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詩がかけない大人にはなりたくない


もう一生、高校生のままでいいです。一生病んでていいです。
今このまま、辛い十五歳の心で、ずっと文章を書いていたい。
誰のことも救えていないけど、繊細な揺らぎを言葉に乗せることができるのなら。激しい感情を昇華させて、少しでも多くの物語が紡げるのなら。
苦しくてもしんどさを抱きしめて、ずっとこのままの私でいたい。


詩がかけない大人にはなりたくないです。


私の詩は、心の崩壊から生み出されるものです。詩は、SOSが鳴り響いた直後の衝動によって完成する自然の産物だと思うから。自分の文学は、壊れた心で作り出しているようなものです。精神の不調を物語に投影させて、できる限り美化したものが私の小説なのかもしれない。だから心が安定して健全な精神を手に入れたとしても、引き換えに文学を奪われてしまうのなら、それは絶対に嫌です。


器用に立ち回れるようになって、少しでも人と関わる術を身につけて、愛想笑いの上手な大人になってしまったら。文章は上手くなれるのかもしれないけれど、もっと本質的な、根本の感性を失ってしまったら。技術だけの大人には、表面だけの大人にだけはなりたくないです。心はずっと、青く脆いこのままでいたい。

ずっと落ちっぱなしで、いつまで経っても底から抜け出せないのは嫌だけれど。ゆるやかな灰色の靄は、心を覆ったままでいい。ここ二年くらいの理由もなく寂しくて辛い日々も、そのままずっと続けばいい。大切な人も救われた人もいるのに、何度も何度も死にたいと思ってしまうような、最低な私のままでいい。


小説を書ける私は、情緒の安定していない私です。
希死念慮が薄れてしまったら、きっと私は何も生み出せない。


詩のかけない大人になるのなら、その前にはやく死んでしまいたいです。今にも壊れてしまいそうな心と、脆い感性を失ってしまったら、この世にいる意味がない。生きている意味がない。私にとっての小説は、文学は、人生そのものです。それだけで食べていこうなんて甘い考えはもちろん持っていないけれど、小説の書けなくなった私には何も残らない。価値がない。人からいくら言葉をかけられたって、私の創作至上主義は揺らがない。


でも、もし。これから大人になっても、文学を紡げる私でいられたのなら。十代の心を、忘れないままでいられたのなら。その時は、今よりももっと。
この揺らぎも苦しみも、全部を抱きしめて、私にしか書けない物語を、精一杯世に送り続けたいと思います。



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