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Photo by
bantya_teitoku
カタカムナの結界
これは2022年の年末の出来事です。
以前の記事にも書いていますが、
私は、カタカムナの5首・6首・7首をほぼ毎日唱えています。
いつも表記されているまま、清音の状態で唱えていました。
カタカムナ5首
ひふみよい
まわりてめくる
むなやこと
あうのすへしれ
かたちさき
その日はなぜか、しっかり意味を落とし込むため濁音を混ぜて唱えてみようと思ったのです。
「ひふみよい まわりてめぐる...」
と言い始めたのですが、「あうのすべしれ」と、ここまで唱えた瞬間、次の言葉を度忘れしてしまいました。
「かたちさき」の「かたち」のところがどうしても思い出せないので、そこまでで、もう唱えるのを止めてしまいました。
「後でネットで調べよう」と思ったのですが、そう思ったこともすぐに忘れてしまいました。
そしてその日からカタカムナを唱えることも忘れていました。
すると、
私は大晦日の日から喉の調子が変になり、年が明けてから食欲も無くなり、その状態は家族にも広がっていきました。
この状態を救ってくれたのは、納豆、梅干し、ごはん(玄米のほうが望ましい)、みそ汁という昔ながらの和食です。
しかも、不思議なことに、酸っぱい本物の梅干しも、味噌も11月頃にあらかじめ買い置きしてあったのです。
カタカムナは私と家族を悪いものから護ってくれた結界の様なものだと考えるならば、
「文言を忘れる」ことで、その結界が破られ、さらにその悪いものを再び封印してくれたのが「昔ながらの和食」だったのだと考えられずにはいられません。
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