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ぜんぶ傷痕、脆弱な青


ひとりじゃないよ。


あぁ、吐きそうだ。
ひとりじゃないよ、みんな一緒だから。私たちがついてるよ、だから大丈夫だよ、って、そういう言葉。気持ちが悪い。暴れる感情を、どうしようもない絶望を共有することなんてできないのに。
こんなことを思ってしまう自分が、単に捻くれているだけなのかもしれないけど。

死にたい気持ちを否定しないでほしい。月並みだけど、こう思う。生きてればいいことがあるだとか、そういう励ましなんてこれっぽっちもいらなくて、ただ何も干渉しないでいてほしい。肯定は嬉しいけど、できれば否定も肯定もしないでいてほしい。

つらい、しにたい、しんどいと検索すればお悩み相談センターのサイトしか出てこない、「ストップ自殺」の文字が躍るホームページは、何の役にも立たない。相談したってサーバーは混んでいて、返事は返ってこないし、ただ画面を見続けた目が痛いだけだった。

自分の苦しみは自分の苦しみでしかなくて、誰にも分からなくて。分かってほしいと思って告げて、「わかるよ」と簡単に言われれば反発心を抱いてしまう。だからずっと一人でいればいい。警告のサインが出たらひとりで隠れて、誰にも傷を見せず、こんな文章を書き綴る。Twitterの鍵垢だけが居場所で、あそこだけは唯一しにたいしにたいしにたいと叫べた。それでも救ってくれる特別な人なんていないし、そんなのいなくていいとまで思った。救いなんて一時的なものでしかない。救いはあったけど、もうそんなのあったって変わらない。結局は自分が辛ければ辛くて、しんどさを抱きしめるか首を吊るかそれしか選択肢がないのだと、今は本気でそう思う。

きっと自分の青春なんて、ずっとそんなものなんだと思う。
青春は、映画や小説みたいな、ラムネを凝縮させたようなものじゃなくて、もっと苦しくて痛くて脆い傷のことだと思う。それでも尚、絵に描いたような青春時代に憧れている。なれるはずがないのに、概念的な少女になりたいと願っている。いつまで経ってもなれないまま、そのまま大人になるんだろうと知った今日だった。


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