〈こくご〉(文学作品の授業アイデア)問い立て授業の力
古文の物語や現代文の小説の読解をひととおり終わらせたあとにオススメしたいのが、この「問い立て授業」。進め方は、基本的な読解が終わっている教科書本文の内容について、生徒に三、四人の班でオープンな問い(なぜ○○は✖️✖️したのか、△△の持つ意味は?、□□のその後はどうなったか、など)を考えてもらい、それをまた別の班が考えて、自分たちなりの答えを組み立て、最後に各班がクラス全体へ向けて語る、というものです。
このように書くと、生徒に任せて大丈夫?こちらでリードしないと破綻しない?といったような心配を感じるかもしれません。失敗するとしたら、そもそもの読解ができていないことや(人物の心情の把握の取り違えや、あらすじ理解の誤り)、立てた問いがクローズな問いになってしまうこと(辞書で調べればすぐわかるものや、すでに文章に載っていて、抜き出せば終わるもの)など、いくつかが考えられますが、これらを対策すれば、むしろ生徒も教員も作品への読みが田おこしされる、活発な時間となると思います。
わたしが実践したのは高校一年生の「言語文化」で、古典分野「伊勢物語」の「芥川」と「筒井筒」、そして現代文分野の芥川龍之介の「羅生門」。また、高校三年生の「文学国語」で安部公房「赤い繭」です。これら三つの授業ではどれも、講義形式で一斉に教壇から話をしていた時より、格段に生徒の思考が活発化していました。
問いの一例を挙げてみると、「なぜ(女を迎えに来た兄弟たちを)鬼と表現したのか」(「芥川」)、「男が(家で待っている女に対して)罪悪感じゃなくて愛しさを感じたのはなぜか」(「筒井筒」)、「どうして(羅生門に出てくるのが)ハシゴなのか」、「主人公はなぜ家が欲しいのか」(「赤い繭」)、などの問いがあります。どの問いもすべて、生徒たちから自発的に出て来ました。もちろん、このような問いをわたしたち教員があらかじめ用意して、授業の展開の中で活用し、生徒に解かせながら読解を深めていくやり方もあると思います。しかし、生徒たちにとって、その問いがもしクラスの他の誰かからの問いかけならば、どんなにわくわくが増すでしょう。また、先刻自分たちが作った問いが、同時進行で他の誰かに考えられているとしたら、どんなに楽しいことでしょう。この活動は、生徒たち、そして教員のわくわくした気持ちも、刺激してくれます。
加えて、この授業によるクラス内のネットワーク作りの効果も挙げられます。一斉授業と異なり、授業は一度教員の手から離れて生徒に託されることで、班の中の人同士、やがて班同士、そして最後にはクラス全体での対話と発展していきます。これが今後のクラスの絆の深まりにつながることもあると確信しています。
生徒と教員がともに授業を作り上げる道に、大きな教育効果が期待される。この考えに基づき、これからも授業の実践研究を進めていきたいと思っています。