価値観を都合よく捉えてみる。
↑は以前「価値観」をテーマにした企画展を開催したときに思ったこと。
当時は、偏見や通説となっているものを一度リセットして自分の価値観を再認識して欲しいとこの展示を開催した。
しかし、改めて「自分の価値観はどういうものか」と考えてみるとなかなか言葉にしづらいし、ビシッと「自分の価値観はこうだ!」なんて言えずぼんやりしてしまう。。。
自分の中で「価値観」というものにモヤモヤしたものが溜まってきたのでここで一旦整理できないかなと思い書いてます。
価値観ってなんだ?
まずは一旦辞書を引いてみる。
わかる。
「自分は何に価値があると思っているのか」っていうのが価値観。
ただ、自分は何に価値があると思うかが上手く人に言えない。言語化できない。
ここら辺がモヤモヤの正体じゃないかなと思う。自分で自分が何を思っているのかがよくわからない。
例えば、自分は侘び寂びのある道具なんかを見ると「なんかいいなぁ」と思うけれど、それを「自分にとって価値があります」って高らかに宣言できるかと言われるとそうではない。
↓その理由を少し整理してみた。
理由1.見栄を張ってしまう
人によくみられるためにそれを選んでいないか?というのが真っ先に思い浮かんでしまう。センスが良いと思われたいと。もし、地球で自分ひとりだけだったら果たして本当に価値があると思えていたのかと。
『そんなこと言ったらキリがないじゃないか。周りの環境や生い立ちを含めて、今の自分が良いと思えたならそれでいいじゃないか。』とも思ったが次の理由がそれを邪魔してきている気がする。
理由2.価値観はずっと変わらない方がいい
ある人が、昨日は素朴な生活が良いと言っていたのに、今日はド派手に生きようぜと言っていたら、きっとその人を信頼するのに時間がかかってしまう。
さっき理由1で書いた「今の自分が良いと思えたらそれで良い」っていうのが受け入れづらいのはこれを恐れているから。
「変わらない芯がある人」
誰もがそんな人になりたいと思う…からこそ、自分の本音と言葉にしたいものに差が生まれて何が自分の思っていることなのかわからなくなる。
一度、決めてしまったら代え難い。だから、本当にそれは自分が価値があると思うものなのかと考え込んでしまうんだろうな。
『あなたは何が好き?』くらいなら答えられる気がするけど
『あなたは何を大切にしている?』と聞かれるとすごく答えづらい。。。
みたいにね。
自分の価値観を言葉にできない理由はわかってきた。
だけど、解決策がないのはどうしたもんか。。。
まとめ.変わる価値観、変わらない価値観
なんとか解決策を考えて思い浮かんだのは
もし、価値観に変えられない部分があったらというもしもの話。
確かに変わらないものがある人はカッコいいかもしれないがそれは変わらないものがあるのではなく、変えられないものなんじゃないか?
昨日と今日で言っていることは違うように思えるかも知れないが、それを毎日積み重ねていくと変わらない部分が見えてくる。だからその変えられない部分は勝手に出来上がっていくもの。月日とともに少しずつ形を変えながら。
目玉焼きみたいに黄身と白身があって、白身の形は毎日変わるけど、黄身の部分は変わらない。みたいなね。
仮に、価値観は勝手に出来上がっていくものだと考えるとすごく楽しくなってくる。例えば、
「今の考えを持っているのは今の自分だけ」と毎日に発見が生まれたり
「これは自分らしくない」なんて思わずにやりたいことができたり
と一気に自由になる。
むしろ自分の本音を話すことがワクワクしてくるような。
…めっちゃいいじゃん。そんな価値観。
価値観は実際にどういう性質を持っているかは、はっきりわからないけど、この考えも間違っているかどうかはわからない。
だから、そういうものだと一旦信じてみようか。
そっちの方が都合いいでしょ?
終わりに
今回は価値観についてのモヤモヤを自分なりに紐解いてみたけれど、「都合のいいように捉えてみる」って結論も悪くないんじゃないかと思えた。
↑この考えも今の自分に素直になってみた感想で、もしそうじゃなかったら、『なんて適当で曖昧なことを言っているんだ』と自分を責めていたかも知れない。
多用するのはもしかしたら良くないのかも知れないけどね。笑
まだ、他にも価値観についての謎はあるけれど今回はここで一回おしまい。
…最後に一つだけ質問、あなたは何を大切にしてますか?
毎週、ラジオをしています。よろしければこちらも是非。
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