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三島由紀夫『金閣寺』と水上勉『金閣炎上』

三島由紀夫の『金閣寺』は、仕事で金閣に行くたびに読んでいないことが気がかりだったのだがようやく読了できた。同じ事件を扱った『金閣炎上』も読んだ。これで堂々と説明できるし、議論にも応じられるので安心。

『金閣寺』をKindleで読もうとしてamazonで検索したらなんと著作権者の意向で電子化されていないという。検索結果に出てきた水上勉の方を先に読むことになった。

『金閣炎上』は小説ではなく、放火犯の人生の伝記のようなもの。放火犯の出生地近くの福井県に生まれ、放火犯同様に禅寺に住み込んだ経験のある水上勉は、自身の経験や思いと重ね合わせながら放火犯林の人生を追う。若狭にほど近い丹後の奥から金閣寺の小僧として住み込むことになった林は、最終的に金閣に火を放って逮捕される。戦時中、代用教員をしていたころ、まだ地元で学校に通っていた放火犯とも会っている水上は、同情的である。吃音のために屈折した心情、結核で死んだ父と同じ病を得ているのではないかという恐怖、僧侶である夫を亡くして困窮し(僧侶が死んだ場合、遺族が寺に残れるかどうかは檀家の采配に左右される)実家に戻る母、そしてその母が唯一の望みとして息子に寄せる過大な期待。悲惨ともいえる生い立ちに加えて、戦後の金閣に対する失望も放火犯を犯罪へと駆り立てたのではないかと推察する。全てが新しく変化しようとする中で、南京傀儡政府の要人をかくまう鹿苑寺、吝嗇家であるが自身は酒も煙草も楽しむ師の慈海師、仏道を極めようとする僧侶や弟子たちではなく、俗人が観光事業に精を出し経営を牛耳る様子が彼を追い込んでいった。最期は結核も精神の病も悪化して亡くなるが、息子の犯罪を知って自殺した母親への愛情を示していたという。

三島の『金閣寺』は、水上による戦中戦後の貧困と人間ドラマを読んだ後では、薄っぺらいように初めは思えたが、そうではなかった。この作品は吃音の小僧が金閣に火を放った、という点以外はほとんどフィクションであるらしい。足に障害があるがそれを逆手に取る奇妙な哲学を持ち、主人公に大きな影響を与える学友柏木や、進駐軍相手の娼婦を米兵に請われるままに雪の中で蹴りつける描写など、おそらく創作と思われるエピソードが重要な役割を担っている。作中、妊婦が三人(一人は進駐軍の娼婦、もう一人は主人公と友人鶴川が戦時中に目撃した、母乳を恋人に飲ませる女、もう一人は忘れてしまった)出てくるが全員出産に至らないところ、徹底的に陽であると思っていた友人鶴川を全く理解していなかったと気づく場面、柏木と主人公と鶴川の対比が、ひどく人工的にできていて、全く登場人物たちに共感できないが、それでも小説としてとても魅力的な構造になっている。何らかの共感を求めて小説を読むことが多いが、共感などなくても、ただ構造や舞台装置を楽しむことができるのならば、それは素晴らしい作品なのではないかと思った。

性の描写については、なんだかやたらと気持ち悪い。出征を前に、死産した二人の子供のためにまだ乳がでるならそれを飲ませてくれと恋人にせまって、茶碗に乳を搾ってもらって飲み干すシーンが特に気味が悪い。性行為をしようとするたびに金閣の幻が現れて失敗するシーンはむしろ面白くて、蛭子さんあたりに漫画化してほしいし自分でもコラージュをしてみたいと思った。

肝心の、金閣の美が云々という部分はよく理解できなかった。動機としては、水上が推察したような、結核による死への恐怖や寺そのものへの絶望などではなく、自分の存在を脅かす美を破壊することだったことは理解した。戦争にも破壊できなかった悠久の美、自分が「普通の」楽しみを得ようとすると眼前に現れて邪魔をする美の化身を自分の手で燃やし尽くす。それを旧世代を破壊する新世代の暴力とか希望とか捉えることもできるのかもしれないけど、そんな書きぶりではないし、三島由紀夫みたいな人を食ったような人がそんなことを書くようにも思えない。実際の事件に基づいてはいるけど、全く新しい作品に仕立て直した、素晴らしい人工的な世界みたいに読んでしまっていいように思った。

2018/05/30 9:26

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