者?って方が多いと思いますので、
私の自己紹介の代わりにどのような就活を経験したかについて書こうと思いました。
このnoteを立ち上げたきっかけ
テレビ局と聞いて、皆さんはどのようなイメージを思い浮かべますか?
「斜陽産業」「テレビ離れ」「オワコン」などと言われていますよね…
私がテレビ局に入社した年もそう言われていました。
それでも、毎年私の元には、「テレビ局に入りたい!」と目をキラキラさせてOB訪問にやってくる学生が多くいるのも事実です。
そういう学生さんの熱量を見ると仕事の励みになりますし、なんとかして背中を押してあげたいと思うものです。
一方で、「あまり現実的でないな〜」とか「熱量はあるけど、あまり魅力が伝わってこないな〜」と、社会人になってから気づく、学生とのギャップは年々深まっていきました。
私は就活に全力で打ち込んだという自負があり、就活留年を経て、
内定0→88社受験→2社から内定
という経歴をもっています。
社会人になった視点と、就活に全力で打ち込んだ視点から、少しでも学生さんのお役に立てることがあるのではないか?と思いこのnoteを立ち上げました。
これは僕なりに勝つためにはこれくらいやったという、初心に帰るために備忘録でもあり、テレビ局に受かるためにはこれくらいやった方がいいという、ある意味マスコミ・テレビ局就活マニュアルでもあります。
最初の就活失敗
先述の通り、私は大学4年次と5年次、計2回就職活動をしています。
理由はただひとつ、どうしてもテレビ局で仕事がしたかったから。
共働きの我が家は、ガキの頃からテレビが親代わりみたいなところがあって、気づけば絵に描いたようなテレビっ子として育ちました。
高校生の頃にはテレビ局という何となくキラキラした感じの業界に憧れを抱いていました。
そんな私ですが、4年次は広告代理店しか受けていなかったです。
学生時代はイベント系のサークルでPR活動をしていた
という呪縛から逃れられませんでした。
イベントでPR活動していたから就活では広告業界が有利だろう
面接でサークルのことについて語る
サークルの話を得意に話すも、なぜか不採用の通知ばかり
という、知らず知らずのうちに自分の気持ちに蓋をし、なりたいものではなく「なれそうなもの」を探している自分がいました。
もう電通・博報堂をはじめとした大手の採用も終わり、
「何のために就活をやっているのだろうか…」と失意の底にいた時、
ほぼ遊びで受けた某キー局があれよあれよと4次選考まで通過。
「もしかして…」と期待したところであっさり撃沈。
そこで初めて悔し涙を流しました。
ああ、本当はテレビ局に行きたくて行きたくてたまらなかったんだ、と。
テレビ局に落ちたことで、改めて本当の気持ちに気付き、就職留年の選択肢が頭をよぎりました。
てめえが好きなものをてめえの言葉で語れよ、という一番シンプルなことに気付くには、
僕にはもう1年必要でした。
就職留年の風当たりを適切に把握すべき
僕が就職留年を決意するまで
僕はどうしてもテレビ局に行きたかった。というか、中途半端に良いところまで行ってしまったおかげで、どうしても行きたくなってしまった。
自分の気持ちに蓋をしてまでやっていた1年目の就活。大学を卒業したら40年、人生の大部分を占める「仕事」。
本当にこれでいいのか…?という葛藤がどうしても抑えられなくなってしまいました。
だったら、もう一回真剣に取り組めばいいじゃないか…。
周りは100%反対する
就職留年の風当たりを適切に把握すべきです。絶対にです。
みんな応援してくれるよ〜なんて甘い考えは絶対に捨てた方が良い。
まず両親を説得する所からがスタートです。
就活を既に終えた同級生やサークルの仲間も、どうせ1年やったってうまくいくわけないのに…と内心思っています。もう腫れ物みたいな感じになる覚悟を固めてください。
友人はみんな卒業していく
当たり前ですが、周りの友人は就活を終えていて、1学年下の後輩との戦いとなります。みんな卒業するし、みんな卒業旅行に行きます。
ある程度のコミュニティに属している大学生なら、卒業旅行の経験は1回くらいありますが、そこで息抜きするか人生の思い出を作るかは皆さん次第かと。僕の場合、テレビ局就活序盤の山場である2月だったため、断りました。
本当に悩みましたが、友人関係は一生続くものだと前向きに捉え、一生ついて回るファーストキャリアを棒に振ってはいけない。
その根源にあったものは、どうしてもテレビ局に入りたいという固い信念だったと思います。
君はそれでも自分の夢を叶える信念を持てるか
ここまで読んでくださったならお気付きかと思いますが、就職留年は自分との闘いです。
学生最後に待っているはずだった楽しいこと。思い出。あらゆるものを犠牲にしてまでなりたい職業はあるか?これが全てだと思います。
当記事は就職留年を推奨するものではありません。
言い方を変えれば、学生時代の尊い時間という代償を払い、就職活動をもう1年やってまでやりたいことではないのなら、就職留年は絶対にやるべきではない。
自分の決めたことなので、何を言われようが仕方ない決断だとは思うのですが、私が許せないのは「就職留年なんてもう1年やったって無駄だよ」と頭ごなしで否定してきた人たちです。(大学の就職課の人、見てますか?)
これに対する唯一の答えは、「1年で勝率を極限まで引き上げ、結果を出す」でしかないと思います。
ことマスコミ就活においては1年くらいのロスは何てことない。
ただ、当然企業側から見た時、「最前線で働いてもらえる賞味期限が1年短い」というのがついて回るのは事実です。1学年下の就活生と戦った上で、どう自分の方が社会で有為な人材であるか?ここの差を埋めることを徹底的に考え抜かなければいけません。
ここからは体験記を交えつつ、具体的な方法論を書いていきます。
ちなみに筆者はどこで働いているかと言うと、1年目で落とされ、就職留年を決意したキッカケのテレビ局で働いています。
ただ、月並みなことを言いますが、就活は最終的には縁であるというのはとても理解できます。僕はこれだけやった!と胸を張れるほど就活をやりましたが、内定したのは2/88社です。
絶対内定する方法なんてありません。ただ、正しい努力をすれば0.01%の勝率を1%まで跳ね上げることはできるということを伝えたいと思います。
就職留年を迷っている人向けのタイトルではありつつ、私なりのマスコミ就活参考書となればと思っています。就職留年なんて関係ないよ!という方も、マスコミに受かるためにはこれくらいやった人もいるんだという参考になれば…と思います。
就職留年体験記
留年するために活用した「休学制度」
まず、「就職浪人」と「就職留年」という言葉がありますが、私は「就職留年」の方を選んでいます。既卒になるのではなく、大学に籍を置いた状態で就活をすれば既卒にならないからです。(ちなみにテレビ局は卒業後数年でも新卒扱いであるところが多い)
ただ、何もアクションを起こさないでいると、当たり前ですがもう1年分の学費を払うことになることがほとんどかと思います(つまり世間一般の留年と同じ)。
私の場合は単位を取り終わってしまっていたので、放っておくと卒業してしまいます。上記すべてを回避するために「休学制度」を活用しました。
この休学制度、私のところは半期で6万円(施設使い放題)だったのでかなりお得だったと思います。
【参考】あなたの大学の休学費はいくら?有名私立30大学の休学費用まとめ
親との交渉/夏インターンの始まり
就職留年をする上で最難関は親の説得でした。学生まで実家暮らしでしたが、我が家は全く裕福ではなく、学費は全て奨学金を借りて賄っている状況で、今も毎月返済しています。
なので親としては少しでも早く自立して働いてほしいという気持ちが強かったと思います。当たり前です。
金銭面の解決策(就活費用と休学費は全てバイトで稼ぐ)
どのようにして勝つかを示す(内定までどう努力するかを提示)
そこまでしてテレビ局に行きたい理由を説明
ここをしっかりと、理論ベースの根性論でどうにか押し切りました。家庭の事情は人それぞれですが、ここのビハインドがあったお陰で最初から気持ちを引き締めるいい機会だったかと思います。
2年目の就活が始まり、休む暇もなく始まったのは夏季インターンシップでした。当然時間があるので、全てESを書き上げてから考えました。
日本テレビ
TBS
フジテレビ
毎日放送
RKB毎日放送
読売新聞
以上の夏インターンに通過し、参加しました。毎日放送は大阪本社で2days、RKB毎日放送は博多で5days!初の遠征でした。
後述するESの視点を改善したら劇的に通るようになり、1年目からの進歩が見られたので、この時期は就職留年の葛藤してた頃に比べたらだいぶ晴れやかに気持ちになれていました。
仙人のような生活
本採用が始まるまではインターンに参加しつつ、無限に時間がある生活。とはいえ就活用の資金を稼がないといけないため、週6でバイト生活…(夜シフトの塾講師でした)
朝からテレビを徹底的に見る
地元の図書館が開いたら新聞をななめ読み
雑誌も極力読んでいく
SPIと筆記試験の勉強
ESに書くエピソードの洗い出し
という生活が全てのベースになっていました。やはりどうしてもこれがしたい!という、軸となる強い信念がないと気が狂いそうになります。
本採用はあっという間にやってくる
ひたすら就活対策をしていると、あっという間に冬。例年日テレの採用からスタートしていきます。そこから在京キー局→準キー局→基幹局(北海道、愛知、福岡など)→地方局という順番が例年の流れです。
最後にNHKがありつつ、夏採用を行うキー局があれば…という感じです。
ちなみにテレビ局だけが異様に早いです。テレビ局の山が終われば出版、新聞、芸能や音楽、やがて広告…という順番がベタな流れです。
地方と東京の往復
僕は2年目の就活で88社受けました。就活の相談を受けていると見かけるのですが、キー局しか行く気ないからキー局に絞る…という発想は捨てた方がいいと私は思います。打席に立てば立つほどバッティングがうまくなると思っています。
しかし埼玉出身なので地方局の事情も知らないうえ、全てを網羅することは物理的に不可能でした。
番組の自社制作率がそれなりに高い
というラインを決め、受ける放送局の取捨を決めていました。(自社で発信していく力があることが会社としての矜持ですからね)
というワケで、いつしかこんな暴力的なスケジュールが爆誕していました。
▼夜行バスで早朝名古屋入り
▼10:00 名古屋の某テレビ局で二次面接
▼新幹線で帰京 移動中はPCでES記入と新聞チェック
▼14:00 都内出版社で一次面接
▼16:00 某地方局東京支社で一次面接
▼埼玉の地元へ戻り。19時から23時までバイトのシフトに入る。
▼23:00 近くのファミレスにin ES記入と筆記対策
▼28:00 帰宅 就寝
今の仕事よりずっと忙しいのでは…?
出版/新聞/音楽業界も…多角的にメディアを見ること
ではなぜこんなスケジュールになったかと言うと、テレビ局に絶対行きたい!と言いつつも、マスコミ全般に視野を広げて受けていたからです。(でもマスコミ以外の業界で働く気は1ミリもありませんでした)
テレビに関わる職業は、テレビ局だけではありません。出版も例えばライツ部門でしたら幅広いメディアミックス展開の版元として非常に強いですし、新聞だって自分の取材した事象が幅広い影響を与えることがある。音楽業界も、広告業界も同じですよね。
僕の場合はマスコミ業界という広げ方が落とし所のラインでしたが、ここは人それぞれだと思います。ただ、テレビだけという凝り固まった考えよりは、メディアを多角的に見られる機会を持つことは重要ですし、教養がつきます。(テレビ局はテレビのことしか知らない人は要らないです)
ようやくここからが方法論の話です。
就職留年は勝率を0.01%から1%まで上げること〜勝つための具体的な方法論〜
凡人と自覚した上で全ての就活生から差別化しろ
特別な才能やコネクションを持つ人は、そもそもこの記事を読む必要がないと思います。僕はコネなし非体育会系の「一般人」に該当する分類です。そんなやつが正攻法で押し切れるわけないですよね?
仮に自分のグループ面接で、両隣が箱根駅伝で山越えを果たした学生と六大学野球でレギュラーだった学生だったらどうしますか?ということです。
ステージを勝ち上がっていく毎に、このような怪物に遭遇するのがマスコミ就活です。でも、そことマトモに勝負しようとしてはいけない。凡人は凡人の戦い方を徹底し、その中で1位を狙えばいい。
他の圧倒的な凡人の中で埋もれないようにするために、差別化の必要があると感じます。
究極のESを作ることが最強の面接対策
原則、ESは最終面接まで見られます。小手先のウケ狙いは論外。かと言って並みのESでもダメです。
1次面接の現場チーフレベル(30-40代)からいくつかの選考を経て、現場の最高責任者である局長面接(50代)、会社の責任者である役員面接(60代)まで、全てのフェーズで通用するESを仕上げることに注力すべきだと思います。
「現場で頼られる可愛げを持ちつつ、会社の将来を担える大局観を兼ね備えた人材」であることを、文章で見せることが何よりも重要です。
では何故究極のESを作ること=最強の面接対策なのか?自分が究極と思えるESであれば、緊張するリスクを大幅に排除でき、自分の言葉で堂々と話せるからです。
究極の定義は人それぞれですが、私は「どう突っ込まれても全て返せる状態」が究極のESだと考えます。
そのエピソードは社会で再現性があるか?
ESでやりがちな一番のミスは「自分だけが尊いと思っている、ひとりよがりなエピソード」の羅列。まず就活の初期でこのバランス感覚に気付くことが重要です。
そもそも企業がなぜ新卒採用するかと言うと、将来この会社を担う人材になってほしいという期待が込められているからです。
私はイベント系のサークルを3年間頑張りました。学園祭で1000人のお客さんを呼び、成功と胸を張って言える成果を出し、それは確かに今でも尊い思い出です。
ただ、1度目の就活で僕はこのような論法で話していました。
・イベント系のサークルに属している(サークルの説明)
・このような課題があった(サークルの課題の説明)
・自分はこの立ち位置でこう改善し、1000人のお客さんを呼べた(自分の話と思いきや組織の話に戻る)
良い思い出だっただけに、美化されすぎてしまい、ウキウキしながら語った話は、その大部分が自分の話じゃなかったんですね…。
また、そもそもマスコミは規模感が桁違いです。
一般的な就活論として、数字をエビデンスとして語るのは間違いではないと思いますが、例えば隣の受験生がYouTubeやってて登録者数が50万人いたらどうすんのって話だし、そもそも1000人の数字がどうって世界では、マスコミの現場で働く人は何とも思わないです。
私は思い切って数字を根拠にして話すことをやめました。その結果、大学生活の多くを占めたサークルの話をサブ要素に降格させ、メインとなるエピソードはアルバイト先の学習塾の話にする戦法へと変えました。
ただ、ここでも鍵となるのが「差別化」です。
一個例をあげるとこんな感じです。
<差別化できていると思う点>
・塾講師という並のアルバイトだが、経験してきたどのエピソードを切り取って自分らしさをアピールするか
・書き出しが目を引く内容であるか(ケンカの仲裁で始まるESは恐らくない)
・実績や数字でのマウント争いに参加せず、人間力を明文化することでいかに社会への再現性を説明できるか
という点を徹底的に分析し、最強のESを練り上げていきました。
資格にミソがつけば徹底的に穴埋め
就職留年にあたり焦ったのがここです。まずやったことはTOEICです。
ただサークルに入って遊んでいた大学生なので、語学力を磨こうなんて考えたこともありませんでした。
入社してからも英語は使う局面はなく、むしろ海外との取引は専門の部署があるので基本問題なくマストではないのですが、「英語を全くやってこなかった=勉強を何もしていない学生」と思われるリスクを少しでも排除するためにTOEICを受けることにしました。
ノー勉で受けたスコアが400点というスタート地点から、2ヶ月で700点までにして、それなりに見れる地点に到達した時点でスパッと切り上げました。これ以上努力のベクトルと時間をTOEICに充てるのは本質的ではないからです。
SPIなど筆記対策は早めに
理由は簡単。せっかく努力したのにバカが原因で筆記で落ちたら悲しすぎるでしょう。
特にSPIの非言語分野は苦手でものすごく苦労しました。
複数の参考書をやって問題を浴びた方がいいに決まっていますが、まずはベースとなる1冊を繰り返しといて、完璧に理解できるまで仕上げるべきだと思います。
ちなみに筆者は「SPIノートの会」の参考書を愛用していました。
メディアを見る目線を変えれば企業研究になる
就活でアタマを抱えるのは企業対策だと思いますが、マスコミはもう題材が転がっているという理解で大丈夫かと。
本質は、視聴者とはどう違う視点でメディアを見るか?ということ。
僕がやったこととしては、気になった番組はすぐ感想を残し、提供社とスポットCMを全てメモに書き出したこと。番組が見てもらいたいターゲットは、スポンサーが物語っていますからね。
あとは営業以外にどういった手法でマネタイズしているか分析すること。
例えばドラマにしても、これはどこのプラットフォームで配信しているのか?など。
日テレならHulu、フジテレビならFOD、テレ朝はTELASA、TBSとテレ東はU-NEXT…というだけでなく、配信独自のスピンオフコンテンツがあるかどうかもきっちり確認しておくべきです。
「あなたの番です」のスピンオフが最終回直後に告知されて炎上、とかありましたね…
現場視点では決してビジネス的には間違っていないと思いますが、ストーリーを熱心に追ってきた視聴者には丁寧な導線が必要だったのかとか、あっ「100日後に死ぬワニ」の最終回もこんな感じだったなとか、多角的に論じられるように思考訓練をしておくことが重要だと思います。
とにかくマネタイズ手法には目を凝らしておくこと。
OB訪問は数こなせばいいというものではない
OB訪問は重要ですが、必ずしも数をこなせばいいというものではないです。あくまでOBは自分が入社するためにどう利用するかベースで考えた方が良いです。(もちろんあからさまにそう見られないように、礼節をわきまえるのは前提ですが)
OB訪問ばかりしていると、「就活やった気」になりがちなので、OBもしくはその人から希望部署の同僚をつないでもらうなどして、とにかく頼れる大人を1人見つけたら、あとは他の時間に割いたほうが絶対に良いです。
あと、お世話になったOBにはちゃんと内定先の報告をお礼を忘れないでくださいね。
タスク管理法:プライドを捨ててとにかく受けられるようにしろ
就職留年で悩んでいる暇なんてないんだから、なりふり構わずとにかく受けろというのが持論です。ただし、全ての企業を正面から当たっていてはスケジュールとタスク管理が崩壊するので、進捗状況をExcelにまとめていました。
社名
志望度
現在の進捗
次回選考日
ES締切日
ESの設問内容
を項目として1個のファイルに見られるようにしていました。
特にESの設問内容は発表された瞬間に即メモるようにし、移動中や空き時間などで適宜チェックし考えられるようにしておきました。
おわりに:88社受けた先に見えた景色
もう就活末期はランナーズハイというか、有る種の就活ハイみたいな状態で、もう落選しても何も落ち込まない精神になっていました。(反省はしますが)
だって、ここまでやって落ちるなら、マッチングしなかっただけじゃん…
内定0ではありましたが、完全に自分をどう見せるか把握して、ちょっとしたゾーンに入った状態であることに気づいた時、ほぼ同時期に2社から内定を頂きました。
「ここまでやってるから絶対にどこかは受かる」という自分の中で巻き起こる絶対的な自信と、企業の風土がマッチングした結果こそ、ご縁と呼ぶのだと思いました。
最終的に、就職留年したキッカケとなる某キー局に内定し、今もそこで働いています。実はまだ数社残っていて、最終面接もあったのですが、内定通知を頂いた時点でもう力尽きました。
去年振られた相手に振り向いてもらえたことが、もう自分の就活のストーリーとしてはこれ以上ない結末だと思い、全て選考辞退の電話を入れました。
持ち駒を自ら0にしてピリオドを打てた時、やっと長かった就活が終わるんだと思い、涙が溢れました。その後両親にちゃんと報告をし、母は電話越しに泣いていました。
人生で一番苦しみ、もがいた体験が就活だなんて…
就活システムなんて茶番だしバカバカしいし、なんでここまで打ち込めたのか今でもよくわかりません。だけど、大量のタスクを効率よく捌くスキルは当時に培われたものと言ってもいいし、メディアに対する視点が学生の時点で養えたので、結果入社後に土台が多少はある状態でスタートを切ることができた。
何よりも、自分で進路を決定し、意地でも切り開いていく時間は生の歓びを感じられたし、人間として明らかに成長できた。
何度も言いますが、並の精神では就職留年を勧めません。あくまで0.01%の勝率を1%まで押し上げるためのものだとご理解ください。
ただ、個人的な肌感覚、就職留年はそこまで不利に感じなかった。
もちろん1年空白ができている(入学年と卒業予定年のズレで気付かれる)ので、突っ込まれることもある。もちろん無策ではいけないが、私の場合はどうしてもテレビ局に入りたいという本心を伝えた。
1年目に本心から目を背けて就活をしていたから、また変に繕っても絶対に後悔するとわかっていたからだ。
以上、どうしてもテレビ局に入りたくて就職留年をした時の話でした。就職留年しようか悩んでいる学生や、同じくマスコミを目指している学生の励みになれば幸いです。
さいごに(ココナラで就職相談やっています)
一人では就活ができない…面接対策してくれる周りの人がいない…というご相談に合わせて、ココナラで就職相談を行っています。効率よく進めるアドバイスができますので、ぜひチェックいただけると幸いです!