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死ぬにはいい日でした

死にたい、と願うとき、ここではないどこかへいきたいと願うとき。それは決して辛い時限定ではなく、幸せな時ほどそう思うことが多い。

この感覚は、健全な精神を持っている人にはあまり理解されないらしい。人生に、その先の未来に希望を持って進んでいける人に、こんな考え方などないのだろう。常に希死念慮を抱え、寂しさをやり過ごしながら生きている、僕のような人間がおかしいのだ。

確かに、あまりに楽しい日だったらもっと生きたいと思うかもしれない。明日も明後日もこのまま、絶頂が続くという保証があるなら、朝を迎えるのが待ちきれないのかもしれない。絶対に死ぬまで愛してくれて、振り向けば手を握ってどこへでも連れて行ってくれる、そんな人がいたのなら。陳腐な言い方をすれば「親友」と呼べるような、そんな存在になってくれる誰かがいたのなら。何もかも赦して抱きしめてくれて、頭を優しく撫でてくれる誰かがいたのなら。

そんなの全部全部、手の届かない幻想だけれど。


穏やかで平和な日があると、そのまま眠るように死にたいと思う。楽しかった気持ちのまま終われればそれが一番だし、そこから下がることもない。無理してその先の未来に手を伸ばしても、落ちていくのが怖いだけだ。

凪いだ心象を保ったまま、青空だけ見て向こうにいきたい。小さな微笑みを零しながら、綺麗な景色を眺めて死にたい。

それなのにこんな言葉を書き綴ることしかできない僕は、いつまで経っても死ねないらしかった。


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