チヒロ|ライター

自分に合った働き方やライフスタイルの実現を目指して日々奮闘中|印刷会社・出版社勤務#営業📚|ランニングと読書好き|2児のパパ

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最近の記事

子供の自立に必要な「バランス型子育て論」と「自己肯定感の育て方」

「親バカ」とはよく言ったもので、「勉強しなさい」「危ないからやめなさい」など、こんな大人にはなりたくないと子供の頃思っていたこととは裏腹に、いざ、自分の子供に対して同じセリフを言っていることはありませんか? この記事のポイント 子供が、言うことを聞かない 子供が、一人で何もできない 子供が、落ち着きがない 子供が、反抗的である 上記のような子供の言動に悩んでいる親は少なくありません。果たして良質な親子関係とはどんなものでしょうか? この記事では、子育てに悩む「理

    • 日本沈没は本当に起こるのか?希望をもつために必要なこと

      さて、日曜劇場「日本沈没」がこのタイミングで放送されるのは、原作が刊行された1973年と現在がオーバーラップするからだと思う。 1973年といえば、全くもって関係のないことだが、私が生まれた年だ。 この年はオイルショックで原油が高騰し、トイレットペーパーを買い漁る国民の映像が記憶にある。ちょっと前のコロナ初期に起きたマスクやトイレットペーパーの買い占めを思い出す。 では、この混沌とした時代に「希望」の光を照らす未来は本当にあるのか。 答えは、YESだ。 もっとも、希

      • 大坂なおみ選手の会見拒否から、表現の自由を考える

         大坂なおみ選手の会見ボイコットについて言及しておこうと思う。というか今の思考を何年後かに振り返ってみたときどうなってんだろうなというメモ書き程度で。  メディアに言論・表現・出版の自由があるように、選手個人にもその自由はあって当然だ。表現の自由は民主的社会の本質的基礎である。試合後のメディア義務(会見義務?)が大会ルールであるならば仕方ないけど、このようにメンタルケアを取り入れた会見ルール改正を検討してもよい。彼女の言葉を聞きたいのは分かるし、質問を投げかけるのはジャーナ

        • 決断

          僕の記憶が正しければ、小学生の思い出のなかで修学旅行は最も楽しかった学校行事だった。(気がする) 気がする、と付け加えたのは37年前の記憶なんて曖昧なものだと気づいたからだ。いや、気づかされたのだ。 確かに、楽しかった。でも映像が浮かんでこない。 2泊3日の修学旅行は函館で、いろんな主要観光地へ行った。がしかし、函館山の夜景も、展望台から眺める五稜郭の形も、洋風な建物や急な坂も、レンガ倉庫で買ったお土産も、海の匂いも、何を食べたかも、クラスの誰と一緒の班だったかも思い出

          「コンビニ人間」を読んでからのコンビニ店員を想像するのが病みつきになる件

          第155回芥川龍之介賞受賞作。「コンビニ人間」を今更ながら読んだ後のコンビニを訪れる際に、コンビニ店員を観察するのが日課となった。 ぼくはコンビニが好きだ。一日に最低1回、多い時は4、5回は利用する。主要3店舗それぞれに特徴があり、その日の気分でどの店にしようか迷う。 コンビニに並ぶ雑誌類は売れ筋のものしか置かない。ここを見れば大体の時代背景がわかる。平積みされた人気の週刊漫画雑誌を立ち読みするサラリーマンたち。日用品も緊急の場合はほぼ揃っている。筆記用具に関していえばコ

          「コンビニ人間」を読んでからのコンビニ店員を想像するのが病みつきになる件

          すべて受け流す世界は、限りなく澄んだ深海のよう

          円形脱毛症ができたのは初めてではない。痛みがないことと分かりにくい後頭部の位置から、気づくのに時間がかかる場合もある。今回も偶然娘が見つけた。毛のない部分が冷たい風にチクチク痛むような気がした。 一度目は一年くらい前だったと思う。たしか同じ雪解けの季節だった。年度末で目も眩むほどの忙しさに、張りつめていた気持ちが脆く崩れそうになっていた。猫の手も借りたいと、近所の野良猫に羨望の目を向けた。 僕の精神状態は見えないものに監視されているような、得体の知れない恐怖と想像に押し潰

          すべて受け流す世界は、限りなく澄んだ深海のよう

          「卒業おめでとう」 あの日から10年、これからの10年。

          3月11日、サンテンイチイチと憶えている。 今日は娘が通う中学校の卒業式で、PTA会長として来賓出席した。コロナウイルスの影響もあり、時間短縮のため祝辞はなくなった。2年連続になる。 娘は2年生なのだが、残念なことに在校生の出席は叶わず休校となり、卒業生と先生と保護者と限られた来賓者のみで粛々と行われた。 前年度の経験からコロナ対策ガイドラインは国から定められているので、あらゆる“歌”の“斉唱”や“合唱”が“演奏”に変わり、録音された音だけが体育館で寂しげに鳴り響いた。

          「卒業おめでとう」 あの日から10年、これからの10年。

          好きなように生きてもよいのなら

          何もかも捨てて、どこか遠くへ行きたい。 なんかの小説に「お父さんをやめる」のような書き出しだけ立ち読みした記憶が蘇った。結局その小説を読むことはなかったけど、その冒頭文だけは鮮明に憶えている。ここからは妄想と現実の狭間で感覚的に語ろうと思う。だからその小説とはいっさい関係がないことを了承してほしい。 * 「今日から好きなように生きていく」 突然の言葉に妻の箸が止まった。何事もなかったかのように長女は白いご飯に“のりたま”のふりかけを掛けた。呆気に取られた次女が「どうい

          好きなように生きてもよいのなら

          救いのアラーム音

          鉛筆で書く箇条書きの買い物メモ。片面印刷されたチラシの裏面に書いてちぎった。歪に破られたメモの「しらす」の「す」の文字が少し欠けた。 時計の針は午前零時を迎えるあたりだった。買い物メモを暗闇の冷蔵庫にある丸い磁石で貼った。 それから冷蔵庫の扉を開けたまま、飲みかけのスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、二口飲んでそのまま返した。 「ピーピー」とドアアラームが鳴り響き、一度閉めたドアをまたすぐに開く。食べたい欲求がなんなのかも分からず、ただボーッと冷蔵庫のなかを眺めた

          救いのアラーム音

          夢物語

          夢をみない。 最近、夢をみなくなった。いちばん記憶に新しい夢といっても本当に思い出せない。 単純に夢をみていないのか、それともみているけど忘れてしまっているのかすらわからない。 頭のなかの記憶スイッチが壊れたのか、ちょっとした海馬のトラブルなのか、子どものころの記憶しか思い出せない。 そうして考えてみると、夢って日常の情報を自分がいいように解釈して整理した物語なんだよね。 いつものように晩御飯を食べながら次女に今日の出来事を聞いた。 「学校でなんかおもしろいことあ

          TOKYO2020 大会ビジョンを考える

          「東京オリンピック・パラリンピックまで、あと〇〇日」 本当であれば、連日の報道はオリンピック開催までのカウントダウンがはじまり、ボルテージは最高潮のはずだけど、コロナで開催すら危ぶまれて、なおかつ、森喜朗オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の女性差別発言への批判報道ばかりが取りざたされ、本気で大会を開催する気があるのか……。 なにわともあれ、日本はいま窮地に追い込まれているのは間違いない。開催国にふさわしく、スポーツの未来で世界を変えられるのか、大会ビジョンである3

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          未来につながる「点」を探して、けれども「本質」は変わらない。という話

          人生のおりかえし地点は何歳だろう。 人ってやつは何歳で死ぬかなんてわからない。だけど生きている以上、死に向かって生きていると言ってもいい。 生まれた時代がどうこうとかじゃなくて、生まれてから死ぬまでが、その人の時代であり、歴史になる。 現在を生きている僕らにとって「今」があるのだけど、これまで生きてきた時間のなかで要所要所、経験値がつまれてきた。それが「点」だと思う。 その「点」と「点」をつなぎ、次の「点」はどこにあるのか考えるのが「今」だろうなと。 まあ、あたりま

          未来につながる「点」を探して、けれども「本質」は変わらない。という話

          人生は未完成のまま死ぬまでつづく

          祝20記事目。 さらに毎日noteを書き続けて11日が経過。(正確には0時に間に合わず1日2記事の日があった) なんとなく始めた毎日noteの位置づけは、文章への苦手意識をすてることだった。 自転車の乗りかたを一度習得してしまえば、あとは体が覚えているように、文章を毎日書き続ければ、きっと体に染みつくだろうと安易な考えからはじまった。 しかしながら、体はまだ慣れない。それどころか悲鳴をあげている。自転車の乗りかたでいえば、まだ補助輪を外せないでいる状態に近い。 今の

          人生は未完成のまま死ぬまでつづく

          ラーメン大好き青森県民の短命県事情

          日曜日の昼下がり、無性に「中華そば」が食べたくなって近所のラーメン屋に妻と二人で行った。 呼び方としての正しさは求めないけど「醤油ラーメン」ではなく「中華そば」がしっくりくる。「支那そば」なんて呼び名も好きだ。 行列ができるラーメン店なんて、田舎では稀にない光景なのだが、ここではよくある。土日のお昼はディスタンスをとりながら、店の外に並んでいることもよくある。 駐車場は満車にみえたが一台分空いていた。ツイている。急ぎ足で暖簾をくぐると満席だった。それでも一組帰れば4人席

          ラーメン大好き青森県民の短命県事情

          朝のルーティンを(ただ)言語化してみる

          目が覚めた。眠い目をこすりながら下に降りていくと朝食を済ませた娘たちが食卓をかこみ、スマホでイヤホンをしながらYouTubeを聞き流している長女と、座椅子を揺らしながら興味のないテレビのニュースをながめている次女がいる。いつもの朝だ。 僕はというと、いつものようにアレクサとあいさつを交わす。「アレクサ、おはよう」娘の返事より歯切れのよい声で応えてくれる。さらに今日は何の日かという教養さえ身につけられるのは話のネタにとても嬉しい。 そのあとに天気予報とニュースの読み上げをお

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          紙の良さとデジタルの良さ

          紙にふれない日はない。 ノートや手帳にペンで文字を書いたり、画用紙に絵を描いたり、ティッシュで鼻をかんだり、紙袋にものを入れたり、本を読んだり……。 僕たちは思ったより「紙」のある生活をおくっている。 インターネットが普及してから、あらゆる情報が紙からデジタルに変わってきた。良くも悪くもスマホやタブレットが現れると紙媒体で印字していたものが、瞬時に電子媒体で書いたり読んだり編集したりできる。 働き方改革によるペーパーレス化はもちろん、雑誌の休刊や本は売れない時代だとか

          紙の良さとデジタルの良さ