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香港永久居民の日本人。X(Twitter)で取りこぼしを書こうと思います。

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マガジン

  • 上海1989

    オールド上海オタクを募らせていたら、雑誌の懸賞に当選して、初上海旅行、 勢いついて翌年、上海に留学すると、天安門事件に巻き込まれてしまいました。

  • ボランティア@香港

    香港で参加しているボランティア活動について

  • 香港の禁区

    香港の禁区、沙頭角に行きました。

最近の記事

楽園を探して...1990年1-2月。中国雲南省

前回の続き 先ずは昆明へ 1990年1月下旬、上海留学を終えて、大回りの帰国路の旅が始まりました。 先ずは、雲南省昆明市へ。3時間余りの中国国内線の飛行機旅。 中国国内便で3時間以上は初めてでしたが、 色々印象的だったので、今でも覚えています。 当時の薄暗い上海虹橋空港国内便ターミナルで、 時間通りに来ない飛行機を待つ時間。 チェックインをしようとしても、 「昆明からまだ飛んでいないので、離陸は何時になるか未定」 と言われた時の絶望感…。 当時の中国あるあるですが…。

    • 阿拉伯咖啡の招待。1990年1月、上海

      前回の続き 春節が早い1990年1月 年末年始の廈門旅行から上海に戻った1990年1月。 この年の春節 (旧正月) は1月27日のため、 1月半ば過ぎには早くも授業が終了。 廈門から戻ったばかりですが、 日本に帰国する前に、どこかへ旅行に行こうか? 長めの仕上げの旅行を考えながら、 落ち着かない日々を過ごしました。 旅行に行ってから、一旦上海に戻って帰国するか? 或いは旅行先から直接日本に帰るのか? 色々悩みましたが、大回りになるため、 旅行先から上海に戻らずに日本に帰

      • めんどくささをすっ飛ばしたいが

        最近 "X(Twitter)"で話題の動画。 中国語堪能な福原愛さんが、彼女の古巣らしき 中国東北地方の瀋陽市の太原街で、 お買い物をする動画。 楽しそうにお買い物をされていますが、 実は、ツッコミどころも満載です。 キャッシュレス社会の中国で、現金でお買い物 現金200人民元(約4200円)で、 どれだけ洋服が買えるかという企画動画ですが 今時の中国は、殆どがキャッシュレスなのでは? 「現金がこれだけしかないのよ」と値引き交渉していますが、 ポケットにiPhoneを突

        • ラッキーストライクを買ってきて!! 1989年12月〜1990年1月、上海→廈門

          前回の続き 憧れの楽園? インターネットが登場前の1980年代末から1990年代前半の、 旅行情報は、 活字では事前情報が得られず、 現地及び周辺に行って、興味の対象が広がってから 初めて知る情報が多かったです。 当時の中国留学生や、バックパッカーの間で 人気の都市や地方が幾つかありますが、 情報が少なかった時代特有の、憧れと妄想が膨らみました。 その中の一つ、上海に留学時、廈門が人気の街で、 西洋人、日本人問わず、周囲の人たちが、 次々と廈門に行くという話が巡りました

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          聖誕快楽!! 1989年12月上海

          前回の続き 1989年12月を振り返ると、とても多忙に過ごしました。 KFC上海一号店開業!! 1989年12月8日、上海外灘沿い、東風飯店(現上海總會大樓)に KFC1号店が開業しました!! これは上海在住外国人にとっては嬉しいニュースだったのでは? 単純にフライドチキンにありつけるという以外に 当時の中国は、レストランの営業時間と、 外国人向けレストランが少ない問題がありました。 こちらで書いた通り、糧票無しで入れるお店を探すのが大変で、 外出時にどこで食事が出来

          聖誕快楽!! 1989年12月上海

          九龍モスクのOpen Day

          先週末、尖沙咀彌敦道沿いにある 九龍清真寺(Kowloon Masjid and Islamic Centre)の 公開日の見学に行きました。 Wikipediaによると、香港には現在30万人の イスラム教徒が住んでいると言われています。 公開日は年1回 今回の公開日は、自由見学ではなく、 先ずはイスラム教についてのレクチャーがあり その後グループに分かれての見学となりました。 レクチャーは広東語で、イスラム教へのイメージアップの為、 イスラム教は怖くないからね〜!!と

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          深圳が見える街から

          既に多くは報道されていますが、 9月18日、中国広東省深圳市で悲しい事件が起こりました。 今年の9月18日は香港の祝日でした 今年の9月18日は香港の祝日(中秋節の翌日)で、 事件が起こった時は、何も知らずに、 深圳に住む友人と中秋節のメッセージをやり合っていました。 この時は、9月18日だったという事も忘れていました。 9月18日は「満洲事変」が勃発した日。 93年前の事件で、日本人の多くは忘れていますが、 中国では今でも918と記憶に刻まれております。 深圳在住の

          深圳が見える街から

          迷惘夜車、1989年秋

          前回の続き 最初は口コミから 留学生活がある程度経過した頃、 現地で流行っている、中国語の曲が気になる様になりました。 1989年当時の音楽媒体、 日本はレコードからCDに移行する過渡期でしたが、 中国は、カセットテープ一択。 最初に覚えた中国語の曲は、留学生の中で流行っていたこの曲。 歌を覚えて、ギターで弾き語りをする友人もいました。 齊秦について当時は、中国の人なのか、 どこの人なのかすらも見当もつかず、 後から台湾の歌手だという事を知りました。 人気がありすぎ

          迷惘夜車、1989年秋

          香港大手老舗フィットネスジムの倒産あれこれ

          香港大手老舗フィットネスジムの倒産 先週末からの香港の大ニュース 香港の老舗フィットネスジムの舒適堡(PHYSICAL)が倒産。 1986年創立との事で浮き沈みの激しい香港で 38年も続いていたそうです。 中国大陸でも幅広く展開しておりましたが、昨年既にクローズしたそうで。 下記の記事によると従業員の給与未払いや、 MPF積立金の滞納など、かなり悪質です。 給与未払いの後は、 会費の過払いの提訴が相次ぐと思われますが 次々とニュースが出ています。 訴訟金額は最低額1

          香港大手老舗フィットネスジムの倒産あれこれ

          週末パリピしながら世界情勢を見る。1989年11月上海

          前回の続き 週末はパリピ? 9月からの学校は、6月までの学校とは違い、 他の学校のネットワークが多く、社交的な雰囲気を感じました。 自分の学校の日本人留学生は少なかったですが、 他の学校の学生達との交流もあり、 大学有志であちこちで行われました 週末パーティに参加しました。 以前の学校の時に時々行った、ホテルのディスコとは違い カジュアルな雰囲気の学生のパーティで、 こちらの方が楽しかったです。 日本人と欧州人学生達の音楽の好みは大体似ていて 80年代のユーロビート辺り

          週末パリピしながら世界情勢を見る。1989年11月上海

          巻き込まれてあちらこちら?1989年10月、上海→北京→青島

          前回の続き アフリカ人学生たちのボイコット 留学した学校は理工系大学のため、 本科で学ぶ多数派の学生は、 アフリカやアラブ諸国出身者が多く 留学生食堂のメニューは イスラム教徒向け(ハラル)仕様で、 中国なのに、豚肉抜き。 朝食はナンに似たパンケーキと紅茶、 昼食や夕食は牛肉やマトンによる 煮込み料理が多かったです。 餃子も豚肉ではなく、牛肉。 最初は面白かったですが、 一ヶ月過ぎると正直飽きて来ました。 そして、アフリカ出身の学生たちによる 待遇改善抗議活動が始まりま

          巻き込まれてあちらこちら?1989年10月、上海→北京→青島

          留学生樓は放任主義?、1989年9月上海

          前回の続き 最初の格闘 半月の中国東北旅行から上海に戻ると、既に9月。 留学生楼(寮)は前学期からの学生、新しい学生などが入って来ました。 私が通された部屋は2人部屋。 旅行の疲れを癒すために、部屋で休みたかったのですが…。 少なくとも6月から、人が入らなかった部屋は 汚すぎる… なので人が住める状態にすべく、格闘の日々を暫く過ごしました。 6月までいた学校の施設は質素でしたが、人の手が入っていましたが ここの学校は「自分の事は自分でやりなさい」と言う様子。 実は寮の費

          留学生樓は放任主義?、1989年9月上海

          1989年夏、ラストエンペラー追跡旅行記

          前回の続き 丹東から瀋陽へ 国境の街、丹東から北朝鮮を眺め、達成感を得ましたが、 この旅行の目的は一応、 映画ラストエンペラー・追跡旅行です。 丹東から瀋陽は鉄道で行きました。 瀋陽は旧奉天。満州国の面影を探す旅で、いきなり駅舎を見て、 おっ‼︎ 東京駅‼︎ と感じました。 事情も良く分かっていないまま、丹東から同じ列車で来た、 瀋陽在住中国人男性2人組にホテルを紹介して頂きました。 凄く高い値段ではないですが、ビジネスホテルという雰囲気。 1989年当時の印象で「大

          1989年夏、ラストエンペラー追跡旅行記

          1989年夏のスロウ・ボート

          前回の続き 1989年8月。静かな上海 1989年の上海留学、 天安門事件に巻き込まれて、 6月半ばに一旦帰国ましたが、 8月半ばに再び上海に戻りました。 新しい学校は9月からですが、 授業開始前の半月、旅行に行きました。 「和平飯店が今なら一泊50ドルで泊まれるよ! 一緒に泊まらない?」 6月までの学校のルームメイトからありがたいニュースを聞き、 成田発の同じ便で上海に入りました。 観光客が消えたらしく、破格の値段で泊まる事が出来ました。 憧れの和平飯店はとても静か

          1989年夏のスロウ・ボート

          1954年から眺めた2024年。そして70年後?

          最近YouTubeのオススメに登場した動画 東海道新幹線開通の1964年から遡って10年前の1954年、 今から何と70年前です。 東京から大阪まで運行の「特急つばめ」のドキュメンタリー短編映画。 新幹線線開通以前の特急列車は、想像もつきませんでしたが、 当時は1日がかりの大移動でした。 電化されていたのは、名古屋まで。 名古屋から先の非電化区間は、蒸気機関車の牽引。 そして、印象的なのは、乗客の品の良さ。 皆さん正装で乗車。 食堂車に花、キャビンアテンダントの様な、颯爽

          1954年から眺めた2024年。そして70年後?

          キラキラしていない深圳ですが…

          Amazonプライム・ビデオで公開のドキュメンタリー映画 ずっと前から公開中ですが、最近やっと見ました。 日本語公式サイトもありました。 世界で一番ゴッホを描いた趙小勇氏 映画は10年位前の、深圳大芬油絵村が舞台。 当時既に20年以上、ゴッホの複製画を描き続けた趙小勇氏、 オランダの画商の招待を受けて、欧州旅行へ。 初めて見た本物のゴッホと、自分の複製画が売られている 現場の現実を知った後の葛藤、 その後の決断と変化を追いかけたドキュメンタリー映画作品。 趙小勇氏は湖

          キラキラしていない深圳ですが…