もし、過去に戻れたとしたら、私は何をするのだろうか?
この世界のほとんどの人が夢見るであろう「もし、過去に戻れたら」「人生をやり直せたら」という妄想。
昨今、転生もの、やり直しものの小説が流行っている様に感じられる。そこには「やり直したい」という後悔を抱えた人が増えている背景があるのだろうか?
やり直しを望む人が増えているのならどうしてなのか気になる現象だと思う。
もちろん私もやり直したい事が沢山ある。後悔ばかりの人生だった。あの日に戻れたらと思うことばかりの人生でふと、「やり直せたとして何か変わるのだろうか?」という思考に辿り着いた。そこでこの記事で整理していきたいと思う。
やり直しと変化の必然性
もし、人生をやり直す事が出来たら。その時点で別の人生が始まっていると私は思う。一周目の再現をしようとしてもどこかでズレが生まれ、いつしか大きな差になってゆくと考えているからだ。
前に紹介した三秋縋先生の小説に「スターティング・オーヴァー」という作品がある。あらすじだけ紹介すると満足した人生を送っていた青年が突然10歳のクリスマスまで巻き戻されてしまう。充実した人生を送っていた主人公はもう一度一周目の人生を再現しようとするものの・・・というお話だ。
この小説で主人公はお察しの通り再現に失敗し転落していく。私がもし、やり直せたとして同じ目に遭う可能性を感じている。
私は主人公のように後悔がない人生を送っていた訳ではない。むしろ人間関係トラブルに始まり、いじめからの双極性障害発症とやり直せるものならやり直したい事ばかりだ。実際に一番酷かった時期は本気でやり直しを願ったし、そういった事をしてしまう人の気持ちも分かる様な状態だった。(ぼかしているが察して頂きたい)
けれど落ち着いた今はやり直したところで私は私なんだと考えている。
やり直しても私は私
結局、やり直しても私は私以外の何者でもないのである。名前や姿、さらに小説では流行りの生きる世界が変わっても自意識は変わらないと私は考えている。
もし、私がやり直したらという前提で話を進めてみよう。個人的にやり直すなら小学生に戻りたい。その頃が一番楽しかったし、友人に恵まれていた。ところが転校することになってしまい・・・というのが私の人生における転機である。
では、小学生に戻ったとして今の私が同じように楽しめるかというと上手くいかない可能性を感じた。様々なトラブルの後、私は双極性障害を発症し対人恐怖も持ってしまう。そんな私が戻ったとして同じように振る舞えるとは思わない。人間関係は確実に変化するだろうし、好転する保証は無いと考えている。
つまるところ、昨今の小説などで見られるような人生の好転は保証されていないと私は考えている。むしろ悪化の方を想定する必要があるのではないだろうか。
フィクションに色々言うのはやぼだし、そういった物語は爽快感があって私も時折読むのでそれはそれで楽しみたいとは思う。
人間的成長を目指して
私が伝えたいのは最終的に人生を好転させるのは人間的成長だという考えだ。やり直しという神様への他力本願ではなく自分の力で好転させていくしか無いと私は思う。
結局のところ変わろうとしなければ人間は変われないのである。停滞は悪くなることがないかもしれないが、良くなることもない。
現状に満足していないのなら、そして後悔したくないのなら、前を向き成長していくしかないのだ。これまでの後悔はその糧にしていこうと私は決めている。
もちろんやり直しを願うことを否定しないし、むしろ自然な事だと思う。ただ、思考を少し追加してやり直せたら何を変えたいのかについて考えてみてほしい。そして、そのために必要な事まで考えを膨らませれると今の自分に足りないものが見えてくると私は思うようになった。
理不尽との付き合い方
もちろん、後悔の中には責任がないものもあると思う。私の場合は転校がそれにあたるし、家族もその後にトラブルが発生することを予測しようがない。つまり誰にも責任がない行動だった。
そういった事でやり直しを願う事は当たり前だし私が口を出す領域ではないと考えている。
念の為書いておくがもし、この記事を読んで思い詰める方がいたら専門の機関を頼って頂きたい。私以上に辛い経験をした方も多いだろうし、今が辛い方に私が口を挟みたくはない。現実は理不尽でやり直しを願うことはとても自然な事なのだから。そういった方はここでそっと閉じていただければと思う。
その上で書かせていただくが結局のところ人生に理不尽は付きものなのだ。やり直したとしても理不尽に襲われない人生を送れる可能性は限りなく低い。ならば理不尽と向き合っていくことが建設的だと思うようになった。
人はそういったものと戦って強くなっていくのだと私は信じている。だから理不尽との付き合い方を学んでいく事で人間としてレベルアップ出来るのではないかと考えるようになった。
後ろ向きな決意
最後に言う事ではないかもしれないが、やり直しは出来ない。
後悔ばかりの人生でも、今更どうしようもないのだ。ならば前を向かなければ損ではないだろうか。
私の人生は何度も述べた通りやり直したいことだらけである。しかし、どれだけ望んでも神様はやり直させてくれなかった。数年に渡るやり直しを望んでいた時期を超えた今、諦めと共に前を向く決意を得た。
一見前向きだが、沢山の後悔と傷も一緒に諦めて抱えていくという後ろ向きな決意でもある。
今もこの決意を完全に肯定することは出来ない。やり直しを出来るなら希望する。ただ、今の世界にほんの少し愛着がある事もまた確かなのだ。
ここまで読んで頂いた方にもやり直したいことがあるのだろうと予想する。でも、辛いことにその後悔自体は今更どうしようもないのだ。
ならば今のことを、余裕があればこれから先の事について目を向けてはどうだろうか。今すぐでなくてもいい、暗いことしか思い浮かばなくてもいいので思考を過去からシフトさせる。それが出来たら自分自身を褒めてみてほしい。
それに過去は変えられないが未来は今から変えられる。後悔の内容によってはある程度の挽回ができることもある。
少しずつでいいし、何度振り返ってもいい。生きてさえいればいい。いつか前を向ける日が来ると信じてほしいのだ。
この記事が誰かの前を向く手助けになることを祈っている。