
早期教育について思うことと、わが家に来た積み木の話
はじめまして。千花と申します。
1歳の子供の育児記録、好きな絵本、おもちゃなどについてⅩ(旧Twitter)で細々と呟いています。
今日もいつもの如くⅩでぶつぶつ呟こうとしていたけれど、あまりに長いのでこちらで供養。
星野先生とすーさんのインスタライブはいつも聞き甲斐がすごい
先日、ほるぷ絵本館 星野先生(@holp_ehonkan)と すーさん(@su_san_monte)のインスタライブをたまたま聞くことができて。最近頭の中で考えてたこととリンクする内容で興味深かった。
以下、聞きながらメモをとったので文章ぐちゃぐちゃだけど
心に残った言葉。
(すーさん)
「なにかきっかけや環境を作ること」と「他の経験を増やしながら自然と描き始めるのを待つ」ことは相反することではない。どちらもとても大事なこと。
目の前の子供がなにか楽しんでやってる姿を見た上で
ありのままでもいい。もちろんいいのだけど、
それに何か少し次のステップへ、
『次の景色を見せてあげたい』という気持ち
楽しみながらちょっと難しめの、頑張って超えられる、、
頑張るきっかけになるような楽しみを見つけてあげる
大人が「きっかけを与える」のは大切なこと
(星野先生)
子供が好きなことでも、マンネリ化したり 停滞したりすることはある
そこに新しい世界を発見できなくなったら、子供はそこに興味を持たなくなることはある
そこに新しい世界を広げてあげる できることを増やす っていうのは
技術をすごく習得させるとか 勉強させるとか そういうことではなく
世界を広げるということ 世界を深めてあげる
それによってまたやれることが増える 発想も豊かになる
自分の世界が「もっとこんなことができるんだ!」とわかる環境を与えてあげる
子供にも波がある
じわじわじわじわ感じるときもあるし、そんなに何にも感じてないんじゃないかと思うときもあるし
かと思えば全集中したり…
良かれと思って与えてすぐフィードバックがあるような、そんな単純な話じゃない
結果を急がずに、種まきをする。
親はその波に右往左往せず、ぶれない軸を持つことが大事。
「1歳台でひらがな全部読めるようになりました」に思うこと
最近考えていたのは、いわゆる早期教育に関して。
自分は「しない」というスタンスだけど、0ー100ではなくグラデーションがあることだし、同じ人間でも考えが変わることだってあるだろう…
「THE・早期教育」をしてる人とは正直隔たりを感じているけれど、その心理を考えてみることは、反面教師の意味も込めて大事かなと感じている。
というのも、あるSNSで『1歳台でひらがな全部読めるようにした取り組み』という投稿がたまたま目に入って。
ひらがなに興味を持つのは一般的には4歳頃とされているらしい。
その投稿主の方は、あいうえお表で教えたり、絵本の読み聞かせのときに1字ずつ指さし読みをしたり、覚えていないひらがなは別で練習したり、ひらがなを覚える動画で一緒に踊ったり工夫して覚えたと。
そうまでして1歳台でひらがなを読めるようにする目的って何だろう?
ごく真剣に、早く読めるようにすることが子供の将来に有利と考えているか。
そうではなくて、無意識的にでも、『すごいと言われること』や、『親が褒められる快感』が目的になってはいないか。(こう書くとなんだか意地悪な書き方になってしまうけれど)
だって私がもし1歳でひらがな読める子に出会ったら絶対「え、天才!?」って思って親御さんにも素直に伝えるもの。
わが子が褒められるってやっぱり嫌な気持ちはしない。
だからこそ親自身が気を付けなければならないと思う。
「〇歳で~~ができる」って言葉は他にも巷にたくさん溢れていて、分かりやすい指標だ。だけど、本当に子供はそれを求めているのだろうか?
子供を産んでみて実感するのは、育児全般、なんとなくなんでも早い方がいい風潮があるなぁということ。
「早く習得できてすごいね」
「もうそんなことができるなんてお利口さんね」
と言う人は常にそこらへんに存在する。
でも子供に対してその褒め方が私は好きじゃない。
早くなくたっていいし、大人にとっての都合の良いお利口さんじゃなくていい。
なんなら『そんなに早く大人にならないで、ゆっくり成長しておくれ。子供が子供でいられる時間は長い人生でみたらあっという間なのだから』とすら思っている。(1歳の子に対してだいぶ気が早い母親)
よく聞く「子供の可能性は無限大」という言葉。あれは鼓舞するだけではなく時として呪いにもなるなぁと思っていて。
子供のぐんぐん吸収する力、順応する力、母親の期待に応えようと頑張る力はものすごくて、たまたま優秀な子だったりすると「やればやっただけできることが増える」と感じられることも多いかもしれない。そうすると早いうちから「あれもこれもしてあげたい」って思ったり、逆にしてあげられていない自分への罪悪感に繋がったり。
私でも、あれこれやっているご家庭を見ると「それに比べてうちは何もしてないな…」と思っちゃうことはよくある。先取り学習には良い面ももちろんあると思うし、これも結局は程度問題だよね。難しいなぁ~。
早期教育をしないわが家は、じゃあ何をする
わが家は夫婦で話し合って「いわゆる早期教育」はしない方針で現在まで来ているけど、一方で、それは「何もしない」とも違う。
意図的に積み木遊びに誘ったり(笑)、良質と思う玩具や絵本を集めたり(多分に親の趣味を兼ねる)、英語に関してはDWEも契約してるし、見る人によっては十分わが家だって“超教育熱心”な家庭なのよね。
私は自分を管理型の人間だと自覚しているので、「子供を誘導してる良くない親なのではないか…」という葛藤が常に頭の片隅にあって。
冒頭の話に戻るけど、今回のインスタライブは、そんな自分の葛藤をちょっと緩ませてくれたなぁ。
きっかけや環境を準備すること、子供が停滞しているときに何かその子にとってプラスになるような手助けをすることは、いわゆる早期教育で何かの知識を“上から教える”こととは全く違う意味合いを持っている。
これから子供が大きくなるにつれ、教育面で選択を迫られることはどんどん増えてくるだろう。
柔軟にやっていくことも大事だけど、それでもある程度はしっかり軸を持っていないと、「周りがやっているからやった方がいいのかな…」とすぐブレブレになってしまう。
わが家の場合は、やはりまずは子供をよーーーーく見ることを大切にして、環境づくりと子供の育ちのサポートに徹していきたいなと再認識。
すぐに効果が現れるおもちゃ、そうでないおもちゃ
最後に、「積み木と知育」についてもちょこっと。
積み木って、効果がどうとかぜ~んぜんすぐ分からない。
そのせいかな?
SNSでお見かけする「THE・早期教育」の人々って、積み木にあまり手を出さない傾向があると思っているのは私だけだろうか。笑(まぁ、積み木が高いせいももちろんあると思うよ…)
逆に、積み木界隈で「~歳でこんな(すごい)ことできます!」と声高に主張してる人を、少なくとも私は見たことがない。
そもそも子供に背伸びして凄い作品を作らせるとか無理だし、なんというか…積み木を前にしたら余計なこと、何も言う必要ないなって思い知らされちゃう、私は。
ここまで書いて、Neiroさんのnote記事「積み木は木片という余白」を思い出す。
(この記事好きなの)
積み木には余白がある。
余白のある遊びは大人の目には「ものたりなく」映るかも。
でもその余白を大事にしようと思うと、大人が“上から教える”ことは不可能で、子供の傍で、子供と同じ目線で、そっと見守るか一緒に遊ぶしかできないなって(そしてそれでいいんだって)必然的に行き着く。
わが子が1歳6ヶ月のときに積み木を購入して、まだ3ヶ月と少し。
日々の積み木遊びはまだまだ模索の連続だけど、私の感じている積み木の良さはきっとこの余白なんだな~となんとなくわかってきた。
これからもたくさん一緒に遊びたいな~!