ハラカドがオープンしてちょうど1ヶ月が経ちました。実は今、想像以上の面白さを毎日感じています。 基本的なデザイン事務所の構造を解体し、仕事ができることが大切な空間から、一般のお客様が出入りできる商業空間に身を置き、予定していない事が起きる場所、まわりに他の会社、テナント、仲間がいる事、原宿の交差点という一等地にあること、そんな、デザイン事務所には必要なかったことすべてが、新しいデザイン事務所、新しい「デザイン」そのものを作ることができるのではないかと期待しています。 「ハ
待ちに待ったブギーバックの時間は中盤にやってきた。 小沢健二さんが、「デモテープ聴こうよ」 って言って、会場に流れたのは、31年前に小沢健二さん家で撮ったブギーバックのデモ音源。 夜中なので「寝てる彼女を起こさないように歌っている笑」 このテープをスチャダラパーに渡して、ブギーバックは生まれた。 「小沢くん、よくこんなの置いてあるね笑」 BOSEさんとのやりとりの中、不意に小沢健二さんがブギーバックを歌いはじめた。 この曲をはじめて聴いたのは94年のこと。 LIFEの中でも
個性を耕す(cultivate)のは、カルチャー(culture)の力。 それは、企業としての「個性」であり、同時に働く人たちの「個性」でもある。 企業はカルチャーを育むと同時に、それぞれのかがやく個性を耕す土壌であるべきだ。 なんて言葉からはじまりましたが 最近、ビジネスで感じていること、 伝えていきたいことをインタビューしてもらいました。というのも、この度、 Tokyo Culture Labという新しいプロジェクトを立ち上げました。企業に、カルチャーをインストールす
12年、れもんらいふが続くなんて、スタート時は思いもしませんでしたが、がむしゃらに毎日やっていたら、あっと言うまでした。 今年、ロゴを一新しました。 「れも ん ら いふ」と、余白のあるロゴです。 ロゴを変えようと思ったのは、映画を始めた時でした。 デザインができることとは、広告やCDジャケット、パッケージなどあくまでもデザイン。それ以下でも以上でもなく、そう思ってきたし、そう学んできたし、そうしたかったし、それが楽しかったので、面白いデザインとは何か?それだけを考えてきま
れもんらいふができた日から12年がたちました。まさかウィーンでその日を迎えるとは思いませんでした。 今日は、このあとウィーンの映画祭でアイスクリームフィーバーの上映があります。 まだ何も自分の仕事というものがない12年前の僕からすると想像出来なかったことが起きています。 2011年10月、原宿の神宮前交差点、今はなきコープオリンピアAnnexの2階、 PRCという代理店の間借り、ふた席から始まったれもんらいふ。初のアシスタントは、大井佳名子さん。社長としてもアートディレクター
昨日は、京都みなみ会館で、 アイスクリームフィーバーのトークイベントをしました。 僕は20代をみなみ会館の近く、七条大宮ですごしました。まだ何ものでもない、不安だらけのカルチャー男子。 京都のレコード店、カフェ、古着屋、映画館、食堂、クラブをウロウロして、毎日を過ごしていました。 みなみ会館は、週末によく行っていました。 ある日、京都のレコード屋さん、ZESTで田中知之さんを見かけ、心臓の音が聞こえるぐらいドキドキして、声をかけてサインをもらいました。 嬉しくて、ずっとその
映画作り自体、何度も悔し涙を流す大変な作業でしたが、公開してからも大変! アイスクリームフィーバーは、現在公開中! いわゆる日本の映画のセオリー、お金の集め方、スタッフの集め方、人が見てくれる広告の展開、人が見てくるキャスト、人が見てくれる脚本、人が見てくれる撮り方、マーケティングの勝ち方のセオリーを勉強し、それを壊していく作業をやりながら制作したので、とても時間がかかり、かなりご指導もいただいたし、違う!という意見もかなりもらったが、ずっとずっと作りたかった映画を、自分が
今朝は岡山にいます。昨夜は、アイスクリームフィーバーの初日舞台挨拶でした。500人の前でフラッシュをあび、自分が作ったものを見てもらうなんて、本当にすごいことで、何がおきているのかわからない、実感すらない、そんな感じです。私事ですが、昨夜は、母、弟、家族、友達、お世話になった人、大切な人がたくさん見にきていました。振り返ると、1人で家族を養う母と障害を持つ弟と、ずっと本当に大変な人生でしたが、その経験や、思い出がアイデアになり、この作品に生きています。「わたしたちの人生は、や
映画の企画をスタートした時 アイスクリームフィーバーで伝えたいことって なんなんだろうって考えたことを思い出しました。 先日0号試写と呼ばれる、 キャスト、スタッフ等、関係者のみの初上映があり、 終わってから挨拶をしてくださいという話で 何を話そうかなと思って考えていたら、 「人生はやさしくつながっている」 というワードを思い出しました。 初期の頃に相談していたチームと この映画の初めのプロットを見て会話した言葉でした。 劇中で、吉岡里帆さん扮する菜摘と、松本まりかさん
今の若い人たちは映画にたいして、 どんな原体験があるんでしょうか。 配信の世の中になって、 どこにいても小さな画面で 映画が見れる時代に、映画館の思い出ってどんなものがあるんでしょうか? 2倍速で映画を見るとか、最後から見るとか 心が苦しくなるエピソードをよく耳にします。 90年代僕が20代を過ごした時代には 街に映画館がたくさんありました。 今のようなシネコンはほとんどなく 「単館」と呼ばれる小さな映画館に並び、 パンフレットやポスターを買って帰る、 その帰りにレコード屋
昨日解禁になった特報は、 僕が監督しています。 「千原さん、予告はどこに発注しますか?」と聞かれて、え!?監督がやらないの!?って思ったと同時に、そこに「作業」を感じてしまいました。 自分がお腹を痛めて産んだ子供の教育を他の人に任せるなんてできないし、そこにすら、見たことない感覚を持たせたいと思うのは当然。 この特報は、みなさんのアイスクリームフィーバーの初見になります。 このイメージが公開まで、 映画の世界を引っ張っていくので、大切な存在です。 ポスターも僕がデザインして
ついに今日、僕の初監督作品、 映画「アイスクリームフィーバー」の特報が解禁になった。 とてもドキドキして、 何十年も前に、初めてデザインしたものが世の中に出た時のような感覚だ。 この日が来るまでどれだけ待っただろうか。 1年の中で何万って邦画が公開されて、簡単に何かが生み出されているみたいだけど、こんなに大変なことはないというぐらいその1本にはさまざまな人の思いが重なっている。 https://youtu.be/bLkPGvhpL2k ↑特報 この特報が完成したとき真っ先
ネットで「デザイン」の日本語の意味を引くと、設計とか意匠とか工夫とか出てきます。 僕は、この言葉を使って仕事をしているわけですが、 ずっと20年以上この言葉を履き違えていたというか、一つの方向からだけ見ていた気がします。 なんとなく、絵作り?笑 ポスターを作ること?CDジャケットを作ること?文字を作ること? 洋服のデザイン?プロダクトデザイン?パッケージデザイン? デザイン家電なんていう変な言葉があったけど、 ざっくり言うと「見た目をよくする」ぐらいの意識で この言葉を使って
つくづく良い時代に幼少期を過ごしたなあと思います。時代は高度成長期です。 当時、日本は世界2位の経済大国。 SONY、TOYOTAと輸出大国だった日本は、 テレビというメディアの全盛期でした。 僕んチはといえば、超!貧乏笑。 母が寝る間を惜しんで仕事をしていたので、僕の相手をしてくれるのは主にテレビでした。 その頃のテレビは、もっともクリエイティブな箱でした。 夜のヒットスタジオ、ザベストテン、オレたちひょうきん族、どの番組もセットや出演者が豪華で、1回の放送でどれだけお金
最近、さまざまな場所で クリエイターとは何か?と 聞かれることがあります。 デザインの会社に入ったらクリエイター? 映画関係の職についたらクリエイター? なんて、ふんわりみんな思っていますが、 僕は、何かを「変えたい」と思って、そのチカラを活かして世の中の問題と向き合う人がクリエイターなのでは?と答えています。 デザインやファッションの会社にいても、毎日なんとなく過ごしていたり、保身や安定をベースに考えている人は、サラリーマン。 逆に通常サラリーマンと呼ばれる人たちや 学生
れもんらいふをつくって11年、 スタートから手伝ってくれていた社員の ゆいゆいこと永瀬由衣が先日、卒業した。 寂しさもあるが、日向坂46のCDジャケットやTBSのドラマなど、ゆいゆいならではの特徴をつかみ卒業できたことは、れもんらいふの10年も間違ってなかったんだなと心強く思います。 卒業祝いにサプライズで作ったドラマは、近々チャランポランタンのYouTubeで配信予定なので、ぜひお楽しみに😂 2020年末に放送された、デザイン業界のあるあるを描いたテレビ東京の深夜ドラマ「