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名前に願いを込めすぎない。


2020.7
生後7日目。子に名前を付ける。

私は、ずっと前から自分の子どもの名前を考えていた。それは、お腹の中にいる赤ちゃんの性別が分かったときからでもなく、妊娠がわかった時からでもなく、そのずっとずっと前からだった。

「自分に子どもがうまれたらどんな名前にしたいか。」そんな話をして、友達とよく盛り上がったのは、小学生の頃からだったと思う。その頃から、「名前集め」をしていた。素敵だな、と思う名前に出会ったら、すぐにお気に入りのノートに書きとめた。

30歳になり、子が生まれ、「子どもの名をつけたい。」という私の長年の願いがいよいよ叶うときがきた。ずっと前から想像してたはずなのに、目の前の赤ちゃんが一生使う名前を、自分が決めるというのが不思議な感覚で、ふわふわした気持ちになる。

子の名前については、夫と話し合って、生まれる前にいくつか候補をあげていた。
キラキラネームじゃなくて、中性的で、姓名判断の画数が悪くない名前にしようと考えていたが、最終的には生まれた顔をみて決めることにした。

けれど、生まれた顔を見ていちばん初めに思いついた名前は...「ぽこ太」だった。
初めて顔を見てびっくりした。用意していた中性的な名前がなんだかしっくりこない。
これまで呼んでいた、胎児ネーム「ぽこ太」のほうがしっくりくる。ポコポコとお腹を蹴るのが激しいから、ぽこ太と呼んでいたのだ。
毎日呼び続けた胎児ネームに愛着をもってしまったこともあり、目の前にいる赤ちゃんのはどうみても、「ぽこ太」だった。

とはいえ、やはりぽこ太と名付けるわけにはいかない...。
将来、子の背が伸び、声も太くなったときに「○○ ぽこ太です。」と自己紹介しなければならないのは残酷だ。自分だったら嫌だ。
葛藤の末、結局用意していた候補の名前から選んだ。


子の名前には、「生」という漢字が入っている。

わたしと夫は、子に対してどんな職業についてほしいとか、どんな風に生きてほしいとか、そういうことをあまり考えていない。
英才教育をしようとか、そういうことも特に考えていない。(それがいいかどうかはわからないけど。)
とにかく自分の意志で選んだ道を思うように生きてくれればいい。


ただ願いを込めるとしたら、一つだけ。
「自分よりは長生きしてほしい...。」これに尽きる。
子の心臓が止まらずにトクトク動き続けて、生きていてさえくれればそれだけで幸せだ。それは、心臓が動くということがどれだけ尊いことなのかを感じた、妊娠中の日々に感じたことでもある。

子が大きくなって、自分の名前の由来について私に聞いてくることがあるかもしれない。そのときには、「あなたがどうなっても、どんな道を選んでも、私たちはあなたが生きてさえいてくれればいい。だから、「生」という漢字をつけたんだよ」と伝えたい。

名前の由来が、子にとってつらいときを支える糧や、なにか大切な選択をするときの応援になってくれれば嬉しい。



2022.12

子は2歳半になった。
これまでどれだけ子の名前を書く機会があっただろう。病院で書く問診票や、保育園の持ち物。
もしかしたら自分の名前よりも、子の名前を書く機会、見る機会が多くなっているかもしれない。

子の名前を見ると思いだす。
自分がなぜ、この名前を子につけたのか。
「生きていてさえくれればそれでいい。」
それがただ一つの願いだということを。

イヤイヤ期真っ只中の子には、正直、こちらの思い通りに動いてほしいと思うことが多々ある。
けれど、わたしはこの子に「生きてほしい」それだけを願ったのだから、と思いなおす。
「私に意志があるように、この子にも意志があるのだからこちらの願いを込めすぎないようにしよう」と。

子の名前の由来が、私にとっても、育児のつらい部分を乗り越える糧や、自分に対しての応援になっているのだった。



我ながらいい名前をつけた。
人生で一番大好きな名前。





妊娠〜育休あけまでを振り返り、綴っています。
まとめたマガジンはこちら。

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