楽園を探して...1990年1-2月。中国雲南省
前回の続き
先ずは昆明へ
1990年1月下旬、上海留学を終えて、大回りの帰国路の旅が始まりました。
先ずは、雲南省昆明市へ。3時間余りの中国国内線の飛行機旅。
中国国内便で3時間以上は初めてでしたが、
色々印象的だったので、今でも覚えています。
当時の薄暗い上海虹橋空港国内便ターミナルで、
時間通りに来ない飛行機を待つ時間。
チェックインをしようとしても、
「昆明からまだ飛んでいないので、離陸は何時になるか未定」
と言われた時の絶望感…。
当時の中国あるあるですが…。
そしてやっと乗れるぞと、機内に入ろうとすると
我先に乗ろうと殺到する人民達と、「票!!票!!票!!」と叫ぶ服務員。
票票票ってバスかよ…と呆然となる私たち…。
機内食は出た記憶がなく、
薄汚れたリンゴが一つ配られて、
「汚れているんですけど」と、客室乗務員に目で訴えたら
怒った表情で、エプロンでゴシゴシと擦って、
文句ある?と、迫力のある表情で、
ドンとテーブルにリンゴを置かれて、
脱力した笑いしか出ませんでした。
かなり遅延しましたが飛行機は無事に昆明に到着し、
バックパッカー御用達の、「茶花賓館」に向かいました。
ちなみに、この旅行は、一人旅ではなく3人旅。
旅慣れた友人達に囲まれての旅行でした。
雲南省を目指した訳は、上海で出会った留学生の皆さんが
夢を見るような目をして、
雲南は良いよ〜😍😍😍
少数民族が多く、漢民族のキツさがなく
癒されますよ〜😍😍😍 などと
夢を見るような目で語られる為
そんな楽園を一度見てみたいと、興味を持ちました。
昆明は「春城」と呼ばれていますが、標高が高いこともあり
思いの外、寒かったです。
私たちが来た数日前には積雪も有ったらしく、雪が少し残っていました。
とはいえ、同時期の上海に比べたら、暖かでしたが…。
昆明は大都会ではないけど、田舎でもない印象でした。
当時の昆明の様子についての記事です。↓
茶花賓館のドミトリーは、外国人だらけ、
上海で見た事のある顔の人たちも、ちらほら見かけました。
ホテルの出入り口は連日、
サニ族の民族衣装のお姉さん達の、
チェンジマネー(闇両替)と、お土産売り攻撃に遭遇して、
賑やかでした。
サニ族の民族衣装は刺繍で有名です。
大理の春節は桜の季節
春節数日前に昆明からバスに乗り、
山道を越えて、大理へ移動しました。
サスペンションの弱い中国のバスによる
12時間以上の大変な移動でした。
大変な移動から辿り着いた、大理の旧市街、
城壁入り口付近は、桜の花が咲いていました。
既に春が来ていたという事に気が付きました。
大理について、こちらのサイトによると、
80年代早々から外国人に解放されて
西洋人バックパッカーの沈没地として知られていました。
田舎の街ですが、銀行は外貨両替は勿論、キャッシングまでが可能で
外国人の為のカフェや日本食レストランもあり
上海なら値段が高いカツ丼なども安く食べる事ができました。
その他、旅行者に必要な施設は
小さいながらも、一通りは揃っていました。
確かにこれは理想郷かも。
外国人旅行者達の宿泊先は、第二招待所。
安くて簡素な部屋で、如何にも沈没宿の趣でした。
招待所の前には連日民族衣装を着たお姉さん達の
チェンジマネー攻撃。
大理の主な少数民族は白族です。
招待所の中で、西洋人旅行者に声をかけられ
「日本人?日本は良いねぇ」と一言、
部屋の中に入って行きましたが、
彼の部屋から喜多郎が流れて、静かになりましたが…。
この部屋の人は、瞑想して気持ちが良くなってしまったらしい。
多分、アレもやっていそう…。
当時の大理の旅行者については、
下記のサイトなどが、色々紹介しています。
大理滞在中は、天気も良く、
外国人向けツアーに参加して
美しい景色や、伝統的な建物を堪能ました。
春節を迎える瞬間は、
中国お約束の夜中の花火合戦に
地元の人たちと一緒に参戦したりと、
楽しく過ごし、良い思い出を重ねました。
更に、郊外の沙坪の月曜市場に行きました。
地の果てかと思った、
世界遺産になる前の麗江
春節明けと沙坪の月曜市の後、更に奥地の麗江へ移動しました。
昆明から大理へ移動時よりも、更にオンボロのバスで、
窓を閉めていても、容赦なく隙間が空いてしまいます。
麗江に着き、大理との違いに気が付きました。
お天気が悪くて、寒い。冬が戻った感じ。
麗江は標高2400メートルの高地とは知らず
寒がっていました。
大理と同じく、外国人向けレストランで
カツ丼をいただく事が出来ましたが
標高が高いせいか、ご飯が生煮えっぽかったかも。
簡素なホテルにチェックインをし、
予め大理に戻るバスのチケット、
珍しくも人民元で支払いが出来ましたが、
私たちは、大変な事に気が付きました。
手持ちの現金が無いかも。
当時の麗江は世界遺産になる前の秘境で、
外貨両替が出来る銀行がなく、
チェンジマネー求める、民族衣装のお姉さん達もいません。
麗江に住む主な少数民族はナシ(納西)族。
トンパ文字を使うことで有名です。
外国人旅行者ビジネスが盛んな昆明や大理の少数民族に比べて
麗江の少数民族の方達は、奥ゆかしく
こちらも遠くから見るという感じでした。
外貨の両替が出来ない、辺境かと思いきや、
外国人旅行人向けに、民族音楽のコンサートがあると知り
聴きに行きました。
司会の人は英語で紹介しており、
彼らの文化の高さと、民族の誇りの高さを感じました。
麗江の写真や記事を検索しますと、
今ではすっかり、キラキラとした世界遺産となりましたが
秘境だった頃に行けて良かったです。
キラキラ世界遺産になる前の、麗江を紹介した記事
https://kknews.cc/history/lxblblg.html
https://kknews.cc/travel/nvz6b93.html
楽園の終了
手持ちの現金が枯渇し、詰んでしまった私達は、
麗江では大した観光も出来ず、
先ずは夜明けに出発のバスで大理に戻り、
翌日のバスで昆明に戻りました。
昆明に到着後、私は中国を脱出するために、
旅行会社へ問い合わせの日々となりました。