【5】ブレザー服のころ
「はぁ。。。」
鏡に映る自分の姿に、思わずため息をついてしまうほど、ブレザーが似合いませんでした。
成長期にも、思うように背が伸びなかった私は、150cmにも届かず、セーラー服の時は気になりませんでしたが、ブレザーだと明らかに無理している感じに見えたのです。
それでも、ちょっぴり落ち込んでいる私を、母は朗らかに励ましてくれたので、気を取り直して学校へ歩き出しました。
私が通う高校は・・・
【宗方女子学園】 略称:宗女(むなじょ)
その名の通り女子校ですから、心穏やかに過ごせそうだと思っていました。
中学が中高一貫校ということもあり、同じ中学出身の子はいませんでした。
それは新しい人間関係を作るのが苦手な私にとっては、なかなか大変なことでした。
それでも、中学時代を思い出して、クラスメートの相談に乗っているうちに、少しずつ友だちが増えていきました。
そして、中学時代からの大きな変化は、アルバイトを始めたことです。
母は「お金の事は気にしないでいいからね」と言ってくれましたが、毎日朝から晩まで頑張って働いている母の手助けを少しだけでもしたいと思い、私にできることはやりたいと考えていました。
学校では、アルバイトをすることは禁止されていませんでしたが、学校生活に慣れてからにしようと考え、夏休み明けに働き始められるようなバイト先を探していました。
ところが、面接で緊張しすぎていたのと、声が小さすぎて接客に向きそうにないという理由からなかなか採用してもらえませんでした。
毎回緊張しながら勇気を振り絞って面接を受けていたので、何度も断られるとさすがに悲しくなり、心が折れそうになりました。
『これで不採用なら諦めよう…』と思いながら面接を受けたのが、
ファミリーレストランの面接でした。
店長さんがとても親切で、まずは夏休みの最後の1週間の間に2時間ずつ試用期間ということでお店に入りました。
短い時間とはいえ、いざバイトが始まると、もともとあまり体力がある方では無いので帰宅するとすぐベッドに倒れ込むような日々でした。
少しずつ仕事を覚え、バイト仲間との会話もできる余裕が出てきて冬を迎える頃には学校生活となんとか両立できる状態になっていました。
女子校なので、学校の中では男性との接点はありませんでしたが、バイト仲間は男女比が6:4くらいで、男性が少し多めでした。
・・・とはいえ、仕事中はそんなに私語ができる雰囲気ではなかったので、バイト仲間とすごく親しくなるという感じでは無かったように思います。
シフトが一緒になることが多かった、さとる先輩のことも正直・・・
『バイト先以外で見かけたら気づかないだろうな』と思うくらい全く意識していませんでした。
さとる先輩は草食系とでも言うのでしょうか。
あまり大声を張り上げたり大声で話をしてるタイプではなく、お客さまへの対応も穏やかな感じで・・・
『大学生ってオトナなんだな』と思って見ていました。
時々、背の低い私のサポートをさりげなくしてくれているのは感じていたので、気づけばその都度お礼を言っていました。
でも、私にとってはそれ以下でも以上でもありませんでした。
親切なバイト先の先輩でしかなかったんです。
秋のテストでお休みを2週間ほどもらって、久しぶりにバイトに出た日の帰り道、さとる先輩から声を掛けられました。
「ちひろちゃん、お疲れ。歩き?バス?」
「あ、えっと、バスです」
「そっかそっか、どこのバス停?」
「あの、商店街入口から、乗ります」
男の人と並んで歩くということに慣れていない私は、さとる先輩が横に居ることに少し緊張していました。
普段あまり面と向かって話をしないので、さとる先輩の声が柔らかく優しいことも、初めて気付いたほどです。
「ちひろちゃん、あのさ」
「……はい」
「僕と、付き合ってくれないかな?」
中学校の時は、何度かそういう告白を受けたことがありました。
宗女に入ってからは、全くもって無縁だったので、驚きすぎた私は思わず足を止めてしまいました。
「ダメ…かな?」
「あの、わたし……」
高校生になっても口下手は変わっていなかったので、うまく言葉にすることができず、うつむく私に。さとる先輩は優しく言いました。
「ごめんごめん、びっくりするよね。うん、バス来ちゃうから、今日はもう返事とかいいから。またバイトでね」
あっさりと身を翻して去ってゆく、さとる先輩。
私は戸惑いと、なんとも言えない苦さを感じながら帰宅しました。
『バイトでしか会ったことがなく、一緒に仕事しかしてないのにそんなに簡単に好きになる?』
『私の何が分かるっていうんだろう。どうせえっちなことしか考えてないんだろうな』
私には男性の行動が理解できませんでした。
ただ、返事を強要されなかった点については『いい人だな』とは思えたのです。
それから、シフトが一緒の日はバス停まで送ってくれるようになりました。
付き合って欲しい、とは言われませんでしたがそうやって一緒に過ごす時間が増えてきました。
でも・・・正直に言えば、あの夏の出来事がフラッシュバックのように思い出されたこともあります。
『でも、さとる先輩は父とは違う』
『だから……もしかしたら、付き合うことであの夏のことも忘れてしまえるのかもしれない』
私の心が動き出したのは、12月に入ろうかという時期でした。
さとる先輩から、改めて告白を受けました。
「こうやって、一緒に帰るだけも楽しいけど、もう少しちひろちゃんと過ごせる時間が欲しいんだ」
バス停の手前のベンチで、さとる先輩は足を止めて言いました。
「ちょっと、座ろうか」
「あ、はい」
「僕は大学生だし、ちひろちゃんより5歳も上で、なんかもしかして、怖いとか思われてるかもしれないけど」
「いえ、そんな……」
「ちひろちゃんはしっかりしてるし、でもちっちゃくて可愛いし一生懸命だし、とにかく誰かに取られたくないって思っちゃってさ」
何も言えずにいた私に、さとる先輩は向き合って、言いました。
「だから、僕と付き合ってくれないかな?今は好きじゃなくても絶対に好きにさせるから。だからチャンスが欲しい」
私は声が、出ませんでした。
なぜだか苦しくて、うまく言葉が出ませんでした。
「ごめん、やっぱりイヤだったかな?」
「違うんです、あの……」
…「なんて答えたらいいのか、わからないんです」
そんなつぶやきに近い言葉をさとる先輩はしっかり聞き取ってくれました。
「今は好きじゃなくてもいいから、少しだけもチャンスが欲しい」
「……はい」
「っしゃー!」
今まで見たこと無いくらいに、大きな声で立ち上がる、さとる先輩。
OKをした返事のつもりではありませんでしたが、勘違いして大喜びをしている姿を見るとほっこりして『まぁ…いっか』と思いました。
このまま男性の事を拒み続ける人生ではなく・・・
『しっかりと向き合ってみよう。普段は大人しいけどこんなに喜んでくれるさとる先輩なら受け入れてくれる気がする』
だから、『まぁいっか』と思えたんです。
だから、私はきっとあのトラウマを乗り越えられるって、信じていました。
あの夏に起きたことを乗り越えて『女の子として幸せな恋ができるんだ』
期待に近い感情があったと思います。
さとる先輩から・・・
「クリスマスイブに会いたい」と言われた時、まず考えたのは母になんて言えばいいか、ということでした。
彼氏ができたことさえ、まだ言えずにいたのです。
「バイトだって言えばいいんじゃないかな?で、その後仲間たちとちょっとご飯食べて帰るって、当日言えばどうかな?」
「そっか……、はい、そうします」
「敬語、なかなか直らないね」
「ご、ごめんなさい」
「いいよいいよ、少しずつね」
いつだって、さとる先輩は優しくて、私をとても大切にしてくれました。
バイト仲間に冷やかされたらイヤだろうと、
「秘密で付き合っておこうね」とも言ってくれたのです。
こういう配慮をしてくれる点からも、さとる先輩のことを信じてそうだと思った所でした。
クリスマスイブの約束も・・・
・私がまだ高校生だからお泊りは無し
・遅くとも23時には家に帰す
・プレゼントはいらないよ
・ケーキとかも僕に任せてね
「何もかも丸投げで任せて」と言ってくれました。
私も何をどうしたらいいかわからなかったので、その言葉に助けられていました。
そして、クリスマスイブ
さとる先輩のアパートは、バイト先から徒歩10分ほどの場所にありました。
(今考えると何も疑わずに簡単に男性の家に行ってしまったのは私の落ち度だと思っています)
初めてお邪魔したワンルームは、とても片付いていて、さとる先輩らしいなって思うと緊張が少しほぐれた気がしました。
「とりあえず、座って。ソファとか無くてごめん」
「全然大丈夫です」
何も考えず、正座した私を見て、さとる先輩はちょっと笑って
「脚は崩していいよ」と言いながら近づきました。
急に唇が触れた時、私は何が起きたのかわからなくて…でも驚いて、とっさにさとる先輩の胸を両手で押しのけようとしました。
けれど、私の力ではとても無理でした。
いつの間にか私の背中に回されていたさとる先輩の腕が強く抱き寄せるので、離れることができず、混乱した私は身動きが取れずにいました。
ようやく唇が離れた時、私は涙が止まらず、目を合わせることもできませんでした。
「ちひろちゃんは、僕のものなんだよ」
いつもは優しいと感じる声が、この時はとても恐ろしく感じました。
その言葉の意味が、すぐには理解できませんでした。
けれど、先輩の手が私の胸元に伸び、直接触れた時に思い出したのは、あの夏出来事でした。
「やめて、わたし、そんなつもりじゃ」
「男の家に来て、する気が無かったって言うつもりかよ」
「だって、そんな」
この日までさとる先輩とは手を繋いだことしかなかったのです。
それなのに、どうして。
私には裏切られたという思いしかありませんでした。
「なんのために今日までガマンしたと思ってんだよ。散々焦らして、その気にさせといて、あり得ないだろっ」
今まで、見たこともない先輩の荒々しい姿に、私は萎縮してしまいました。
けれど、『このままここに居てはいけない』直感的に感じていました。
「わたし、そんなつもりはなかったから、びっくりして」
「なんだよ、それ」
「だから、ごめんなさい」
【ドンっ!】
頬が焼けるように痛く、それが殴られたからだと気付いた時、私の全身を恐怖が包みました。
「ヤらせてくれないなら、おまえなんかと付き合う意味ないだろっ」
どうやって、飛び出したのかはわかりませんが、私は先輩の部屋を出て、必死で家まで帰ることができました。
幸い、母も帰宅が遅かったので顔を合わせること無く、自分の部屋で毛布にくるまり、泣いていたのです。
怖かったのはもちろんですが『私の価値ってこの程度か』
絶望に似た気持ちでいっぱいでした。
冬休みに入ったところだったので、私はまるで引きこもりのように、無気力になってしまいました。
突然「バイトを辞めたいの」と言い出した私に母は驚いていましたが、何かを察したようで、代わりに手続きをしてくれました。
「ちひろが、話したくなったらお母さんに教えて欲しい。落ち着くまで、おうちでのんびりしてようね」
私は母の言葉に甘え、ご飯もあまり食べず、パジャマのままで過ごし、泣いたり寝たりしながら1週間ほど怠惰な日々を過ごしていました。
そして少しだけ時間が経った、年末のことでした。
たまたま母と一緒にバラエティ番組を眺めていました。
女性タレントさんを芸人さんたちがあの手この手で褒めて、
気に入った一人を選んで告白する、という企画のようでした。
その中で一際美しい女優さんがいたんです。
私はその女優さんを初めて見たのですが、不思議と目が離せなくなりました。
芸人さんたちに褒められて当然という態度で、
でも嫌味が無く笑顔が愛らしくて、
それでいて少し女王さまっぽさもあって。
小悪魔的という言葉がぴったりの、とても魅力的なひとだなと感じて心惹かれました。
最終的に全ての芸人さんの告白を蹴って、輝くような笑顔で・・・
「私をモノにしようなんて100年早いわ、出直してらっしゃい!」と高らかに宣言する姿は、圧巻でした。
『私もこの人みたいに、なりたい』
『私に欠けているのは、こういう強さなんだ…』
だから父やさとる先輩のような男性に自分の意志とは関係なく迫られてしまうのだと…。
急いでその方を調べてみるとセクシー女優さんだということを知りました。
職業も包み隠さず・・・更に整形経験も自分から言っていて、自信を持って輝いている強さ。
その美しさと強さに、どんどん心惹かれていきました。
同じ職業に就くことは、さすがに抵抗があるからできないけれど、人に見られる仕事ができたら、私も強くなれるかもしれない。
少しずつ元気を取り戻した私は、なぜかそんな気持ちになったのです。
それからはその女優さんが出演しているテレビは欠かさず見たり、雑誌などもチェックしていました。
ある日、いつものようにその女優さんが取り上げられていた雑誌を見た際に
「読者モデル募集」という記事を見つけた私は、すぐに応募していました。
『セクシー女優にはなれないけど、読者モデルなら挑戦してみたい!!』
身長が低い私が採用されるとは思えませんでしたが、書類選考だけでも通れば少しは自分に自信が持てるかもしれない、という思いがあったのです。
冬休みが終わり、私は女子校で良かったと心から思いました。
元気になってきたとはいえ、男性への恐怖感はまだ残っていたので、学校では安心して過ごせるのが、本当に幸せでした。
進路調査では、進学ではなく就職希望にしていましたが、それはモデルになりたいという訳ではなく、ごく一般的な就職を考えてのことでした。
母は進学を勧めてくれていましたが、私は早く社会に出て母の負担を軽減したい考えていたのです。
そんなふうに、ごくごく普通の生活に戻り、すっかり、読者モデルに応募したことも忘れかけた頃、その手紙は届きました。
そこには
”エリアモデル面接のご案内”と書かれてありました。
私が首都圏から離れた町に住んでいたので、東京ではなく最寄りの都市で受けられる面接へのご案内、という内容の通知でした。
正直、信じられませんでした。
母に何も説明無しにその手紙を渡し読んで内容を確認してもらい、ようやく本当に面接まで進めたのだと理解できました。
母は、私が勝手に応募したことに驚いていましたが、会場は一人でも行ける場所だし、「せっかくだから受けておいで」と応援してくれたのです。
私が読者モデルに合格するなんて、とても思えませんでした。
でも、自分の弱い所を克服して・・・
『あの女優さんみたいに皆に元気を与えられる存在になりたい』
そう信じて挑戦することにしました。
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