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違いを認めて歩み寄るする社会 vs 同質を求める社会?

マレーシア在住歴が長い方のnote記事から


マレーシアの居心地の良さ

一昨年の8月、久しぶりにマレーシアに旅行に行きました。
多分10年以上振り。
毎回ですが、凄くリラックス出来るのです。
香港在住者にとって、香港と同じく旧英国植民地で華人が多い国なので
言葉に困ることがない事もありますが、
香港よりもリラックス出来ます。
なぜなのか?

違う事を前提に歩み寄る言語社会

上記の伊藤充臣さんの文章を引用させていただきますと

シンガポール及び、マレーシアは他民族社会で、
英語を共通語としながら、お互いの言葉も歩み寄ります。
中国語も標準中国語(北京語・普通話)の他、家庭環境により
広東語、福建語、客家語など異なる中国語を話しますが
自分の母語の他、相手が話しやすい言葉で話してあげる。

言語とはコミュニケーションの為のものだと、
気付かされました。

私が、シンガポールやマレーシアへ旅行時、
相手が華人だと、中国語で話す事が多いですが
とりあえず、北京語。
その後会話が進むと広東語に切り替える事もあり
距離が近くなる手応えを感じます。
この辺りの手応えが、香港や中国大陸で話す中国語よりも
リラックスして会話が出来る気がします。
何故なのか?

Too Chinese?

90年代、私が香港で生活をする前ですが
シンガポール出身のアーティストのDick Leeにハマりました。
彼の影響で、東南アジアの音楽を幅広く知ることが出来ました。
そして当時のインタビューで気になった一言
「シンガポールと香港を比べると、香港はToo Chineseだ」
この言葉が今でも引っかかっています。


香港で北京語(普通話)を話す事の居心地の悪さ。
ある年齢以上の香港人の人たちの、普通話を話す人たちへの
差別的な視線。
香港ではなるべく広東語で話すようにしています。
英語で話すと、また対応が違いますが、
ここでは言語は人を区別する装置という感じがします。

自分自身、香港では基本的に広東語
(相手の言語によって、英語や北京語に切り替えますが)
深圳に入れば北京語(普通話)と切り替えておりますが…。

言語は人を隔てるもの?繋ぐもの?

言語(Language)は便利だけど、敏感だと感じます。
英語は便利だけど、上手下手や訛りを指摘されると
苦手意識になる。
日本語もお互いの出身地のアクセントや、丁寧語などで
外国語以上に面倒かも?

しかし、お互いの言葉を理解して、分かり合える社会なら
理想的だと思います。

因みに、先月行って来たカンボジアについて
初めて行った国のため、リピーターの友人に
「中国人が多く進出しているので、中国語は通じるの?」と聞いたら
「中国人は嫌われているので、英語を話す様に」と
忠告をいただきました。その方、通訳レベルの中国語を話す方ですが…。

言語は人を繋ぐのか?隔てるものなのか?
或いは単なる道具と割り切った方が楽なのか?
自問は続きます。












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