
人間は、生き物が住めない土地を作ってしまった
養老孟司さんの講演に行ってきました。
『種を蒔くデザイン展2023』のイベントでした。
感じたことが多すぎて、まだ消化しきれておりませんが、「個人の感想」というカタチで記録に残しておきたいと思います。
さて。
人は、一体なんのために生きているのでしょう。
わたしたちは、何をしに、生まれてきたのでしょう。
わたしは、この手の問いが好きです。
よく考えたり、答えを探してみたりします。
でも、その答えは(もし答えがあるのならば、ですが)、生まれた意味も目的も「ない」なのでしょう。
人は、自然の一部として生まれて、自然の一部として死んでいく。
それが自然の摂理であり、誰にでも平等に与えられている権利なのでしょう(今のところは)。
わたしたち人間は、「生きている意味」や「自分の役割」が欲しくて、頑張ってきた。
科学を進歩させ、たくさんのものを作り、「豊か」になり、幸せになろうとした。
その結果、幸せになったかどうかは、人それぞれ。
そして、その結果、生き物が住めない土地を、頑張って作ってきた。
日本では、出生率が低下している。
一方で、超過死亡数は増えている。
これは、どうやら日本だけではないそうで。
そして。
これは、どうやら人間だけではないようで。
虫の80-90%が、死んでしまっているというではないか。
世界から、虫が減っている。
そう、どうやら、わたしたち人間は、生き物が住めない土地を作ってしまっているらしい。
では、どうすればいいのか?
どうやら人間は、この発想が好きらしい。
「問題」を作り出し、それを解決する方法を探り、また頑張って自然のあり方を壊していく。
人が減った。
虫が減った。
生き物が減った。
それだけのこと。
悪いことではない。
「今」を維持したり、「成長」を望む人たちからすれば、それは悪いことかもしれない。
しかし実際は、減ったら減ったなりに、生き物は生きていくのだ。
「今」が成り立たなくなれば、変化させていけばいいだけのこと。
みんなで躍起になって、やれどうする、何が悪い、どこが悪い、なんでこうなった、などと、無駄な時間を使うことはないわけだ。
人は、努力したら良い結果が生まれると思っているが、そんなことはない。
子供は放っておいても育つし、畑は耕さなくても作物が育つ。
思い込みと先入観と、体験の少なさと中身のない常識。
変化した今に立ち、これからどう生きるかを、ひとりひとりが考えて行動すればいいことなのだ。
わたしたちは、自然の一部として生まれた、自然の一部として死んでいく。
その間は、それぞれに与えられた自由時間。
さて。
今日はこのへんで。