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「ワーママ」を1年で辞めたよ。ってはなし。

2023年春。
私は育休復帰から1年、時短勤務で働いていた会社を退職した。そのことについてリアルな気持ちを綴っていこうと思う。


仕事について

結婚を機に転職をした私。事務で採用されたが、のちに営業に職種を転換した。
正直、営業職への適正は感じていなかったものの、「とりあえず淡々とこなすしかない。仕事だし。」というマインドのもと、頑張る日々。(残業もかなり増えた。)

そんな中、第一子を妊娠。「もうすぐ産育休に入るし、それまでは頑張ろう…。」と、なんとか仕事を続けた。

育休から時短で復帰

2022年春。約2年の育休を経て、10時〜16時の時短勤務で職場復帰をした。
職場は通勤に1時間かかる場所にあったし、保活に苦戦し二次募集でやっと決まった保育園も遠かったので、この働き方しか不可能だった。(ちなみに実家が遠く、頼れる人はいない。)

復帰後、待っていたのはもちろん営業の仕事。同僚が8時~19時くらいまで稼働する中、私は10時~16時までしか稼働できない。1日で言えば5時間の稼働時間の差。けれど、同じ土俵、とまではいかないにしてもやはり営業職。成果は数字で見られる。

やるなら一生懸命やりたいし、時間の制限はあれど先方にはせめて他の営業と遜色ない対応がしたい―――。しかし、アポを入れるともう一日が終わる。産育休のブランクもありインプットしなきゃいけない情報もたくさんあるのに、時間が足りない。

そして会社員としての一日を終えても、切れ目なく子供のお世話や家事が待っている。産育休に入る前は残業なんてしたくなかったが、残業ができる自由を羨ましくさえ思う。

やらなきゃいけないこと、やりたいことなんてたくさんある。しかし残念ながら要領がいいわけでもなく、すべてが思い通りに進まない。

洗礼に見舞われる

そして降りかかる保育園の洗礼。
子の突発性発疹、結膜炎、謎の発熱、ずっと続く咳、鼻水…。
からの、たった一人の協力者である夫の発熱…。
そして家族がうつしあう、無限ループ。

まだ免疫を獲得できていない子どもが熱を出すことは当たり前のこと。だけど、自分に余裕がなさ過ぎて、(なんで熱なんてだすのよ…!)なんて思ってしまう。子どもだって夫だって、熱にうなされながら頑張っているというのに、優しくすることができない。
そんな自分も嫌いになった。


限界だった。

急に仕事を休むことでアポをリスケしたり、他の人に任せるしかなくなる。みんな「大丈夫」とは言っても、嫌な思いをさせてしまっているのではないか、周りに迷惑をかけているのではないかという不安が常につきまとう。

復帰したら、職場の上司・メンバーも替わっていたし、同じようにママをしている人もいなくて、自分にとっての心理的安全性が低かったこともじわじわボディーブローのように効いていた。

「家庭を第一にして働いているから…。」と割り切ろうとしても、一番大切にしたいと思っている家族にも優しくすることができない現実に、何ともいえない虚無感があった。

悲しい気分になり、涙がでる日々が続いた。これはもう限界なのかもしれないと、心療内科に行こうともしたけれど、初診で見てもらえるのは何ヶ月か先…。そんなに待てない。
今。とにかく今がつらいから。
とにかく休みたい。
一回、止まらせてほしい…。

我が家の転換期

仕事を辞めるか、悩んでいた。
夫はそんな私に「辞めてもいいんじゃない?」と言ってくれた。「辞めても自分が働くし、生活はきっとどうにかなるよ。」と。こんなとき、2馬力のありがたさを痛感する。

私は仕事を辞めることにした。
そして、このタイミングで夫も転職することにした。
もともと、数年の間には転職したい、と話していた夫。けれども私の仕事のこともあるし、一人では決められないことなので、動けないでいた。
私の仕事という制約がなくなれば、転職先の候補地がぐぐっと広がる。
動くなら絶好のタイミングだった。

夫は「転職する」と決め、1か月後には転職先も引っ越すことまでも決まった。仕事をしながらの転職活動は大変そうだったけど、覚悟を決めて、やりきってくれた。

夫が転職を決めてくれたおかげで、「夫の仕事が理由で引っ越すから、仕事を辞める!」という大義名分も生まれ、正直気持ちがずいぶんと軽くなった。 

本当にすべてのタイミングがカチッとはまり、私は家族とともに新しい地での生活をスタートすることになった。

自分にとって何が幸せか、に立ち返る。

最近、「扶養制度がなくなる」という話も聞くし、周りに「正社員を辞めるのはもったいない」とか、言われたりもする。
社会的には、産育休をとって、復帰して働くっていう流れが、一般的だし推奨されている気がする。でもそれって本当に幸せなんだろうか?
誰都合なんだろうか?

ワーママとして働くのは結構難易度が高い。もちろんできる人もいるんだろうけど、私には不可能だった。個人の幸せを、私の幸せを考えたときに、本当に幸せな形はどんな形なのか。真っ直ぐに考えたときに私は「この形ではない。」と明確に思えた。

そもそも、仕事も家事育児もこなせている人は特別すごい人なんだと思う。相当な体力とメンタルが必要だ。なかなかできることではない。
それなのに、みんなこなせるもの!こなすもの!!みたいな風潮はいったい何???と思う。
普通や、当たり前の基準が高くなっていないか?ただただ頑張る女性の胆力に頼るこの社会構造が甚だ不思議である…。

生きていると結局、自分にとって何が幸せなんだ?ってところではなくて、目には見えない流れ…みたいなものに巻き込まれることが多いと私は感じている。

でも無理してその流れみたいなものに乗る必要もないと思うし、つらいことは手放していいし、なんかもっと楽に生きる道ってあるんじゃないかと思う。

最適解は、各家庭によって違う。
正社員共働きではなくなり収入は減ったけれど、心に余裕ができ、ちょうどいいバランスで生活が回っていて、我が家はすごく今、幸せ。
仕事を辞めたことを、一切後悔していないどころか「いい選択をした」とまでに思っている。

自分も家族も大切にしたい

「会社を辞めて、主婦になった」と言うと「え?また働くんだよね?」と言われたりもする。まあ、そんなことは予想はしていたけれど、外で働くということを夫に一任していることを自分が一番気にしているだけにチクリと胸が痛い。夫に何かあったときに、今度は私が夫を助ける立場でいたい、という気持ちがあるのもやっぱり事実。

転職した夫は、「俺はやりたいことが叶う転職ができた。だから今度は自分のやりたいことをやってみたら?俺が会社員として働いているから、会社員じゃなくてもいいと思う。チャンスだと思う。」と私に言ってくれた。

そう。今が私にとっての最大のチャンス。絶望から急に希望が生まれた。

人生は長い。けど短い。

人生は長い。
平均寿命80年と言われる人生の中で、たった数年休んで何か不具合があるのだろうか?
長い目でみたらほんのささいなことでしかない。キャリアブレイクしたっていいじゃない。いつからでもまた始めれば。

一方で人生は短くもある。
子が生まれてからそれをひしひしと感じている。どうしても自分よりも子を優先することが多い日常で、自分のために使える時間も減って。その上、仕事まで自分を消耗することに費やすなんてもったいない気がしてくる。
自分を後回しにしているうちに私はおばあちゃんになってしまう。30代で自分の人生を諦めるのか...?というか、そもそも誰かのために自分の人生を諦めるという「犠牲心」は必要なのか...?


自分の気持ちを犠牲にせずに、家族を大切にして生きることだってきっとできるのではないだろうか。
私はそう信じている。
そして、そういう道を進んでいく。




熱が入りすぎてとっても長くなってしまった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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