週末パリピしながら世界情勢を見る。1989年11月上海
前回の続き
週末はパリピ?
9月からの学校は、6月までの学校とは違い、
他の学校のネットワークが多く、社交的な雰囲気を感じました。
自分の学校の日本人留学生は少なかったですが、
他の学校の学生達との交流もあり、
大学有志であちこちで行われました
週末パーティに参加しました。
以前の学校の時に時々行った、ホテルのディスコとは違い
カジュアルな雰囲気の学生のパーティで、
こちらの方が楽しかったです。
日本人と欧州人学生達の音楽の好みは大体似ていて
80年代のユーロビート辺りが人気でした。
そしてアフリカ出身の学生達に人気は圧倒的にレゲエ。
マイケルジャクソンもカリスマ的に人気あり、
日本では見慣れたマイケルのビデオが流れると
アフリカ出身の学生達が、直立不動で見ていました。
そして本科の学生が多い彼らの方が多数派。
週末ダンスパーティは最初、ホテルの外国人向けディスコでも聞かれた
日本人+欧米人好みの80年代ポップス曲を流していると
途中から多数派のアフリカ人学生達が占拠して
レゲエ曲が延々と…。の繰り返し。
レゲエ、嫌いではないですが、延々と同じ調子の曲が流れるのは
流石に飽きました。
そんな、選曲バトルの中?この曲が流れると
一気に場が和んで、大団円?
UB40の存在は留学中の上海で知りました。
その後、帰国後の東京、そして今住んでいる香港でも
彼らのライブを見ましたが、懐かしい気持ちになりました。
留学生食堂や、週末パーティに何度か参加している内に
巨大なアフリカ大陸の中でも、イスラム圏の国の人たちと
南部の国の人たちとの違いなど、
ざっくりですが、次第に、国々によるグラデーションが
少しずつ掴めて来ました。
北アフリカ、サヘル地域、南部アフリカの国々、
そして、アフリカ以外のアラブや中東諸国。
出身国によっての違い、本当にざっくりですが…。
因みに当時の私の部屋の壁に、
大きな中国語表記の世界地図を張っていました。
率直に中国語の国名を覚えたいという事もありますが、
部屋を訪れた人たちの受けは良かったです。
彼らには国が無いんですよ、可哀想じゃないですか?
留学先の学校は当時、日本人女性は3名でしたが
時々見知らぬ、謎の日本人女性を見かけました。
留学生楼に数日の滞在の人、長めに滞在の人
詮索はしませんでしたが、同棲していた感じ?
ある日の朝、声をかけられました。
「私の彼は、パレスチナ人です。
パレスチナの事を知っていますか?
国が無いんですよ。」
と訴えられました。
私はキリスト教の学校の出身で、聖書の知識から
イスラエルとパレスチナの問題については、
1989年当時でも、何となく知っていました。
なので、
「パレスチナのパスポートだという事で
日本人の女の子を口説けるんだ」と
淡々と思ってしまいました…。
国際放送よりも早いネットワーク
1989年、天安門事件の後に起こった、
大きな歴史的事件
11月9日のベルリンの壁崩壊は、
NHKの国際ラジオ放送で知りました。
短波ラジオを持参して良かった…。
日本人の友人達と、ベルリンの壁崩壊について語った後、
興奮しながら、イタリア人のルームメイトに話しかけたら、
「知っているわよ」と、私がラジオで得た情報よりも、
ラジオを持たないルームメイトの方が、
既に、詳しい情報を知っていて、
欧州人同士のネットワークの早さに感心しました。
インターネット普及以前の頃、
しかも閉ざされた世界と思われがちな中国でしたが、
重要なニュースを得ることができました。