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目標がないことへのうしろめたさ

私は昔から、何かしら目標を持ち、それに向かって進んでいかなければならないと思っていた。

思い返せば中学生の時、駅伝で全国制覇という目標を掲げ、毎日休まず走った。
結果は関東優勝、全国4位と目標達成には一歩届かなかったのだが、それでも目標を持って頑張った。

高校生になるとき、家からは少し遠いがどうしても行きたいと思った高校を受験し、合格した。(今思えば多分結構ギリギリだった)
高校卒業時には理学療法士になるという目標を持って大学に進学し、4年間かけてその目標は達成された。(第一志望の大学には落ちた)

その後、海外で働きたいという目標を持ち、海外に事業展開している病院をあえて選んで就職した。
働いているうちに青年海外協力隊として海外に出たいという思いが強くなり、そのために1度転職をして、無事にスリランカに派遣された。

と、ここまでは常に目標を持ち、やりたいことをやってきたという自負がある。


が、スリランカから帰国後、自分が何をしたいのか一気にわからなくなった。

理学療法士として5年間過ごしてきたはずなのに、日本でまた理学療法士として働くという選択肢について、全くもって良いと思えなかった。
かと言って、今までやってきたことと全く関係のないことをするというのも難しい話で、とりあえずタイミング良く声をかけてもらった国際協力関係の仕事を選んだ。

今の仕事はそれなりに楽しい。基本的には一人で仕事をしているので、精神的にも非常に楽だ。
でもなんとなく、「本当にこれで良いのか?」と自問する日々を過ごしていた。

しかし先日ふと思った。
そもそも目標がないとだめだなんて、誰が決めたのだろうか。

未来のことはわからない。
そしてきっと人生は思い通りになることの方が少ない。
だとしたら、どうなるかわからない未来のために、今を犠牲にすることがそんなに良いことなのだろうか。

もちろん目標を定めてそこに向かって進んでいける人は素晴らしいと思う。
数年前まで自分もそちら側の人間だったという自負もある。

しかし今はそうではない。
目標もなければ、これと言ってやりたいこともない。

ただ、それでも良いような気がする。
とりあえず今生きていくだけの収入はあるし、毎日美味しくご飯を食べる。
悩んだり落ち込んだりしたときに、そんな苦々しい気持ちを受け止めてくれる人もいる。
嫌なことも大変なこともあるけど、それが全くなければきっとつまらない。

いつからか「自分の在り方」が変わったのだなとは思うけれど、結局自分は自分であって、自分以外の何者でもない。

そんなふうに納得して、今を楽しく生きている。

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スリランカの山の上から見た景色。こんな景色が見られるだけで幸せ。

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