
「La Fontaine de Chopin」Déodat de Séverac
ドビュッシー「良い(大地のような)香りのする音楽」
そう評されたセヴラックの音楽。
多くの方が耳にしたことがあるであろう音楽家、ドビュッシーがそう評したと言われている。
私の持ち曲はベートーヴェンが中心だが、セヴラックも好きだった。
しかし輸入譜を手にしてまで弾く気持ちになれずにいた。
この音楽との出会いをくれたのは舘野泉とチッコリーニだ。
私の知る限り、セヴラック「休暇の日々から」を収録したのはこの二人。
2001年に舘野泉・久保春代「セヴラック ピアノ作品集」の1・2巻が出版されて以来、楽器店などの楽譜コーナーで見たことがある方もいると思う。
これは私にとって狂喜乱舞する出来事だった。
答えは簡単、輸入譜は高い。国内で出版されることを信じて待っていたのだ。
と言いつつ、手にしたのは最近のことだが。
そんなセヴラック「休暇の日々から」2から初練習として私が選んだのは…
「ショパンの泉」
先に書いたドビュッシーの言葉「良い(大地のような)香り」、これはショパンのマズルカに通じるところがある。
セヴラックの音楽を聴いてもショパンの影響を受けていることは明白だ。
それがより色濃く出ているであろう、ショパンの泉。
私はこの音楽が大好きだったのだ。
ショパンほどテーマの数が多くはない。
一見弾きやすそうに見える楽譜だ。
そこでいかに聴かせるかとなると、単純に弾きやすい音楽ではなくなる。
一見弾きやすそう、これこそ難題なのだ。
そのことをふまえ、いざ練習が始まった。
さて、ここで早速問題が起こった。
一つ一つ地道に積み重ねる練習の邪魔になったのが、耳に残っている完成形の音楽だった。
本来曲の飲み込みやすさにつながるはずの耳の記憶が、自分の演奏の「こうではない感」を生み、冒頭部分から進めなくなったのだ。
知りすぎた故に生まれた問題だった。
普段は一通り通してから本格的な練習に入る。
一通りは弾いたものの、即興的な冒頭部分から考え込んでしまったのだ。
そんな苦労もありつつ、時間をかけ練りに練って自分の音楽として暗譜したのだった。
こんなに時間をかけて練習したのはいつぶりだろう。
思い出せないほど久しぶりのことだった。
日々の出来事に追われることを理由に、弾き易い曲ばかりレパートリーにしてきたことに気づく。
ああ、これではいけいない。
今までもこれからも、体力も気力も落ちるばかりなのに新しい刺激すら無くなったらどうなってしまうのだろう。
これには漠然とした恐怖すら感じる。
そう思いつつ、今まで脳内にストックしてきた「死ぬ前に弾ければ良いなぁ」リストの曲をパラパラとめくるのだった。