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オトナの思春期

40代を前にして人生の選択や決断に迫られることを「オトナの思春期」と言うんだそうだ。私、まさに今そんな感じ。

人生の正午

心理学者であるカール・グスタフ・ユングは40歳前後の時期を「人生の正午」と呼んだ。昨年末で活動を休止した嵐のメンバーたち(の特に言い出した大野くん)もきっと40代を前にして人生の午後の過ごし方について考え決断したのだと思う。

そんな私も40歳が見えてきて、午後のことを考え始めてしまったんだ。自分が選んできた会社が悪かったのか、転職をしたのが悪かったのか、単に能力が無かったのか、ずっと働き続けてきたのに結局何のキャリアも肩書も持たず、社会人としての結末がなんとなく見えてきてしまっている。

29歳の時は息子を産む時だったからキャリアについてはさほど悩まなかったし(まあ、考えなくはなかったけど。当時は高齢者施設と保育施設の幼老複合施設を作ろうと思っていた(笑))、30代は仕事と子育てに追われて必死だった。

途中で会社が潰れかけたのでやむなくファーストキャリアの道から大きく外れ(その時はさすがにメタメタに悩んだ)今は家から近くて残業がほぼ無くてお給料はほんのちょっと贅沢が出来るくらいにはいただけて、でも特に面白みも思い入れも無い仕事をしている。

何者とは何者なのか

私は結局、この歳になっても何者にもなれなかった。

でも・・・何者ってなんなんだろうか。私は何になりたかったのだろうか。何をして成功したかったのだろうか。誰に認めてもらいたかったのだろうか。

リーダー、課長、部長、社長?

才能を認められて売れっ子写真家になったり、キラキラ活躍するクリエイター?

何か特別な偉業を成し遂げたかった?

・・・なに?(笑)

何者かになんかなるわけない

本当に、つい数日前まで何者かになりたかった私。恥ずかしながら、noteのプロフィールにも「そろそろ何者かになりたい」ようなことを書いているのだけど、だけど・・・ある時突然「何者かになんてなるわけないじゃん」とストンと懐に落ちてきた。

何者かになろうともしていないのに、なるわけがない。

何になろうか決めてもいないのに、なるわけがない。

誰のものでもない自分の人生の目的地を、自分で設定しないで誰がするのか。なにも、見えるはずのない最終目的地なんて今すぐ決めなくてもいいの。「やりたいこと、どんどんやればええやん」答えはものすごくシンプルだった。

今の私の人生は一度きり。ユングの言うように、人生の午後はもう上昇拡大することはない。そのことを念頭におきつつも、それでも私は、いつ死んでも満足できるように生きて行きたい。

・・・とりあえず、プロフィール書き直そうか(笑)

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