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反ガストロノミー主義

先日のこと。

例によって徹夜で活動のち、一睡もしないままに都心へ出かけた。東京ステーションギャラリーおよび貨幣博物館で開催中だった、辰野金吾関連の展示を見に行ったのである。

見終わった段階で時刻は昼過ぎ、すでに疲労と眠気で朦朧とする意識の中、わけあって神保町へ向かった。

平日真っただ中で古書展もなく、お目当ては老舗洋食店「ランチョン」だ。


靖国通り沿いにある同店は、創業が明治42年の名店なのだが、なんとなくハードルが高い感じがして僕はほとんど行ったことがなかった。

でも実際は日替わりプレートなら千円で食べられるし、まあ安いわけではないけれども取り立てて高いわけではなく、たまには行ってもいいかなと思える店だと最近気づいた。

で、今回の目的というのは正直言うと食事じたいではなく、この店が110周年を迎えたことを記念した「記念ビール」にあった。

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1人1日1杯にかぎられるとはいえ、1杯110円でビールが飲めるというのは格安だろう。

まして記念のグラスまでいただけるとあっては、生粋のコレクターである僕にとってはゆめゆめ見逃せぬ機会だと思え、無理を通して向かった次第だ。

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本当なら、その大きさが評判のカキフライも食べたいところだったけれども、なにぶん体調が万全ではないので、おとなしく日替わりをオーダー。

この日はチキンカツとサーモンムニエルで、疲れた体にしみるうまさであった(ヘッダー画像参照)。


ところで僕は、仲間内では味音痴と思われることが多い。

確かに嫌いなものはおろか、好きなものすら全くないから、何を食べてもそれなりに「おいしい」という感想を抱くことができる(ことしかできない)。

貧乏舌なのも相まって、コンビニ弁当なり牛丼なり、毎日ほとんど同じものを食べていてもまったく苦にならない性格で、ひとりで外出した時などは安いチェーン店で簡単に済ませることがほとんどである。

それをして、早い話が、味の良しあしを理解できないと評されているわけだが、別にそれでもいいのではないかと思っている。


それよりも、やたらに嫌いな食べ物の多い人間が、僕は苦手である。

アレルギーで制限が多いのなら同情もできるけれども、単にアレが嫌いコレが嫌いと料理に面倒な注文をつける輩とは、食事を共にしていて楽しい気分はしない。

もっというと、やたらに(殊、大した値段でない料理に対して)マズいマズいとケチをつける手合いも嫌いだ。
高い金を払ってそれなりの店に入っているならまだしも、そうでないのに己の偏狭な視野で文句をつけるのが、賢い振る舞いと思えないのだ。

それならば、たいていどんなものでもおいしいと思って食べられるほうが、よほど人生を楽に謳歌できるのではないだろうか。

といって、結句、味を楽しむ意識が欠落しているだけのはなしであって、この日のように洋食店にしけこむことなど、我が下等遊民の経済状況にあっては稀もいいところである。

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