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どこまで出す?「わたしはここにいるわ」感。


空気を読んで、人との和を重んじ、
遠慮することも多い日本社会。
どこまで出す?「わたしはここにいるわ!」感。

今日は、私がウィーンで仕事していて思ったことを、
ちょっと書いてみようと思います。

5年前くらいのことかなぁ。

ウィーンでの劇場やコンサートでの仕事で、
ケイトリンと出会った。

私がウィーンで必死に働いて2年目くらいの時、
彼女は私のいた合唱団のオーディションに受かり、
アメリカからやってきた。

当時、わたしは彼女のことがいけすかなかった。
好きじゃなかった。

3つ年上だけど同年代。
声の音域もよく似ていて、
同じようなポジションだった。

ハイソプラノとゆう少ない枠を、
プロジェクトごとに取り合ってた、
といってもいいと思う。


そんな中、
私にはできないことを、いとも簡単にしていた。
だから、いけすかなかった。

それは何かと言うと、


演出家に、
舞台の最前に来たい人おいでー!とか言われた時、

彼女は誰よりも先に手を挙げ、
誰よりも先に”ズンッ”と前に出る。


「私はここにいるわ。」感だ。

「私はここにいるわ。」感が、
彼女は、他の誰よりも、凄かった。


新人の彼女は当時、
みんなから冷ややかな視線を浴びてた。

男性陣には「die erste Reihe 一列目」
とあだ名をつけられ、

女性陣は一見ニコニコしてるけど、
楽屋裏では陰口をたたきまくってた。

「デブでブスなのに、よく自信あるわね。」
「新人って、普通、あんな目立つものではないでしょう?」

おばさま達…こわい(泣)


人は、自分のやりたくてもできないことを、
他人があっさりとやってのけてるのを見るとき、

モヤる。ムカつく。


誰もが本当は目立ちたいのに、
それをいとも簡単にやってのける彼女が、
みんな、うらやましかったのだ。

わたしも含め。


でもある時、それを通り越して、
「すごいなこの子…これがアメリカ人か。」
と思った(笑)

わたしには、できなかったことをしてたから。

こんなに自発的に、自分!を出して、いいんだ、とビックリ仰天した。(しかも、容姿が決して素敵ってわけじゃないのに…!)

ケイトリンのインスタグラムについて書いた記事↓
https://note.com/chieko_chz/n/na036fe945870


わたしはなぜか演出家に気に入られることが多く、
奥にいても、最前列に引き出されたり、
みんなの前で、大声で誉められることもあった。


でもそんなとき、嬉しいのに、なんとなく…
こんなに目立って平気かな?
わたしも陰口言われないかなぁ?
って、まわりの様子をうかがってた。

自分の本当にしたいことよりも、
人の目ばかりを気にして、生きてた。


だからこそ、ケイトリンは強いし、
すごいなって、尊敬した。


その3年後くらいに、
彼女はお局の圧力によって、
その合唱団では歌えなくなってしまったけど…

わたしは、
彼女は「こんなとこにいなくていいわ♪」と思う。

彼女はどこにいたって、自分らしく輝ける場所を、
自分で見つけることができるから。

ケイトリンヘルツで生きるケイトリンを、
結局、たくさんの人がフォローする。

彼女の好きなところで、好きな人と、
好きなことをして、楽しんでいる。


出る杭は打たれるのかもしれないけど、
打つのが不可能なくらい突き抜ければいい。


そしてその環境が、そのあなたを受け入れないなら、
そこはあなたの居場所じゃない。


自分ヘルツで生きる。


写真: 2017年 オペラ『Peer Gynt』
アン・デア・ウィーン劇場
Foto: © Werner Kmetitsch


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