ロンドン交響楽団のHalf Six Fixと、ショスタコヴィッチの交響曲1番@バービカン・センター
チケットがあまっているので行きませんか、というお誘いをいただき、バービカン・センターへ。Half Six Fixという、ロンドン交響楽団のイベントである。
ハーフシックスは、6時半。仕事の帰りに気軽に寄って、1時間ロンドン響の演奏を楽しみ、終わったら7時半なので、それからごはんも食べられる、というわけ。ホール内に飲み物も持ちこんでいい。不動産屋に、5時のアパートの内覧のあとではおそすぎるから、手続きは次の朝、といわれたことがあって、日本人ならそのくらいの時間、絶対やるよね、と思ったことがあった。だから6時半始まりというのは、いい線なのだろう。良い音楽が身近になる、素敵なコンセプトである。
座席について、ロンドン響のウェブサイトの説明を読んでいると、アプリでリアルタイムに説明が出る、という。隣にいた人に聞いたら、アプリの名前を教えてくれたので、その場でダウンロード。わたしはホールで音楽を聴いている間、演奏者や指揮者(特にピアニストならその手もと)を見ているのが好きだし、それを作動させるには特別のwifiにつないでおかなければならないことをあとで知ったので、この恩恵には浴さなかった。しかし、おもしろい企てである。
演目は、リヒャルト・シュトラウスの『ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら』と、ショスタコヴィッチの交響曲一番。さらなるサービスは、指揮者が演目についてその前に5分くらいトークしてくれることである。今日の指揮者は、ロンドン響の首席客員指揮者である、ジャナンドレア・ノセダ。
今シーズン、ロンドン響はノセダのもとで、ショスタコヴィッチの交響曲を、シリーズでやるようだ。ノセダは、かれの交響曲サイクルが、作曲家のライフ・ストーリーと同時に、20世紀の世界史で何が起こっていたかを語るという。ソ連の独裁政治下に、自分の声に忠実であろうとすることを。
わたしはまさに、こういう人生の葛藤が作る芸術表現についての研究を専門にしているのだが、いうまでもなく、音楽でもそれができるわけだ。そして音楽のばあい演奏者(指揮者)は、それを理解し、その声をさらに現代の彼(女)のものとして、あらたな表現に再生していく。
交響曲1番は、ショスタコヴィッチの音楽学校の卒業制作で、1924-25年、19歳のときの作品だ。人間の自由意志は、生物学ないし行動主義によって束縛されている、という主題は、当時流行の思想だった。チャップリンが初期のサイレントの傑作を撮っていた時代でもある。ショスタコヴィッチはチャップリンが好きで、この作品への影響も指摘されている。
そしてさまざまないたずらを繰り広げながら世の中をわたり歩く道化、14世紀のドイツに実在したとされる伝説の奇人(トリックスター)のティル。そのティルの一生をシュトラウスが、管弦楽法を用いて曲にしたのが、『ティル・オイゲンシュピーゲルの愉快ないたずら』である。19歳のショスタコヴィッチは、この曲の影響下に、交響曲1番を書いたので、今日の2曲がカップリングされている、というわけ。
1924年のソ連は、レーニン死去の年であり、その後の権力闘争ののち、スターリンが台頭する。のらりくらりと権力をかわす道化のアイデンティティでも採らなければ、息がつまるような世界だったのだろう。
19歳のショスタコヴィッチはしかし、軽妙で諷刺的なその最初の交響曲の第2楽章を、マーラーを思わせる悲劇的なトーンで終わらせている。
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