響きがあれば、言葉はいらない。
2016年6月の終わり、イタリア・フィレンツェ。
その日は、フィレンツェ市内にあるアシュタンガヨガのスタジオで三昧琴を演奏させていただくことになっていた。
現地でオーガナイズしてくださったひろこさんと、通訳を引き受けてくださったきょうこさんと一緒にスタジオに到着すると、すでにたくさんのヨギーニの皆さんが準備を始めていて、オーナーの奥様であるキアラさんがにこやかに私たちを迎えてくださった。
その日は、年度末のスペシャルクラスで、ヨガ歴10年以上のベテランさんたちが20人ほど集まる日、とのことで、ウォーミングアップの時間からみんなアクロバット(と言っていいんだろうか…)なアーサナを次々と繰り出している。それだけでも目が丸くなってしまうくらいの光景だった。
それを横目で眺めつつ手早く演奏の準備をしながら、これからこの人たちに挨拶して、それから…と頭の中で話す順番を確認する。
いつも、イベントのはじめには、三昧琴について簡単に説明をさせていただいている。日本で生まれた楽器であること、作っている人がたった一人しかいない、オリジナル楽器であること、その誕生にもちょっとしたミステリアスなストーリーがあること…などなど。
三昧琴エバンジェリスト(勝手に自分で自分に命名した役割)としては、この楽器のバックボーンをちゃんと知って欲しい、と今思えばかなり張り切っていたのだと思う。
しかしその日はちょっと違った。
さあ始まるよ、という時間になったとき、ここのスタジオのオーナーでヨガティーチャーのアレッサンドロさんが軽やかに前に出てニコニコしながら皆に話した。
「今日はね、僕のインストラクションはなしでやるよ。90分自分の動きたいようにやってみてね。彼女が音楽を奏でてくれるから、それを聴きながら自由に動こう!じゃあ、はじめ!」
「えっ!?もう始めるの?前説は!?」と、訊く暇もなく、スタジオの中はその瞬間からディープなヨガの世界へ突入したのだった。
そこからの90分間のスタジオ内の空気、ヨギーニたちの息遣い、しなやかに動き、静止する肉体、全ての風景が忘れられない。
三昧琴もその風景の一部として溶け込み、濃厚な空気の中で90分間のヨガの時間が流れたのだった。
その日のFacebookで私はこんな風に書いていた。
「最初から最後まで、全員の呼吸音が音楽の一部のように三昧琴とともに響き渡っていたスタジオの中、アーサナからアーサナへ、ダイナミックに展開する動きが多いのに、誰もがフワリと宙に舞い、ピタリと着地し、それはスローモーションのようにわたしの眼の前を流れていきました。
まるで夢の中にいたみたい。
奏でながら、「人の身体ってなんて美しいんだろう…」と、終始見惚れていたわたし、90分のクラスが終わった時、つつーっと涙が…。演奏して泣いたのはこれが初めてでした。」
ヨガのあと、三昧琴の響きに興味を持ってくださったヨギーニの皆さんが自然に集まってくださって、色々と質問してくださったり、お話ししたり。
「この音が響いた瞬間、スッとヨガの中に入り込めたよ」と話してくれた人。
「いつもより体の伸びが違ったわ!」と伝えてくれた人。
なんの情報もなく、ただ音を届けただけだったけど、届くべき人にはちゃんと届いていたのだった。
この体験は、いつも頭でっかちで「これをやらねば」と一生懸命になってしまう私にとって大きなターニングポイントになった。
それ以来、私はイベントのプログラム上どうしても、という時以外は演奏前の説明をやめた。
なんの情報もなくても、はじめて三昧琴に出会った時の私のように、その一音に「ひとみみ惚れ」してくれる人がきっとどこかにいるはずと信じている。