たぶん、わたしのはなし。 Vol.7 「求めたいし、求めない。理解されたいし、されたくない〜私的インナーチャイルドとハイヤーセルフの話〜」
突然だけど、私には「もう一人の私」が、あと二人いると思っている。一人は、私の中の子ども、「インナーチャイルド」。もう一人は、高次元の私、「ハイヤーセルフ」だ。インナーチャイルドは心理学的用語らしく、ハイヤーセルフについては、スピリチュアル用語なので、こういう話に抵抗がある人は、「なんかこのエッセイ、雲行き怪しいぞ?」と思うかもしれないが、多分そんなことはないので、もう少しだけ頑張って読んでほしい。
ここ一年くらいのことだけど、だいぶ自分自身をコントロールできるようになってきた。まあ、そんなことを言ってみた手前、まだまだなんだけど、以前の自分と比べて、格段と生きやすくなった気がする。私の中で、癇癪を起こしまくっていたインナーチャイルドを、私自身が撫でてあやすことができるようになったからで、これはもっと言うとハイヤーセルフのおかげだ。ハイヤーセルフというのは、個人を見守っている、言わば魂みたいなもので、生まれ変わっても、ハイヤーセルフはずっと同じらしい。私は多少スピっているものの、瞑想もしないし、オーラを感じるとかも、ごめんだが、無い。多少あった(?)霊感も、最近は有難いことに(?)薄れてきている。だからハイヤーセルフと言っても、「ああ!感じるぞ!」とか「繋がれている!」とか、そういうパワフルなものは無い。ただハイヤーセルフについて知った時、「ああ〜私これわかるわ。」と感覚的に腑に落ちた。
私的解釈でめちゃくちゃ簡単に書くと、インナーチャイルドは、自分自身の子どもの側面、または傷ついた子供の自分で、ハイヤーセルフは悟りに悟りきった、ハイパーな自分という感じ。なんだか話がややこしくなるので、ここからは、私は私を、「インナーチャイルド」、「私自身(このエッセイを書いているような、普段の自分)」、「ハイヤーセルフ」の3種類に区別して書いていこうと思う。
「鬼モトメタイモード」みたいなものがある。脊髄反射で出てくる欲望(三大欲求とはまた別物)とか、「嫌!」とか「なんでわかってくれないの!」という気持ちを、遠慮なく、大披露してしまうみたいな。お菓子売り場で、駄々こねる子供のイメージだ。あとこれは過去のトラウマによるものだと思うけど、苦い思いをしてやっと飲み込んだものを、もう一度吐き出して、じっくりと観察して、ああやっぱり苦いと思い、また苦しみながら飲み込むという、一連の流れ。それを何度も何度も繰り返す。こういう時、ああインナーチャイルドが優位になっている、泣き叫んでいる、と感じる。正直インナーチャイルドは厄介だけど、私にとってものすごく愛しい存在で、泣きたいだけ、泣いていてほしい。泣くのは赤ちゃんの仕事というように、そういう本能とか、ピュアな感情を死なせたくはない。私自身には、彼女を撫でることしかできないけど、これからも、そうしていきたい。それに、インナーチャイルドは、私自身にいつも大きなインスピレーションをくれている。
逆に「モトメマセンというか無モード」というのもある。なんとなくだが、「求めないこと」、「理解しよう、またはさせようとしないこと」が、上手に生きることの解だと知っているし、「なるようにしかならない」。どう足掻いても、私は私で、あなたはあなたなので、「諦めに近い、ゆるし」みたいなものが、人生のミソだともわかるし、それが人との繋がりを豊かにし、自分自身を魅力的にしてくれることもわかる。ゆるし合うことが愛で、それに、ゆるしに勝ち負けはなく、気持ちよさがそこにはある。何か良くないことが起こったり、どうやら不当な扱いを受けているな…みたいな時でも、前述した、確固たる「モトメマセンというか無モード」でいられる時があって、こういう時、ハイヤーセルフに包まれている感覚に陥る。昔の私自身は、インナーチャイルドをあやしきれずに、育児ノイローゼ気味で、なんなら一緒に泣いていたくらいだったけど、ハイヤーセルフのおかげで上手にあやせるようになった。彼女のおかげで、私は二人の私を救うことができるのだと思っている。インナーチャイルドと同様に、ハイヤーセルフも私にとっては愛しい、海みたいな存在なのだけど、頼りすぎてはいけないし、すがってもいけないと思う。なぜなら、それって、私自身がつまんないからだ。
インナーチャイルドに、まだまだ私自身を振り回してほしい。そのせいで汚いものだって沢山見る羽目になるけど、汚いものも愛したい。嫌なものは嫌だと言って、あなたを困らせたいし、困らせてほしい。それが私自身を豊かにすると思うからだ。ただ、インナーチャイルドが突っ走りすぎると、本当にヘトヘトになってしまうので、ハイヤーセルフと手を繋げるようにしておきたい、みたいな感じだ。
「大好きな人には私のことを一生懸命理解しようとしてほしいけど、私のことを絶対に理解しきらないでほしい」と昔、言ったことがある。我ながらそんなこと、よく言ったなと思うけど、返ってきた言葉は「きみのめんどくささは、きみだけのものなんだね」という意外なものだった。私のめんどくささは、私だけのもの。もう一人の私にお手上げになる前に、おまじないのように唱えるようにしている。私のめんどくささは、私だけのもの。「ただ、それは目の前にいる自分以外の人たち、あなたが大切に思ったり、あなたを大切に思ってくれている人たちも同じなんだよ」と、また別の、もう一人の私が教えてくれている。あなたのめんどくささは、あなただけのもの。矛盾した別々の自分から生まれる、自分なりの真理みたいなものに身を置きたい。矛盾こそが現実だと、いつだか何かの哲学書で読んだ。そうしないと立ってられない。立っていられないから、自分自身を納得させるために、私自身はこうして文章を書いているのだとも思う。
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