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【4】セーラー服のころ

※中学生時代のセーラー服のころについて話に入る前に、前章の”ランドセルのころ”の後編部分を少しだけ入れます。

<ランドセルのころ 後編>

小学生の頃、両親と街へお出かけしたした際に、セーラー服のお姉さんたちが私の目にはとても煌びやかに見えた出来事がありました(話が脱線し過ぎるので具体的なエピソードは省きます)

そのセーラー服を着た華麗なお姉さんたちの姿は、幼い頃の私にとても優しく接してくれた神社の巫女さんと、どこか重なる凛とした姿がどうしても忘れられなかったのです。

その方々が地元でも有名な中高一貫の名門私立中学校(共学)の生徒だと知った時・・・
『私は絶対にその中学校へ通う』と心を決めました。
 
いつもは優柔不断で自分のことも決められないような私でしたが、
『この学校へ通う』という直感にも似たひらめきを信じて、とにかく勉強に励みました。
そう、中学受験をすることに決めたのです。

両親にその話をすると、学費の面や通学にも距離があることもあり、母は少し反対していました。
しかし、父は大喜びで対照的だった事を覚えています。
今、考えると私の通学時間が増える事が父にとっては好都合だったのかもしれません。

私の家は、父の意見が絶対なので話はすんなりと纏まりました。

あとは受験勉強を頑張るだけです。
倍率も3倍を超えるということもあり私は必死に勉強をしました。
 
いつも、のんびりしていた私が急に熱心に勉強し始めたので、友だちは戸惑っていたようでした。

放課後や休みの日に遊びに誘ってくれることも自然と無くなりました。
元々、勉強をするのは好きでしたが、容量が悪く成績になかなか結びつきませんでしたが、少しずつ点数が良くなることが励みになって、私は前向きに努力を続けていくことができたのです。

その姿を認めてくれたのか結果的に、母は中学受験を応援してくれていました。

週末は家族でゆっくり過ごしたい、というのが父の方針でしたが、受験を考えてからは家族で出かけられるのは月に1度あるかないか程度でした。

そして、受験を終え合格発表の日、掲示を見に行くのが怖くて、自宅で母と一緒にHPに公開されるのを待っていました。

自分の受験番号を見つけた時、一気に涙が溢れたことを覚えています。
嬉しいはずなのに、涙が止まらなくて、母にしがみついて泣いてしまいました。

母は、私の好きなお店のケーキを買い、大好きな炊き込みご飯で祝ってくれました。

こうして私は、私立紫ケ丘(ゆかりがおか)学院中等部の門をくぐることができました。

<セーラー服のころ>

 入学して1年が経過し、段々とセーラー服での生活も慣れてきた頃・・・
 私は「男性の性的感情」を目の当たりにしてしまうのです。
 今、思い返しても動悸が激しくなってきます。
 あの夏のことは、本当は、忘れたいのです。
 でも、ここには正直に書くと決めたので、書こうと思います。
 私が中学校2年生の夏に起きた、悪夢のような出来事を。


※ごめんなさい。ここから先は変態部分が含まれます。
そして、私の男性トラウマ部分も含まれます。
私にはアンチも沢山いて、そういった方々全員に見られて弱みを知られるのは避けたいので、ここから先はそういった方々を避ける為に、申し訳ないのですが【有料】に設定させて頂きます。
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次の章からもトラウマ部分以外は当然無料で公開するのでご安心ください。
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