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短編小説 5月の空を泳ぐヤツ。

「今度のゴールデンウィーク、先輩はご家族とどこか行くんですか?」
昼休みも終わりに近づく頃。喫煙所で偶然居合わせた笹本は、挨拶もそこそこに、人懐こく切り出してきた。
「ちょっと遠出して、○○川沿いでも歩こうかって嫁と話してる。毎年、たくさん鯉のぼりを泳がせてるから、息子が喜ぶかなって」
「おお、いいですね。息子さんいくつになったんですか?」
「もう三歳だよ」
「じゃあ、まさに…だ」
「まさに?」
「三つ子の魂百までって言うじゃないですか。今が一番、一生の思い出になる確率が高いって事でしょ?いろんなとこ連れてってあげなきゃですもんね」
笹本はニカっと笑う。しばしば、こういう事を言うヤツだった。
こいつが新卒で入ってきてから、四年ぐらいたっただろうか。俺にとっては初めての後輩で、今でも一緒に仕事をする機会は多い。いわゆる〈少し変わったヤツ〉なのだが、企画会議やブレストで輝くタイプというか、常識を踏まえた上で物事を別の角度から見ているというか…。妙な場面で発揮する頼もしさは、社内でも定評がある男だった。
「鯉のぼりと言えば…」
さっそく、別角度の話が始まる予感である。笹本の目がこんな風に輝くと、なぜかいつも聴く態勢に入ってしまうのだから不思議だ。
「鯉のぼりの中に、一匹だけ変なのが混ざってる事、ありません?ナマズとか鰻とか」
「確かに、見た事あるな」
「でしょ?自分だったら、何を泳がせるかなって、よく考えちゃうんですよね」
「へぇ。お前らしいっちゃらしいけど」
「いやいや、これが意外と難しい問題なんすよ」
「難しい問題?」
もったいぶったように一つ咳払いをして、笹本は真剣な眼差しを俺に向ける。
「先輩なら、何を泳がせます?」
瞬きの音でもするような、一瞬の沈黙。
「え…なんだよ、突然」
「先輩も一回考えてみたら分かりますから。ね!」
満面の笑みを浮かべる笹本に、少したじろいだが、これも昼休みの戯れ。午後の仕事を前に、頭の運動をしておくのも悪くないだろう。
「ああ…。なんだろ、鯉のぼり。鯉のぼりか…」
タバコをくゆらせながら、まずは鯉のぼりの基本形から考えてみる。
屋根より高い鯉のぼり。大きい真鯉はお父さん。小さい緋鯉は子どもたち。豊かな春の風を受け、鯉のぼりたちがたくましく空を泳ぐ光景が、当然ながら脳内に浮かんだ。
「泳ぐ系でしょ?イルカとかクラゲとか?」
「無難ですねぇ」
「じゃあ…揺れる系で、ワカメ」
「地味っすねぇ」
「あ、チンアナゴとか?」
「いっそ、海の生き物から離れません?」
「エビ…フライ」
「揚げてる系っすねw」
「じゃあ…寿司。とか」
「おっ、握ってる系?」
「…流れてる系」
「流 れ て る 系 www」
なんとも軽快な会話のキャッチボールを繰り広げたところで、笑いを堪えていた笹本がついに噴き出した。一しきりゲラゲラ笑うと、ヒィヒィ言いながら会話を戻してくる。
「いやいや、そもそも海から離れてませんって!」
さすがの俺でも、そんなに笑われてしまうと居心地が悪い。
「そういうお前は、どうなんだよ」
仕返しのつもりで言い返すと、笹本はフムと煙を一つ吐いた。妙に厳かな雰囲気で、灰皿のフチにタバコを置く。俺もそれに倣ってタバコを置いた。
それはなんだか、決闘の合図のようだった。
「アスパラガスとか」
あっけらかんと言い放つ笹本。おいおい、妙な雰囲気まで醸し出しておいてそれはないだろ。そんな微妙なラインじゃなく、お前ならもっと斜め上な答えを出して来いよ。
「お前さぁ…風に泳がせたところ想像してみ?ひょろひょろなアスパラでいいのかよ」
「じゃあ、ネギ」
「しなしなかよ。新鮮であれよ!」
「ゴボウ!」
「泳ぐ姿はボッキボキってか?」
「ヤマイモ!」
「…さっきの俺の話聞いてた?」
「隣におろし金も泳がしておく」
「あっ、なるほど、もう摺っちゃう。空からとろろがドロッドロ降ってきたらご飯かけて食っちゃう…ワケねぇだろ!いやそもそも何なの?農協の鯉のぼりなの?」
我ながら見事なノリツッコミ。大学時代、お笑いサークルに捧げた青春の日々。学業の片手間ながら、本気で漫才をやっていてよかった。全てが今、報われたような気さえする。
しかし相手はあの笹本。俺がノってきたと分かるや否や、不敵な笑みと共に次の燃料を投下してきた。
「更に、隣に蕎麦を泳がしておく」
ああ、自分の蒔いた種。農協だけに。
俺は勝負に打って出る。蕎麦だけに。
勝率は5割といったところ。蕎麦だけに。
いいんだな、やるぞ、笹本。俺は恥を捨てるぞ。
「とろろの隣に、蕎麦…。とろろ蕎麦、だと…?!」
「更に隣に山葵も泳がしておく」
「あっ、さっきおろし金あったね?!摺れる、摺れるよぉ?!」
「お待たせしました、とろろ蕎麦でーす」
ここで笹本はにわかに、蕎麦屋の店員というキャラクターを憑依させてきた。
それならば俺も、蕎麦屋の客を憑依させ応戦せねばなるまい。
「あ、あざーす」
おしぼりで手を拭く。割りばしを割り、椀に手を添え、蕎麦を掴む。
そして仕上げに渾身の、蕎麦をすするパントマイム。
「ズッ、ズズッ、ハフ、ズゾゾーっ…」
小学生の頃、じいちゃんと噺家さんの真似をして遊んだっけ。じいちゃんのすする蕎麦、美味しそうだったよなぁ。俺、今ならちゃんと出来てるか…じいちゃん…。
「…とろろ蕎麦うめぇー!!」
「「よっしゃー!!」」
何年もコンビを組んできたボケとツッコミであるかのように、俺たちは共鳴した。
でも、まだ終わりじゃないよなぁ、笹本。お前は俺に、蕎麦まですすらせたんだ。オチの前に、もう一ボケいこうぜ。
興奮と期待で口角を震わせながら、今度は俺から燃料をお見舞いしてやる。
「けど、なんかこう、薬味が足りないような…」
「薬味…」
「ハッ、ネギ…!」
「ああ、ネギ…!」
「「ネギー!!」」
俺たちの悲痛な叫びが、喫煙室に再び響き渡る。最っ高の気分だ。
「先輩がさっき、しなしなかよって不採用にするからですよ!?偉そうに新鮮であれとか言ってぇ!!」
そうだ、笹本。さすがだ。それでいい。オチはこれで行く。分かるな。言うぞ。
「お前こそ、最初から蕎麦を出せよぉ…!!」
「「あー!!」」
最後の共鳴。行こう、笹本。このまま行こう。俺たちならやれる。
「もうちょっとだったのに…いや、惜しかった」
「惜しかったっすねぇ」
「…いや、何が?」
「…何だっけ」
笹本の体がゆらりと不気味に動いた。それさえも絶妙な間、最高の沈黙。
「……ね?難しいでしょ?鯉のぼり」
完璧だ。あまりにも完璧だ笹本。1カメも2カメも3カメも、腹が立つお前のドヤ顔を抜きに抜いている。抜きまくって、お茶の間に流れまくって日本中が大爆笑だぞチクショーこのヤロー!
激しい雨音のような拍手とともに、どうもありがとうございましたーと脳内の俺たちはステージからハケて行った。
代り映えしない職場の喫煙所には、軽い息切れをする二つの体。
俺と笹本は、確かにやりきった。やりきったのだ。得体の知れない達成感に踊る心をひた隠し、極めて冷静を装って、俺は笹本を見た。
「…まぁ、言わんとする事はわかった」
「え?何がスか?」
俺の熱量に対し、極めてケロリと、実にキョトンと。今までのやり取りなど何もなかったかのように、どこまでも通常運転の笹本がそこには居た。
そうだ。こいつはしばしば、こういう事を言うヤツだった。やってのける奴だった。
負けだ。俺の負けだよ、笹本。ありがとな。めちゃくちゃに、楽しかったぜ。
灰皿のフチに置いていたタバコの、長くなった灰を落とすと、一息吸い込む。
「そろそろ仕事戻るか」
「そっすね」
俺たちは二人して、タバコの火を灰皿に押し付けた。
さしずめこれは、茶番が終わる儀式と言ったところか。
「あっ、先輩」
「なんだよ」
「今夜、蕎麦食いに行きません?」
笹本はニカっと笑う。…しばしば、こういう事を言うヤツだった。

終わり

(2024年4月 art at TETTO vol.12「昨日、今日、明日」展示用書き下ろし)


※以下、作品と合わせて展示したあとがきをそのまま掲載します。

この作品を選び、最後まで読んでくださりありがとうございます。
個展に合わせた書き下ろしということで、少しコメントを書いてみます。
私の根底には、映画や舞台の〈脚本〉という形での文章が、特に色濃く流れています。アイデアが浮かぶ時や、お題に沿って書き始める時は決まって、頭の中で映画や舞台が始まるのです。脳内の劇場に、開演ブザーが響き、幕が上がる。今回は特に、それをそのまま書き写したような作品になりました。漫才やコントのように、軽快なやりとり。これと言って内容がある訳ではないけれど、今日もどこかで生活していそうな二人の日常。後味に、リアルな関係性が一瞬香ってくるようなお話。に、書けているでしょうか。
余談ですが。「先輩」が大学時代に組んでいたお笑いコンビの名前は「アテナラベル」。相方は、留年して同級生になった先輩「名取洸汰」。そして当時は芸名として「竹下シール」と名乗っていました。
…ここまで妄想しておきながら、後々気付いたのですが。
「先輩・竹下」と「後輩・笹本」。竹と笹で、やっぱりなんだかいいコンビなんだと思います。
いつかまた、二人が頭の中に遊びに来てくれたらいいな。その時はまた、書きますね。

たておきちはる

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