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子どもにとっての最善の利益とは

こんにちは!いつも読んでくださりありがとうございます🌟 

前回は「子どもの権利」について少ししましたので、今回は前の話に戻って社会的養護の理念である「子どもの最善の利益」についてお話したいと思います。

最善の利益とは?

 そもそもこの「子どもの最善の利益」というのは、前回出てきた「子どもの権利条約」の中で、子どものことで何か行われるときには、子どもにとって最も良いことを第一に考えるよう、うたわれています。

 「最善の利益」と言われても、「何が子どもにとって一番いいの?」なんて難しいですよね。みなさんだったらどんなことを思い浮かべますか?

 正直、これには定まったものや、明確な答えはないと思います。それは「その個々の子どもによって、何が最も良いことなのかは異なる」からであり、「その選択がベストであったかはその先々までわからない(わかったとしても判断しにくいこともある)からだと思います。

私たち支援者もこれには日々悩みながら取り組んでいますが、いつまでたっても、これで良いの(良かったの)だろうかと思ってしまいます。

では、どう考えればよいのかについて、私が大切だと思う視点をいくつか挙げます。

あくまで子どものため

 1つ目は、「子どもが権利の主体(主役)であるといううことを忘れない」ことです。これも当たり前のように見えて、実際は子供のためと思いながら(言いながら)親や大人の都合に合わせた選択をしている(させている)場面は案外良く見かけます。(自分のために子どもを操作するのは虐待に当たります。) 

 子どもは理解力や判断力が未熟で自分でうまく選択できないところもありますし、何でもかんでも子どもがやりたいようにするというのは違います。しかし、その選択はあくまで「子ども自身のため」でなくてはなりません。大人は勝手に決めるのではなく、「子供と一緒に考えて良い選択をできるための支援をする」というスタンスであることが大切だと思います。

その子のことを知る

 2つ目は、「その子自身のことをきちんと見つめ、知り、受け入れる」ということです。その子にとっての最善とは何かを考えるには、その子自身のことを知らなければなりません。その子にとって、安心することとは?快適ということは?幸せというものは?生きるということは?… 当然、子どもにも個性や価値観があります。みんな同じではありません。そして、無理やり同じ型にはめ込む必要はありません。

 「この子の目に世界はどう映っているのだろうか」「何を感じ、何を思っているのだろうか」「何に喜び、何に悩んでいるのだろうか」 そう、一つ一つ大切に見つめていけば、「その子にとっての幸せ、そして最善とは何か」の答えを一緒にみつけられるかもしれません。

そしてもし見つけられたら、それを「受け入れる」よう努めてみることも大切だと思います。たとえそれが自分たちの価値観と違ったり、世間一般とは少し違っていたとしても、「真っ向から否定する」ことはしないで欲しいと思います。 意見やアドバイスを言いたい場合も、一旦は「あなたはそう思っているんだね」と受け止めてみてください。そして自分の意見を言うときはその後で、「私は〇〇だとおもうよ」というと衝突しにくいと思います。 そしていずれの場合も最終的には「その子にとっての最善」にたどり着けるよう支援していけると良いなと思います。


とはいえ、なかなか難しいですよね。これがベストだと確固たる自信をもてることは少ないと思います。(これで消耗していく支援者も多いです)でも、常にそこに立ち返り、日々試行錯誤しながら進んで行くことが大切ですし、その思いがある限り、「ベストではなくベターな解になったとしても、ワーストな解にはならない」のではないかなと思っています。


 こどもの「小さな心のなかにあるそれぞれの灯火」を無理やり奪ったり、消したり、大人自身のものをもたせたりするのではなく、こどもがその灯火で「自分自身を温め、自分自身の行く先を照らして行ける」よう、そばで支えていけたら良いなと思うのです。




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